総務省の地方自冶制度の改悪こそ民主主義の否定

鹿児島県阿久根市の前竹原市長の騒動から総務省は首長の権限の縮小を考慮した制度に改悪する準備を進めている。総務省の見解では首長と議会が話し合いで物事を解決するために、首長の専権事項に歯止めを掛けることにしたらしいが、この様な改悪こそ民主主義を崩壊する事になる恐れがある。そもそも民主主義とは誰もが自由に色々な事が出来ることであり、それが厳密的には法律に抵触することであっても民になることであれば断行する事が出来ることである。もし、法律に抵触していると言うことならば法廷に持ち込んで争うのが民主主義の基本である。阿久根市で露呈したのは過半数の支持を得て当選した首長でも少数与党では何も出来ない現実である。総務省が制度を是正するなら首長の権限を縮小することではなく、現行では議会のリコールや専権決議でしか打開できない制度を簡単に民意を問える制度に改善する事である。この総務省の改悪に悪乗りしたのは読売新聞オンラインの記事である。記者クラブの弊害が出た御用記事そのもののであった。国家の経済が停滞し、格差社会の中で役人だけが高級を貪っている姿に国民は怒りを覚えているのである。地方都市の阿久根から火の手が上がったが、その火の手を危険視してマスコミを利用した官公庁労働組合、総務省は潰したのである。片山総務大臣など元は自冶省の役人である。身内可愛さで制度の改悪を進める姿は言語道断である。
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