Destiny!

大学の同窓の一人のご母堂が東北関東大地震で未だに消息不明となっている。今回の大地震で気になった同窓二人がいた。共に岩手県三陸の釜石周辺出身である。彼等二人は同じ高校の出身者であり、大学も「建築工学」と「電子工学」と進んだ専攻学科は違ったが、同窓となった。同窓二人の内、一人は私の故郷の茨城に所在する筑波大学の大学院に進み、その後茨城県に土着した。もう一人は大学卒業後東京で就職し、都内に住んでいる。彼等とは今年1月に新潟出身の同窓を加えて4人で新橋で久し振りに酒を酌み交わした。本当に楽しい一時を過ごし旧友を暖めあった。その時の会話で、岩手出身の二人の近況報告により、共に父親が他界したが母親が健在で、一人の方が東京に連れてきている事を知った。このため、今回の大地震で先ず気になったのは田舎に一人で住んでいる同窓のご母堂であった。しかし、大地震で連絡がつかない状況で同窓に連絡しても仕方がないと考え、災害地との電話が開通した時点を考慮して先ず、釜石市の田舎に母親がいる同窓に連絡した。この連絡が絶好のタイミングで、昨日母親を田舎から茨城の住まいに連れ来たとのことであった。話を聞けば、釜石市の市内は津波で遣られたが、市内から1km離れて少し高台にあった彼の実家は奇跡的に津波の災害から免れたとのことであった。今回の防波堤は何処も破壊されて役に立たなかったが、釜石の沖に作られていた水深の深い場所に建設されていた大きな湾口防波堤は、壊れたものの津波の勢いを削いだらしく、同窓のご母堂は救われたらしい。彼も実家と漸く連絡が取れ無事が確認できたので、思い切って新潟と山形と秋田を経由して岩手の釜石市に入ったとのことであった。彼は用意周到に準備したらしく、車もハイブリッド車を借りてガソリン入手の困難に備えたとのことであった。彼との電話でご母堂の無事が分かったので、東京にご母堂を連れてきている彼にはメールで近況を尋ねた。しかし、茨城在住の同窓と話をした時に、もう一人の同窓の実家が釜石でなく、釜石より北の大槌と言ったのが気になった。その時は直ぐに思い出せなかったのだが、大槌町は津波で大きな被害を受け、町長他役場職員の半数が行方不明になっている町であることを思い出した。長い付き合いの同窓であったが、人の記憶と言うものはいい加減なもので、同窓二人とも実家は釜石市内とばかり思っていた。その上、大槌町の実家を持つ同窓の返信メールを開いて予想していなかった内容で驚いてしまった。確かに、彼のご母堂は東京に来て生活していたのだが、2月下旬に母親の妹の入院見舞いを兼ねて帰郷していた。3月13日に帰京する予定であったとの事だが、帰郷中に大地震に遭遇し未だに消息不明とのことであった。TV報道の画面で確認したと思われるが、実家は跡形もなく消えてしまったとの事であった。彼の返信メールは今年1月の新年会のお礼から始まり、最後には私の健康を気遣ったものであった。彼は学生時代から口数がすくなく、常に冷静な男であったが、淡々としたメールには余計に彼の悲しみが伝わってきた。私はこの返信メールを読んで頭に浮かんだのは「Destiny」の一文字であった。合掌

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