インテグリティ(Integrity)を喪失した上に立つ者
インテグリティの言葉は旨く日本語に該当する言葉は無いが、強いて言えば「正直さ、誠実さ、高潔さ、健全性、完全」などであろうか。バブル経済が崩壊し、その後IT社会が到来してグローバル経済となり、金融資本主義が謳歌されていた時には、"朝令暮改"は当たり前、何事もスピードが大事となり、然も社歴や伝統などの価値は省みられなかった。ところが、リーマンショックが世界を駆け巡り、世界同時不況の様相を見せると一転して今まで否定されてた物に価値観を求め始めた。尤も、日本人は全てにおいて時流に合せて社会の構造や指導者までも変えて生き延びてきた歴史がある。その点から言えば、インテグリティの言葉など空虚に聞こえるかもしれない。しかし、21世紀の社会がどの様な形に収束して行くか分からない現状では、古来の日本人の生き方はただ翻弄されてしまう様に思えてならない。このため、今こそ日本人に必要なのはインテグリティの生き方であると考える。特に、上に立つ者はこの言葉を反芻して意味を理解しなければ人は付いてこない。当社は過去にブッテックデベロッパーとして都心で共同開発を行なってきた。地上げと一口に言われるが、共同開発は単なる土地の買収でなく、一緒に事業を行なうので権利者の信頼を得なければ成就しないのである。長い時間を掛けて折衝してきてもたったひと言の失言で苦労してきたプロジェクトが一瞬で崩壊する場面を沢山見てきた。土地の買収なら金額を積めば解決するが、共同事業は「覆水盆に返らず」である。嫌と言う程言葉の重みを感じて生きてきた者に取っては、今の社会が言葉に責任を感じない人達が指導者の立場でいることを不思議で堪らない。しかし、今の世の中でも断言できるのは言葉に責任を持たない人は必ず他者に裏切られると言うことである。
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