現代日本の今昔物語

日本人が豊かさの階段を登り始めたのは何時頃からなのかと考えると、一般大衆的には今から41年前の1970年のモータリゼーションの始まりと言える。日本が豊かになりつつあったと言っても、東京都内の練馬区や板橋区でも未だ下水道が100%普及していなかったのが現実である。先進国の目安は上下水道の普及率と言われた時代であったので、その点から言えば日本は先進国には程遠いインフラ未整備国家であった。今でこそ公共投資は悪者扱いだが、今から41年前の日本は高速道路網も少なく、舗装道路も国道止まりと言った具合であった。そう言えば、今は地下鉄車両に冷房が入っているのは当然と思われているが、豊かさの階段の入り口時代には地下鉄車両には冷房が入っていなくて夏は蒸し風呂状態であった。その当時聞いた話では地下鉄車両には冷房を入れることが出来ないとの事であったが、人の話とはいい加減なものである事が良く分かる。日本人が本当の豊かさを感じるのはモータリゼーションから15年後の1985年ではないかと考える。1985年はプラザ合意で急激な円高となり海外の製品が安く入手出来る様になった時代である。又、海外旅行も手軽に行ける様になった時代でもある。時代を振り返ると、日本は1984年頃から土地バブルが始まり、企業の株も鰻登りに上がり、ゴルフが大衆スポーツとして人気が出てきた。この時点では高速道路も日本中で繋がり、港湾整備や空港整備、そして地方の上下水道の普及工事も達成した感があった。しかし、プラザ合意後の内需拡大の日米合意500兆円公共投資事業計画が新たに浮上し、この時期から無駄と言われる公共投資事業が始まったのである。この事に関してはマスコミも一切報道しないので、無駄な公共事業は政治家とゼネコンと官僚が仕組んだものとの誤解がある。勿論、米国の圧力合意に便乗した政治家やゼネコンや官僚が居た事も確かだが、遣らなくても良い公共事業を進めた背景には米国の介在がある事を忘れると今後の日本再生で誤る事になる。経済バブル開始から10年後の今から16年前の1995年にバブル経済は崩壊し、直ぐに阪神大震災が起きるなど日本の前途に暗い影を落とした。話は変わるが、焼肉屋のユッケ事件の牛肉に関しては、36年前は高級食材で気軽に庶民が食べられなかった記憶がある。26年前の時点でも焼肉店は高級なイメージがあり、主として接待などに利用していた。偶然のだが、1987年にインテリジェントビルと呼ばれた大型ビルを虎ノ門に竣工させた時に入居したテナントが牛肉の輸入業者であり、それで牛肉の輸入は割当制度の利権であった事を知った。尤も、記憶ではその1~2年後に牛肉の輸入自由化が始まり、その種の利権がなくなり、スーパーの牛肉が大幅に安くなったことを覚えている。勿論、幾ら安くなっても牛肉は牛肉なので、その20年後に280円で食べられるユッケが出回るとは思いもしなかった。話を本題に戻すと、バブル経済崩壊後の10年後の2005年は当時は未だ実感がなかったが、デフレ経済であるものの、不動産に関しては底をって反転したターニングポイントと言える。経済のグローバル化によって海外から安く物が入るのでデフレが止まらなかったが、3年後にリーマンショックが起きなければ日本経済はプラス成長に転じた可能性はあった。残念なことである。日本政策投資銀行の職員がデフレの原因は人口減と一部だけを捉えて論じた誤りの本がベストセラーになっているが、日本のデフレの原因は過去の経済学の本に書かれているように需要と供給のアンバランスから起きているとは必ずしも言えない。情報化社会が齎した世界平準化への過程で進んでいる現象として捉えないと本質が見えないと思われる。情報化が多くの雇用を奪い、格差社会を生み出したために、一部の金持ちと高齢者に偏った富も配分の不均衡により需要が減少している。本質的な問題が解決されない中で企業間のパイの奪い合いが有り得ない低価格を産み出し、モラル無き危うい社会を作り出した。過去を振り返るとドックイヤーと言いながら10年ごとに変化の流れが起きている。2005年から始まった10年は途中でリーマンショックに遭遇し残すは4年である。この4年後とは正に東北太平洋大震災による東北復興がなされる時期と同じなので、日本の新しい国づくりの行方がこの4年間で決まるかもしれないと予想される。大事な4年間になるかもしれない。

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