オムニバス

福岡の道路崩落事故は人的な被害がなかったので復旧の手際さに皆が驚いた様だ。しかし、同様な事故は今後も起きる可能性が予見されるので、事故の検証は重要と思われる。崩落事故の原因は地下鉄工事であったことは周知の事実だが、今回の事故に対する処理の素早さを見ると、工事会社の元請企業体の大成建設は福岡市が採用した設計上の施工法に懸念を抱いていた可能性もあると推定される。勿論、飽く迄も推測だが、そう考えても不思議でない位に事故後の処理が手早かった為だ。

幸運にも、事故後の私的な宴席で、福岡出張で偶然事故を目撃した方から話を聞く機会を得たので、手際の良さの背景を色々と考えた次第だ。目撃した方の情報では、崩落現場には近づけない程警備が厳重だったので、目撃者の方は機転を利かして近隣のビルに上がって現場を俯瞰したとの事であった。流石に長年不動産事業に関わってきた方と感心したが、その方でも事故後の処理には目を瞠った位だから尋常ではない対応と思われる。施工企業体の元請が大成建設と聞いて自民党の有力政治家を想起した。私も確認した訳ではないが、マスメディアが有力政治家の子息が大成建設の社員であることを書いた記事を目にしていたからだ。

日本の行政は縦割りだから今回の様な事故に関しては調整に時間が掛り、過去には被害を大きくしたケースが多い。しかし、今回の事故に関しては事故対策のシュミレーションが出来ていたかと錯覚するほど迅速な対応が出来た背景には件の有力政治家を抜きには語れないと言っても当たらずとも遠からずではないか。政治家が機能すれば事故の処理は被害を最小限に抑えられる見本みたいな実例だ。今回の事件を振り返ると、規模的には大きく違うが、東日本大震災と二次被害の福島原発事故に関しても、政治家が機能していれば被害はもっと抑えられたのではないかと考えてしまう。尤も、福岡の道路崩落事故の処理に有力政治家が拘わっていたと仮定した話ではあるが。

事故の処理に目を奪われると今回の事故の原因が見えなくなってしまうが、事故の遠因には財政面と効率による工法の選定に問題がなかったかである。全ての工事に言える事だが、予算ありきから入ると安全面が疎かになってしまう弊害がある。更に、近年はITによるビックデータの活用などで経験が軽視されてきていることにも事故を生む背景があると思われる。AI技術は素晴らしいと思うが、AIが絶対に人を超えることが出来ないと考えられるのは直観でなないか。直観とは単なる思い付きではない。記憶の彼方に存在しているDNAに組み込まれた無意識の世界から呼びかける声と私は考えている。科学的とは言えないが、多くの経験を積むと不自然と見えることは往々にしてリスクを孕んでいるのが分かる。

福岡の崩落事故は専門家の調査委員会の報告を待つとするが、事故ではないが東京都の豊洲の新市場の移転に関する顛末にも疑問が多い。マスメディアも報道において間違った表現を意図的かどうか知らないが流すので、専門家でない人は誤解してしまう。報道では盛り土と表現されているが、実際は覆土であるそうだ。勿論、覆土にしては高いので盛り土と言った方が適切と報道者に説明した人は考えたかどうかは知らないが、盛り土と覆土の違いは大きい。地震を考えると盛り土して建築するなど考えられないからだ。然も、盛り土(覆土)が必要だった理由も汚染を防ぐ目的の様に書かれているが、豊洲の土地は汚染されており、余所に汚染土を移送できないので、その場所で浄化させたことにより、土地が減容し覆土の必要があったからである。必要以上に覆土を高くした理由には本来はもう少し深く汚染土を処理する必要があったにもにも拘わらず、作業を減少した事に関係するかもしれないと邪推できる。

何れにしても、汚染土地を高く購入して浄化移転する必要性があったかどうかの問題点は小池知事も解明できないと推測されるので、結論的には安全性を確認して移転するシナリオが出来ていると考えられる。

オムニバスとタイトルを付けたが、内容的には違うと感じた方がいると思われるので、強いて弁解するとすれば政治家と言うのが共通の事項だ。天網恢恢疎にして漏らさずとは良く言ったもので、小池知事の登場は正に天は都民を見放してはいないと言った所だ。

 

ポピュリズム批判で終始する世論作りに懸念

英国のEU離脱の国民投票然り、米国の大統領選挙で勝利したトランプ氏に対する選挙結果然り、国民の過半数の意見を反映した結果を全てポピュリズム(大衆迎合主義)と批判する世論作りに懸念する。

ポピュリズムは情報化社会以前に大衆の不満を煽り、迎合した政治家の登場であるが、歴史的にはドイツのヒットラーが代表的な人物として上げられている。もとっも、古くはローマ時代にまで遡れるのであろうが、全ては情報化以前と言うことで一括りにすることにして今回のブログではご容赦を願いたい。

確かに情報化以前並びに教育制度の不備な時代の社会では、一部の有識者によって政治などが行われることに妥当性はあったかもしれないが、今や先進国においては教育制度も充実し、現代の様な情報化社会になれば、過去の様に一部の人達が情報や知識を有していた時代とは一線を画すべきと思われる。

英国や米国で起きた反グローバルリズムは、経済に偏重したグローバル化により、世界がフラット化する中で起きている格差社会を肯定するマスコミや政治家に対する憤りである。イノベーションによって世界が変わると喧伝されているが、情報化社会のイノベーションは人々から職を奪うばかりであり、イノベーションの恩恵は少数の人達に集中しているのが現実である。その現実を認識し、逆にマスコミも政治家も格差社会を助長し、一向に大衆に目も向けないで格差社会に足掻いている人達に対して努力が足りないなどと無責任な言動に対して国民が怒っているのである。国民の窮状を汲取って登場した政治家や枠組みを問う国民投票に対してグローバル経済や移民に対する批判をする多くの国民の意見を無視する為政者にたいしては、NOなのである。

情報化社会は人々に多くの機会を与えているが、本来ならば今回の情報イノベーションは政治社会体制まで変わる必要があるにも拘わらず、実際は政治社会の仕組みは殆ど変っていないことに問題があると思われる。歴史的には、そして科学的にも栄枯盛衰は避けられないものあることは理解できる。高校時代に暗記させられた平家物語の冒頭の一説が今でも思い出される。政治家やメディアは岩盤規制などと他人事の様に指摘しているが、岩盤規制に恩恵を受けている政治家やマスメディアが現体制を維持しているので変わっていないことにも一因がある。特に、近年は批判を国民に集中して国家に甘えるななどとの言動が多いが、国民は国家など何時でも捨てられるのを分かっていない暴言だ。国民を守らない国家など不要であり、それに気づかないで利権を謳歌している政治家や利権連中には大衆の意見など目障りなだけなので、国民の意見を聞く指導者をポピュリズム批判で葬る意図が明らかだ。

世界的に起きている大衆の動きは情報化が引き起こした経済社会の大変革に対する政治と社会のシステムが旧態依然である不満からと言える。それをポピュリズムの一言で片づけるマスメディアや政治家は愚かの一言に尽きる。何時の時代でも大衆は時代の流れを読んで為政者を変えて生き残ってきた歴史を忘れてはならない。

ドメステックな街の不動産屋が今の世界の動きを見て

米国の大統領選挙は多くの予想に反してトランプ氏が勝利した。この多くの予想に反してとは大手のマスコミが報道したことを鵜呑みにしての事だ。英国のEU離脱の国民投票の結果に対しても同様だが、大手のマスコミの事前の予想と違った結果が出ると愚かな選択をしたと大手のマスコミの予想と違った行動を取った人々を蔑む。マスコミに従事する多くの人々は何時から国民の声が聞こえなくなったのかと歴史を振り返ると、何時の時代にも国民の声など聞いていなかったことが分かる。国民を間違った方向に誘導していたのは大手のマスメディアだった。

大手のマスメディアが国民の声と違った立場になるのは少し考えると理解できる。資本主義の社会では大手のメディアが購読料だけでは運営費と利益がでないので、殆どのメスメディアが広告収入で成り立っている事実である。広告収入は企業と政府から得ているのである。

マスメディア批判は今回の本筋でないので本題に戻るが、ITの発達でグローバル化が進められて来た結果、世界中でフラット化現象が起きており、この流れは先進国の国民にとっては好ましい事ではない事実だ。経済と言う本質を考えると、過去には違いが利益を産み出していたことが分かる。違いは時間軸の中で解消されるのだが、それまでは早く気が付いた企業や人が利益を享受できたのである。しかし、IT時代は情報が瞬時に世界中を駆け巡るので、違いだけでは利益を手にできなくなった。勿論、早く情報を得た企業や人には「特許」と言う独占的利益を享受できるシステムが構築されているのだが、問題はこの特許と言う制限がフラットな世界に向かう中で格差を生み出し、社会の歪みを作り出している存在でもある。

英国のEU離脱、米国のトランプ氏の大統領選挙の勝利に関しては、全てにおいて半周遅れで歩んでいる日本には理解できないものと映っている。しかし、良く考えると、今日のグローバル経済や金融資本主義をリードして来たのは英国と米国と言うことを忘れてはならない。その英国と米国で反グローバルが起きたことは日本でも今後起きてくるという事だ。その根拠は安倍ノミクスで日本経済は復興しないし、グローバル時代の中で円安輸出主導で解決できる様な単純な社会ではなくなったことだ。TPP反対の米国大統領が出現することは日本にとって首の皮一枚残ったことになる。地方経済は工場の海外移転や公共事業の削減で、今や農業・林業・漁業から生じる所得を無視できなくなっているからだ。TPPは地方経済の最後の砦を失うことになり、政府が試算している様なTPP効果の経済成長などフラットに向かっている世界では望むべくもないからだ。

さて、来年にトランプ氏が大統領になると何が変わるかだが、過去を振り返ると日米の経済摩擦は労働者の支持を得ている民主党大統領の時に起きている。日本の多くの国民はマスメディアで誤魔化されているので、米国は民主党の大統領の時の方が日本にとって良いと勘違いしてる。日米貿易摩擦は民主党のケネディ大統領の時に起きたことを忘れてはならない。今回のトランプ氏で気になるのは、民主党大統領の様な他国への干渉の発言が目立つ事だが、この発言の裏には民主党の大統領の様な他国への米国制度の押し付けではなく、保護主義と考えた方が良いと思われる。そうなると、来年は円高になることも覚悟する必要があり、観光客によるインバウンド効果も減少する可能性が高い。しかし、円高は地方経済にとっては悪いことではない。過去の様に円高で海外に工場移転した時代は終わったので、多くの資源に対する海外依存の高い日本にとってはプラスの面が多い。円安が日本経済を再生すると言う考え方は、内需が70%の現代においては間違っていると言わざるを得ない。

長々と書いてきたが経済理論的には冗長度が高い程良いと言われるので正しいと自負しているが、読んできた人にとっては結論が見えず飽きてきた頃と思うので、この辺で街の不動産屋の考えを纏めると、経済の拡大ではなく、少子高齢化社会に向けて経済の縮小に向けて地域をブロックとして自立する経済を構築する方向に向かうと推定できる。中央政府による統治ではなく、地域をブロックして相互に依存する統治の仕方である。インフラ自体もコンパクトにする必要がある。その点から言えば、リニアなどは時代遅れの過剰投資であり、将来のお荷物になる可能性が高い。

空気の中で進められる無責任さ

DSC_0430.JPG小池都知事は豊洲プロジェクトが一般的に説明されていた全面的な盛り土でなく、コンクリート躯体に変わった経緯について纏められた調査報告書では、責任者不在で空気の中で進められたことと結論付けられていることを公表した。

今回の調査は推測だが現場会議の議事録も何も残されていないので、結局当時の担当者のヒアリングしか解明する方法がなく、空気の中で決められたとしか言いようがなかったと考えられる。

以前に政府の機関の会議で議事録を作成しない事にしたとメディアが報道したのを聞いて驚いた。重要事項を決めるのに議事録を作成しないほど無責任なことはない。

会議の議事録を作成しない風潮は何時からかと振り返ると、日本経済バブル崩壊後数年経過した頃と思われる。議事録を作成しないのは、行政の会議ばかりではなく、民間でも同様となった。当社の業界では、現場会議の議事録が全体会議、専門会議を含めて全部議事録を取り、会議の参加者に議事録の内容を確認して貰って最後に捺印を貰ったものだ。議事録がないと設計変更など重要な変更に対する責任が不明確になる上に、当然に工事金額の清算が伴うので議事録作成と変更承認は一体かした事務処理の仕方である。しかし、我々の業界も議事録の重要性を認識する人達は減少した。否、重要性を認識しないのではなく、後日自分の意見が間違った時を考えて議事録を残さないようになったと言うべきであろう。

都庁の豊洲プロジェクトも現場会議が行われているのは当然であり、今回の様な設計変更が伴う事項に関しては、技術的な検証を含めて相当の資料が存在することは疑いもない。特に、行政の場合には手続きに関して民間企業より厳しい対応が求められるので、空気の中で決められた説明では都民は納得しない。

今回のブログで野村秋介と言う人物伝を掲載したのは、23年前に現代の様な不条理と無責任社会に憤り朝日新聞社内で自決した事実を認識してもらいたいからだ。野村秋介は右翼と言われたので、一般の人はその事だけで偏見の目で見てしまうと思われるが、彼ほど言行一致の生き方をした人は居ないであろう。言葉に責任を持つ重要性が今の社会では希薄になった。偉そうに言う金持ちは多いが、偉そうに言う貧乏人はいなくなった。古より、社会は偉そうに言う貧乏人がいなくなれば社会はダメになると指摘されている。また、明治維新の功労者の西郷隆盛が指摘した「金も名誉もいらない人は始末に困る」といった人物がいないと社会は間違った方向に流されるという事だ。

現代社会は権力にすり寄って利権を求める輩が多くなった。然も、その様な輩が跳梁跋扈しているので、社会が良くなる訳がない。今回、野村秋介の人物伝を掲載したが、私は思想的には共鳴していない。しかし、右翼も左翼も反権力で根底の弱者に対する救済と言う考え方で私も一致するからである。日本人は個人主義を自己利益追求主義と勘違いしている人が多い。豊かな社会を実現したが、逆に豊かさを失うのが怖くて必死になっている。戦前戦後を生きてきた人達と、戦後しか知らない人達とは基本的に違う人種と思われる位考え方は異なっている。今や戦後世代が社会をリードしてきているが、その戦後生まれの指導者たちを見ると、言葉の重さを知る人は少ない。況してや、後日の責任を怖がって議事録も作成しないで重要な事を隠すのを見ると暗澹たる思いがする。豊洲プロジェクトの問題は今後の東京オリンピックのプロジェクトとも相関することなので、どの様に解決を図るのか注視して行くことが重要と思われる。

故遠藤光男先生のお別れ会で想起した事

弊社が共同事業で建築した虎ノ門ビルのテナントとして長く借りて頂いてる弁護士事務所の開設者のお別れ会に出席した。平成4年10月12日に当該ビルに移転して来られたので、今年で24年目になります。最初は7階フロアでしたが、その後平成12年には事務所拡張の為に2階に移転され、その後も2階で拡張されました。

開設者の方は、遠藤光男先生で、最高裁判所の判事を始め、多くの要職を歴任された方でした。最高裁の判事には当該ビルに入居頂いてからでしたので、当該ビルとしても名誉の事でした。確か、事務所に日本酒を持参してお祝い申し上げた記憶があります。最高裁判事就任と同時に事務所の運営は事務所のパートナーの高須順一先生にお任せになりました。移転時には知りませんでしたが、判事就任等から遠藤先生が法政大学ご出身で、長く法政大学の講師として後輩の育成に携わってきたことも知りました。

人の縁とは不思議なもので、私のクライアントの顧問会計士が遠藤先生を良くご存じでお仕事のお付き合いのある方でした。それが分かったのはお互いに出会ってから10年以上経ってからでした。打ち合わせに当該ビルに来られた時に入居している遠藤先生をご存じで立派な方と話されたことを覚えています。この時以来、顧問会計士に信頼を得てクライアントと良好な関係が維持できて今では資産管理の業務を委託されています。遠藤先生とは直接的な関係の事ではありませんが、世間は狭いとその時には思いました。

遠藤法律事務所が入られて数年後に経済バブルが破たんしビルの経営も賃料の大幅な下落で大変な時期がありました。当時は遠藤高須法律事務所としてお借り頂いていたのですが、法政大学に講師として両先生とも携わっていらしてたので、大学に近い所の方が便利であり、賃料の安いオフィスビルもあり、移転の懸念を持ちましたが、遠藤先生は虎ノ門の方が賃料が高いけど出身地なので維持したいとお話をお聞きし、理解した経緯もありました。建物管理を長く行っている間には多くのテナントの方と接してきました。弊社が管理するビルに対して色々な評価を頂いた結果ですが、確かに現在は生家がないが、出身地という事で借りてくれる方もいます。貸し手としては有難いテナントです。一方、偶然とかその時にその地域に階りる必要があったテナントもいます。この手のテナントは入居している建物や地域に愛着がないので、何れ退出するテナントとして管理会社としては事務的な対応に終始します。

テナントの話ですが、以前にNTTの関係会社に数フロア借りていただいたビルがあります。賃料交渉時に本社が入居している芝浦のビルに比較して弊社が管理しているビルの賃料が高いのでと引き下げ要請を受けたことがあります。その時のやり取りですが、弊社はビルの立地と固定資産税が違う事を理由に引き下げ要請を拒否したことがありました。この時に、NTTの方は立地や入居ビルの格などを考えたことがないと反論しましたので、世の中には有名企業ばかりでなく、信用を得るために高い賃料のビルに入居する会社もあることを新宿の高層ビルを例にとり教えました。固定資産税と賃料の相関関係も知らないのが驚きでしたが、NTTの前身は電電公社なのが良くわかりました。

話が逸れましたが、建物管理で嬉しいことは入居ビルを評価して使って頂けるテナントです。弊社は建物管理はサービス業と心得ていますが、多くはオーナーの代理としてオーナーの顔だけ見て管理している会社です。この様な管理会社はオーナーに結果的に不利益をあたえることを知りません。

遠藤法律事務所から遠藤・高須法律事務所、そして現在は高須・高林法律事務所として24年の長きにわたりお使いいただいることに感謝です。故遠藤先生のお別れ会は法政大学のホールで行われ、参加者は700名とのことでした。勲一等瑞宝章の受賞と最高裁判所の判事の他要職を歴任していたからか天皇陛下からの供花が目を引きました。知り合いが少ない会場を見渡したところ、件の顧問会計士をお見かけし、故遠藤先生の事で人との縁の不思議さを再度話しました。顧問会計士は何度も遠藤先生の様な温和な癒しの弁護士には後にも先にも出会ったことがないと協調されていました。合掌

 

愛宕一丁目計画案の異常さ

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森ビルの愛宕一丁目計画案の説明会が入居ビルのポストに入っていた。

計画概要を見て目を疑った。・敷地面積6,535.76㎡に対して容積対象床面積が78,420㎡と指定許容容積率600%の2倍の1200%であった。

更に、驚いたのは延べ床面積が121,000㎡と容積対象床面積の1.54倍の異常さであった。対象の土地は、第二種住居地域と商業地域で構成されており、風致地区であるエリアである。安倍ノミクスの特区に指定され、再開発促進区で地区計画区域となったが、何故か他の同様な区域と比べても恵まれ過ぎた計画案となっている。

添付図は計画概要だが、都知事選でも都会議員の利権が指摘されていたが、当該計画概要も小池知事には都会議員の関与がなかったどうか調査することを提案したい。確か、当該計画の様な場合には、都議会議員で構成された委員会で審議されると言う記事を目にしたが、大盤振る舞いの計画案を黙認する代わりに、建築工事に際して息のかかった業者を使ってもらう話がなかったとは言え切れなくなった。今にして思うと、都内の多くの場所で都の職員が一部の地権者に便宜を図っているケースが近年になく目立っていた。

都知事選挙で自民党の実力都会議員が利権を我が物にして都の職員を使っているのは許せない事だ。愛宕一丁目計画が同じ特区でも恵まれ過ぎた計画になった理由を問いただす必要がある。しかし、景気回復を理由に不公平なことを平気で行う政治など国民の為にはならない。日銀のマイナス金利も保険会社に積み立てた個人年金を減少させるなど景気回復とは逆な手法を取っている。過去の経済バブル以上の資金が不動産投資に流れている記事が掲載されていたが、建築した投資マンションの入居率は下がるばかりだ。少子高齢化社会で多くの工場の海外移転後の日本では、現行の政策では経済成長など覚束ない。景気回復させたいなら預金金利を上げられる政策で、消費者に金を使わせることだ。財政的に医療費や年金を削減する方向にいっているので国民は金など使わない。今回のツケがどの様な形で来るのか今から考えておいた方が良い様だ。

何時か来た道!!

弊社が世田谷区内で管理組合業務代行を受託しているマンションで興味ある出来事があった。同マンションは小田急線の環状八号線を超えない駅から徒歩3分ほどの便利な場所にあるが、築年数35年で1階に店舗を持つ小規模なものである。6階の最上階にある部屋の所有者が急逝し、相続人の娘さんが売却したのだが、購入者は業者であった。業者はリフォームして売りに出したのだが、販売価格は相場より20~30%高い設定で、1ヶ月くらいで転売できた。販売価格で売れたかは不明だが、今度の買い手も業者の様だ。所有権移転したにも拘わらず所有者変更手続きを行わないので、多分転売目的で購入したと推定出来る。

このことがなぜ興味を引くかであるが、建替え時期が来た都心の規模が大きいマンションや開発エリアに位置する立地するマンションでもなく、どう分析してもマンション転がしの対象になる物件ではない為である。東京オリンピックに向かって都内の土地価格は上昇気味だが、現在の相場は土地投機と思われるほどは上がっていない。しかし、建築費に限れば1~2年で2倍以上になり、恐るべき建築コストインフレだ。高騰の理由は資機材の上昇ではなく、偏に人件費の上昇と言えるが、建設会社としては仕事量が多いので、安く請けることはないからでもある。古い話になるが、弊社が等価交換と言われる方式でマンションの共同再開発事業を推進していた時の事だが、当時も土地価格以上に建築費が高く、。デベロッパーと地権者の交換比率は70対30であった。この話をすると誰もが信じられないと言う顔をするが、真実である。当時の建築費が高かったのは人件費のためでなく、資機材が高かったからだ。何れにしても、土地価格に対する建築費が1975年当時に回帰した訳であり、この現象から派生するのが今回の世田谷の小規模なマンションの区分所有転売とするならば、いつか来た道になるかだ。

マイナス金利が効果を現し、不動産投機が生じてきたかは判断できにくいが、今後はインカムの収入の賃料の動きを注視する必要がある。不動産証券化以降は需給のバランスなど関係ない不動産投資が行われて来ており、それを支えているのが、規制緩和や景気回復に対する政策、更には省エネなど既存ビルに対する競争力を持った建物だ。この為、既存ビルは競争力を弱め、新しいビルは競争力を高める図式は今後も続くと思われるが、既存ビルも発想の転換によるリノベーションで競争力を回復しているケースも見受けられ、引き続き判断に困る状況が続くと推測される。AIやロボットなどIoTにおける科学技術の進歩の波も不動産業界に押し寄せるのは間違いなく、世田谷の小規模マンションの区分所有の転売で利益を得る事が今後も可能かは、結局、資金の供給先の問題に帰結する。

雑感

リオオリンピックで日本は多くのメダルを獲得した。子供の頃からクラブに入り良きコーチに指導を得たことも一因と思われるが、選手のインタビューを聞いていると過去の東京オリンピック当時の日本の為にと言う言葉ではなく、自分やチームの為に頑張ったと答えたのが印象的だった。我々の世代は戦前の教育を受けた世代を親に持っているので滅私奉公が根底にある。それがプレッシャーになり力を発揮できなかったケースも見られた。特に、マスコミなどは選手に日本を意識させるインタビューを行って余計なプレッシャーを与えていた。漸く日本も島国根性から解放されたかと嬉しくなる。

しかし、余計なお世話かもしれないが、今回のリオオリンピックのメダル獲得は予想以上のものと思われ、4年後の東京オリンピックでは今回以上のメダルを期待されることになり、大変と思っている関係者もいると思われる。運動団体は閉鎖的な上、昨今は利権とも関係しているので、厄介な存在であることは確かだ。私の友人の娘さんがNYで育ち日本の有名大学を卒業し、スイスにあるオリンピック委員会指定の大学の大学院で学んで日本のオリンピック関係の組織に就職を希望したが、日本で運動選手の実績がないとの理由で働くことが出来なかった。世界中から学びに来ており、全ての生徒は卒業後に母国のオリンピック組織に就職しているとのことで、日本だけが受け入れないのを聞くと情けない気がする。友人の娘さんは今は全米テニス協会に正社員として採用され、忙しい日々を過ごしている。

運動選手として実績を上げた人しか受け入れない組織は、大きく時代が変わろうとする現代で多様な知見が必要とされる時代に合っては滅亡した恐竜ならないかと心配する。勿論、体操競技で団体金メダルを取った内村を筆頭にした選手を見ると運動選手としての能力だけでなく、人格を備えているので、彼らが指導者として成長すればと期待したい。余計なお世話と言われそうだ。

記憶喪失症の社会

本当に現代社会は記憶喪失に罹ったかと勘違いするほど前言を忘れて跳梁跋扈する輩が多い。関西電力の高浜原発が40年経過しているが、今回、福島第一原発事故後に40年とした原発寿命を20年延長することを原子力規制委員会が認めた。福島第一原発も40年経過していたが、当初計画を変更して延長稼働を決めたのは経済産業省が進めた電力自由化が背景にあった。電力各社は電力自由化に対して財務効率等を余儀なくされ、福島第一原発も津波対策などに再投資をすることを決断できなかった。

経済産業省が進めた電力自由化がグローバル経済に対する競争力を高めると言うのは建て前で、本音は政治家を金で籠絡して経済産業省の圧力を抗してきた電力会社に対する主導権を取り戻す目的であった。この為、電力会社が国策で進めてきた過剰な電力供給設備に対する配慮が電力自由化には欠けていた為に問題が生じている。地震大国に原発立地を推進させ、電力自由化の対する電力会社の財務体質の強化の為に無謀にも老朽化した原発の稼働延長を認めざるを得ない矛盾した政策で何時も被害を受けるのは国民だ。

安倍内閣は経済再生に賃金アップを掲げているが、グローバル競争に勝つために非雇用者制度を作ったのは誰だと言いたい。然も、企業の内部留保に批判を強めているが、誰が多額の内部留保ができる法人税引き下げを行ったのかと言いたい。企業が内部留保金を設備投資に回さないために内部留保金に対する課税の議論も出てきているが、ふざけるなと言いたい。日本は社会主義国家ではない。

昨今は政治家と官僚はマスメディアを利用した情報操作も行って来ており、日銀のマイナス金利が近い将来の年金システムを破壊することになることを言及した記事は少ない。政治家が無責任になったのには幾つかの理由があるが、そのひとつには官僚と同じ責任を取らなくても良い風潮が生まれたことだ。特に、政治家は選挙で勝てば禊になり、過去の言動と行動が免罪される様な風潮である。政治家の失敗に免罪符はない。何回選挙で当選して来ようが、過去に大きな誤りがあれば能力の問題なので直ちに議員を辞職するのが禊だ。

政策に対する無責任な生き方が出来た官僚に政治の助言を求めている今の政治家は無責任にならざるを得ない。記憶喪失症社会とは責任を取らなくてよい官僚から発し、今や政治家や企業経営者にまで害が及んでいる。

原子力発電に対する最終的な答えが出ていないのにも拘わらず途中で電力自由化を進めてより一層原発問題を複雑にした経済産業省の役人の無責任さは正に無謀な太平洋戦争に突入した馬鹿な昭和の軍人官僚と同じと思われる。

その官僚と政治家がデフレ脱却だけの処方箋で経済再生が可能と馬鹿な一つ覚えを呪文のように唱えて国民をだまし続けている。自らの矛盾した政策を棚に上げて賃金を上げない企業が悪い、設備投資しない企業が悪いと魔女狩りの様相を呈してきている。

この様な社会の行く末は、常に悪者を仕立て国民にバッシングさせることであり、舛添都知事の如く2年半の政策を評価することなしに、当初から分かっていた政治資金支出の問題を殊更取り上げて東京オリンピックを邪魔する都知事を魔女狩りにしたことは今後に起きる前哨戦だろう。スポーツに目を向けさせて国民を騙す手立ては独裁者の手口だが、無能な政治家が目指す道でもある。それにしても、田中角栄と言う政治家の汚職で政治と金に対する規制がその後の政治家をダメにした。その角栄が今再度脚光を浴びているとは恐れ入り屋の鬼子母神だ。

100年前に書かれた本「日本の禍機(著者:朝河貫一)」を読んで

朝河貫一氏の名前は国会に設けられた福島原子力発電所事故調査委員会の委員長であった黒川清氏の著作で初めて知った。 DSC_0099.JPG福島県二本松市の出身で日本人として初めて米国の名門大学の教授に就任した人物だ。ダートマス大学、イェール大学に学んだ英才だが、父親は二本松の藩士で、明治維新の戊辰戦争で政府軍と戦った。戦後は福島県内の学校で教職を得ている。

朝河貫一は父から漢文や武士道精神を学んだが、二本松藩は小藩ながら会津藩を支援する為に政府軍と壮絶な戦いをして落城しているので、机上の武士道ではなく、戦場経験者の武士道と言える。

福島尋常中学(現福島県立安積高校)、東京専門学校(現早稲田大学)を首席で卒業し、米国のダートマス大学に留学した。ダートマス大学でも優秀だったので、同大学から奨学金を得てイェール大学院に進んだ。

朝河が米国で大学教授の時に日露戦争が起きたので、朝河は日本の為に「日露衝突」を英語で書いて日本の大義を世界に訴えた。この本で日本が大国の露国に対して戦争を余儀なくされたことを世界に知らしめ、その功績は大きかったと言われている。

しかし、朝河貫一は日露戦争後に日本が大陸に覇権を求めるのは大義がなく、露国と同様の古い時代の侵略主義に陥ることは米国との対立を招くことになり危険であると警告した。それが日本語で書いた「日本の禍機」である。米国はスペイン戦争でフィリピンを得たことにより、ハワイを併合し太平洋重視に転じ、支那との友好を模索していた。特に、先駆けて米国の企業が満州などに商権の拡大に動いていた。この為、朝河は日本が南満州・支那に対して権利以上に侵略する行為は自由貿易の新しい時代に逆行し、米国と対立する懸念を指摘した。支那は米国の意向を利用し、日本を侵略者として米国に支援を求めることになった。米国が日露戦争で日本を支援したのは日本が露国に代わって満州や中国大陸に進出することではなく、旧植民地制度から自由貿易に流れを変える新植民地制度になることを期待しての事だった。朝河から見れば、日露戦争で多大な犠牲を払った日本が南満州に橋頭保を築き、大陸進出の足掛かりを作るのは否定していないが、支那の権利を阻害し、南満州で権利以上に勢力を拡大することは、米国との戦争になり、米国の強大さを考えると日本が戦争に負けること指摘していた。

この本では日本が世界から孤立して国運を誤らない事を切に論じている。外国企業が伝える誤った情報で世界の人々が動くことの危険性にも触れている。また、日本人の長所と短所を指摘している他、漢字の不思議な効果を説明し、漢字を日本人が用いることで独立的な思考が犠牲になり、判断力が奪われる危険性を指摘している。余りにも妥協しやすい日本人の特性は漢字に対する無批判的な幼稚さに基づいていると分析している。漢文を学びながら外国語に精通した朝河が見た日本人観と言える。特に、反省しない責任を負わない日本人の性質に対して危惧しているが、その状況は現在も変わっていなことに日本の将来が危ういのかもしれない。

日本人はキリスト教国家の国民の様に神に対する責任がなく、日本の裁判所での宣誓も欧米の人々の様に神の存在によるものではないので、希薄に感じるのは私だけでないと思われる。日本人の反省心や責任の欠如を武士道精神が補ってきたかもしれないが、日本人の大半は武士の出ではない。武士道精神などといっても無理がある。武士階級の遺伝子を持たない多くの日本人は時流に流されやすいと指摘されている。戦後に天皇絶対性が崩壊した後に日本人が目指したのは豊かさと言うお金であった。戦後の日本人の多くは拝金教の信者であり、政治家の田中角栄は正に拝金教国家が産んだ鬼っ子だった。石原慎太郎始め、多くの者が経済低迷から抜け出させない日本に再度拝金教を日本人に植え付けようとしている。馬鹿げた行為だ。

日本の将来を考えるには、福島原発事故を起こしたような日本人の考え方を変えることが必要であり、改めて100年前に書かれた"日本の禍機"を読むことが必要と考える。

マイナス金利は誰の為か

日銀のマイナス金利政策に関しては良く分からないと言うのが国民の大多数の意見と思われる。

欧州各国では既にマイナス金利を導入している事を聞くと、マイナス金利は景気回復に本当に有効なのかと疑念も湧いてくる。日本も欧州のマイナス金利に倣うとすれば、マイナス金利の幅は今後拡大すると見た方が良いことになる。EU加盟国は一元的なユーロー通貨なので、通貨の切り下げによる輸出の拡大などの手段は取れないし、財政出動も財政規律の制約もあり、景気回復の手段は限られている。この為欧州各国にとっては景気対策で取りえる有効な政策と考えられる。翻って、日本は単独で通貨の切り下げも財政出動も中央銀行による国債買い入れも可能であるので、何故マイナス金利を導入したのかと素人ながら疑問が湧く。

勿論、日銀が行ってきた国債や社債などの購入に限界が来たのでマイナス金利しか方法がなかったとの報道も目にするが、報道されたことで逆に真実ではないと疑い深い私は考える。マイナス金利に関しては頭がもやもやしていたが、ひとつの記事が私の考えていたことを裏付けた。私は黒田日銀総裁は安倍首相が経済再生に専心しないで政治の軸足を外交と国防と憲法改正に置いていることに対する不満で古巣の財務省を利する政策がマイナス金利導入ではないかと考えていたからだ。

黒田日銀総裁も熊本の地震は想定していなかったであろうが、経済再生と地震の被災地復興の為に資金を必要とする政府に力を貸すほか、財務省は入札で国債利回りがマイナスになり、借金をするのに利息を受け取れる状況だ。また、日本の国債の利回りが0.4%なので財政的には節約できることになり、国債の一部を景気刺激策に使える勘定だ。

問題はマイナス金利の副作用だが、これに関してはマイナス金利導入の先駆者の欧州・デンマークの事例が教訓となりそうだ。マイナス金利が長期に続くと貯蓄を増やして投資を減らす結果になっているとのことだ。デンマークの年金・投資貯蓄は約6000億ドル(約64兆円)であり、この資金運用担当者によれば、低金利が投資を促進すると言うロジックは金利がゼロを下回ると通用しないと指摘いている。その理由としては、ゼロ金利の極端な政策は予測できる結果がない危機の兆候と企業と消費者は考えるからだと推測されている。将来のリターンやリスクの透明性が乏しい為、将来の購買力を守ろうと貯蓄を増やし、リスクの低い資産を選ぶことになるそうだ。従って、ゼロ金利は国民を守る為の政策ではなく、国家を守る政策であることを理解した次第。

 

黒川清氏の「規制の虜」を読んで

黒川書籍.JPG黒川清氏は東日本大震災時の福島第一原子力発電所の事故を究明する目的で国会に設置された調査委員会の委員長でした。

事故後5年経過するのに何も解決していないことと、事故調の提案も国会でその後の議論が殆ど起きていないことに憂いて本書を上梓したと書いている。

同書で、日本の憲政史上初めての国会調査委員会として設置されたと書かれており、改めてその意義を日本人は考えるべきと思われる。

国会事故調が福一事故は地震や津波による自然災害ではなく、人災が引き起こしたと結論付けている。私も原子力行政に拘わった知人がいるので、一般の人よりは原子力発電と福一事故に関しては知識を有しているので、国会事故調の報告書は大いに評価できる。

今、黒川氏が憂いているのは、国会事故調で報告した安全性に対する問題点を国会で全く議論がなされていない上、福一事故処理も解決の目途が立っていないのに、再稼働だけが先行していることだ。九州電力の川内原発の再稼働に対して事故が起きた時の責任に対して政府は電力会社と発言した。黒川氏は国会事故調のヒアリングで上に行くほど無責任になる日本の組織に対してグループシンキングの悪弊と断定した。確かに、明治以降、否江戸時代から同様であったのかもしれないが、誰も同じ考えを持つ教育が日本に存在する。

東日本大震災以降、日本列島は地殻変動期に入ったと思うのは常識的な考えだ。その検証もなしに原発再稼働と原発輸出の掛け声だけが聞こえている現状は異常だが、日本人の多くは思っていない様だ。黒川氏が指摘する様に大手メディアの責任もある。福一原発の事故を含め大量に保管されている使用済み核燃料の再処理や高レベル廃棄物最終処分場も決まっていないのに、再稼働だけが先行する事態は常識的には考えらない。台風一過性民族の先送り体質かと考えるしか理解できない。

黒川氏が米国の学者の書物から「日本の文化は中国から伝来されて独自の文化を造ったが、その文化は世界の何処にも存在しない固有種」を引用して世界の孤児になる危険性も指摘している。一国の首相に福一はアンダーコントロールにあると言わせる役人の無責任さが国家を滅ぼす。

 

民泊の深読み

東京オリンピック開催と挨俟った観光立国による経済再生で宿泊施設が大幅に不足するなどどマスコミなどは囃しており、民泊で不足を補う他にないと世間は喧しい。昔からマスコミが騒ぎ出したら要注意だが、今回の民泊は分かり過ぎて嫌になる。少子高齢化社会で住宅は過剰になるのだが、先進国の経済を良くするには不動産を動かして消費財の生産を上げるしかないのだが、日本の場合は誰が見ても先行きは暗い。この為、役人などは机上の理論を駆使して国民を騙す作戦を進めることになる。このお先棒を担ぐのが大手のマスコミと御用学者と御用評論家だ。東京オリンピック開催は正に詐欺師のお膳立てが揃ったことになる。

冷静に考えれば分かることだが、金持ちでない民泊する旅行客が増えても無駄な消費はしないので経済効果が期待できないのは自明だ。欧州は観光客が多いが、それでも経済が破たんしているのを見ても分かる通り、観光業などで世界第三位の経済大国の日本のGDPなど増加しない。民泊を煽るのは住宅投資を増やすことで経済を良くしたいと考えているからだ。金融資本主義は昔の京都の経済と似ており、需給で物が動くのではなく、最後にババを引かせるゲームと言える。民泊問題では住宅投資に参入し、売り抜けたものが勝者だ。

絶対需要が期待できない少子高齢化社会で過剰気味な住宅を解消するには民泊の活用が最適だ。本当に世の中には頭が良い者がいると思われる。投資はギャンブルと似ており、収支計算の結果は将来に先送りになっている。この為、誰もが損をしているとは考えないばかりか、自分だけは売り逃げられると過剰な期待感で頭の中は埋まっている。尤も、少数だが損をしない者もいることは確かだが、それは話題になった時に売っている人達だ。大半の人達は東京オリンピック開催までは大丈夫と読んで動いているのは確かなので、ババを引かない為には一度利益を確定することも重要と言える。

 

国交省の不動産価格上昇を目論んだ蜃気楼政策

国交省は介護施設など不動産投資に30兆円、ホテル不足に容積率の緩和など大々的にマスメディアを通してアドバルーン発言を打ち上げている。この様な記事を目にすると30年前の当時、国交省が建設省や運輸省、国土庁と名乗った時代にマスメディアに同様打ち上げたアドバルーン発言を否応なしに想起した。金融都市の東京にはビルが少ない、リゾート時代到来にヨットハーバーなどレジャー施設が足りないなど民間企業に投資を煽るものであった。還暦を超えた世代は行政に煽られて行ったプロジェクトがどの様な顛末を辿ったかは周知の事実だ。

勿論、当時と現在とは直接金融時代と間接金融時代と金融の背景が大きく異なるので比較しても意味がないと反論されるかもしれないが、アドバルーン発言による仮想需要と実際の需要とのかい離が引き起こす結果は同じであり、不動産証券化手法によるリスクの拡散で被害者は想定以上に拡大することを考えるべきだ。

日本の経済再生には私も賛成だが、日本を破たんに導くような蜃気楼政策には断固反対だ。安倍内閣の政策顧問をしているイェール大学名誉教授の浜田宏一が2013年12月に書いた「アメリカは日本経済の復活を知っている」を再度読み直した。日銀のデフレ金融政策を批判し、世界経済の新しい潮流から日本は孤立していると断言し、今日の経済再生には財政政策ではなく、金融政策が有効と主張したものだ。正に、安倍政権は浜田宏一の提言を受け入れて金融政策により円安と輸出拡大で株価を上昇させて景気回復を目論むシナリオ通りなのが分かる。

浜田宏一は、日銀OBの書いた「人口減少がデフレ原因」に対して強烈に批判している。人口減少は逆にインフレを発生させると断言している。浜田宏一は経済学的視点からではなく社会学的視点から本を書いたと述べた通り、日本の学者やマスコミの問題点を挙げており、幾つかの点で私も真実と評価している。しかし、今日の日本経済の停滞を日銀と財務省にだけ責任を負わせる主張には無理があると言わざるを得ない。1985年9月のプラザ合意に基づく円高対策で行った金融緩和と内需の為の財政出動によって引き起こされた未曾有のバブル経済と崩壊、その後に起きた不可思議な通貨危機を考えると、浜田宏一は世界金融政策に同調するリスクの大きさを考慮していないと言わざるを得ない。

円安が日本を救う考え方は、日本から多くの工場が移転する前の事であり、日本製品の多くの部品が海外の工場から輸入する現在では、円安だけでは解決できない問題が横たわっている。円安で地方経済が再生しないのは地方に工場がなくなってるからに他ならない。尤も、円安で再度国内に工場が戻ってくると期待する意見もあるが、グローバル経済では円安だけで戻ることはない。少子高齢化の日本で低賃金の労働者を確保するのは困難だからだ。

日本経済再生のマイナス要因は非正規労働者の出現だ。小泉政権時代に派遣法を改正して工場労働者に対する非正規雇用者を作り出した。円高に対する為替調整に対応するものと成立時には説明がなされた。非正規雇用が拡大し、現在では雇用全体の40%を占めるまでに至り、低所得者層の大幅拡大は消費の低下を引き起こし、同時に飲食店等は低価格料金の店舗展開を図ったのである。バブル経済後に資産デフレが起きたが、商品のデフレは単に円高だけから起きたものではなく、政府の構造改革などの価格破壊にも起因しているのである。この為、浜田宏一が主張するように金融政策で円安株高になれば、日本経済が再生すると言う単純な構造ではないのである。

経済再生には金融政策だけでは駄目と分かり、国交省が日本国民を再度欺くアドバルーン発言を繰り返し、何時か来た道の悪夢を再生する蜃気楼政策には断固反対だ。ホテルが足りないと言うが、2月には予約が少なかったとホテル経営の知人は嘆いている。国交省に容積の餌に釣られてホテルを造って破たんしたのでは意味がないが、不動産証券化でリスクを分散する社会だから一般投資家は甘い話には乗らない方が良い。人口減少はデフレと関係ないと断言するのは単に労働者のひっ迫だけの視点しか見ていなく、その点から言えばインフレ要因だが、全体の労働者の20%の大企業しか見ていないのでは、日本経済の再生など覚束ない。

 

都心の大型開発で気になる地下水の問題

日経の記事にJR東海が進めているリニア工事のトンネル工事で地下水脈を断ち切り、水の流れが変わった恐れがあり、今後は生活・産業に影響が懸念されるとの記事を見て都心における地下水の流れの事が気になった。大型開発では環境アセスメントを実施して影響を調べるのだが、都心の場合にはヒートアイランド現象などが指摘されるものの、地下水に関しては工場立地の様に地下水を汲み上げる訳ではないので重要視されていないように思われる。

私が都心の地下水の事が気になったのには理由がある。今から30年近く前に都心で大型ビルを建築した時に敷地の周囲に設置した連続壁が地下水の流れを遮断して隣地のビルの地下の階で漏水が起きたことを記憶していたからだ。また、近年では、弊社が管理する都内のビルで生じている地下に併設している消防用の水槽の満水警報のことだ。都心の地下水に関しては、都内から工場が移転し、住居でも井戸水を使う事がなくなったこともあり、上昇していると言うデータもある。更に、暖冬の影響で集中豪雨などが起きており、当然に都心の地下水にも影響を与えていると思われる。

尤も、都心は道路等を含め地表がコンクリートで覆われているので、雨水の多くは下水道を通して東京湾に流れるのだが、一部は地下に流れ込むことは間違いはない。大型開発で地下水の流れが変わり、更に集中豪雨で流れ込む雨水の影響に関して東京都や国土交通省はデータを持ってるのであろうか。特に懸念されるのは大地震が東京を襲った時に使用されていない豊富な地下水の問題だ。素人ゆえの懸念かもしれないが、多くの人は地上に目を向けて地下に関しては意見が少ない様に思われる。豊富な地下水と書いたが、場所によっては水脈が絶たれ、土自体が劣化して軟弱になっている可能性もある。都心の崩落事故は何れの原因で起きたかは知らないが、地下のバランスを欠いた為に起きた現象であることは間違いない。

古より足もとを見る大切さを指摘する教訓は多いので、高層ビルや高層マンションの建築だけに目を向けるのではなく、地下で何が起きているかも認識する必要があるのではないか。リニア工事における地下水遮断問題は山中の出来事として見るのではなく、他山の石とする事が必要と思料する。

 

民泊とゴミの問題

4年後の東京オリンピックと観光立国で宿泊施設の不足(?)を理由に一般住居を宿泊施設に利用できる為の指針が纏められており、制限条項として6泊7日以内が出てきた。以前に分譲マンションの場合には、管理規約で規定する必要があることを指摘しているが、今回は戸建ても分譲マンションも住居用賃貸マンションもゴミの問題について言及したい。

民泊の管理は貸主自身が行う事になるが、民泊と言う営業行為で出たゴミまで従来の様に行政の収集範囲に含まれるのかが争点と考える。住居から出たゴミは固定資産税と住民税の支払いで一般ゴミの収集は無料になっているが、民泊の問題で今後は有料の懸念が起きてくる。

此れまでも財政難からゴミの有料化が指摘されてきたが、放漫財政や議員の定数や報酬の問題があるので、住民の反発を恐れて無料制度を維持してきた。しかし、民泊問題と絡んで今後有料化の議論が出てくる可能性がある。行政は民泊に便乗して有料化を進める可能性も否定できない。

翻って、民泊による規制緩和に便乗したビジネスが増えているが、個人はもとより事業として企画している企業はゴミ問題を考えているかが聞こえていない。マスコミも円安の一時的な現象と同様に気まぐれな中国人観光客の為に生じている宿泊施設不足に対して検証もせずに後押ししている。

先進国なら分別してゴミを出すのは習慣化しているが、世界中を見ると未だ分別など浸透していない。況してや、産業廃棄物など捨てられたら誰が処理代を負担するのか。然も、現状では誰がどのゴミを出したかは分からない。

事故が起きた時の保険の問題とゴミの問題を明確化しないで民泊をなし崩しに認めるのは、社会と言う共同体を無視した暴挙だ。

五色の虹「満州建国大学の卒業生たちの戦後」を読んで

新聞の書籍紹介で興味を持ち、三浦英之の"五色の虹"を読んだ。本の内容は満州建国大学の卒業生について書かれたものであった。満州国については先に"満州国演技"と言う本を読んで多くを考えさせられたが、今回読んだ"五色の虹"も学校教育の歴史では教えないことが書かれていて興味深かった。特に、満州建国大学では「言論の自由」があったと当時としては驚く内容であった。

日本が強引に 五色の虹.jpg造った満州国ではあったが、国家の経営に五族協和掲げてその幹部養成校ともいえる満州建国大学を創設したのには満州国の建国に関わった人達の理想があったと思われた。日本が海外に作った学校としては、「東亜同文書院」がある。同校は主として日本人の中国エキスパートを要請する学校として創設され、私の故郷の茨城の田舎からも入校し、戦後は国会議員にまでなった人物がいるので、亡父から聞いていたので知っていた。

しかし、満州建国大学に関しては、存在したことは知っていたが、どの様な教育が行われていたかには関心がなかったので分かろうともしなかった。

五色の虹を読み進むにつれて相当な英才が集まり、半数は日本人であったが、他に朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人、台湾人が平等な待遇で教育されていたのには驚くばかりであった。正に、戦前のグローバル教育であった。然も、言論の自由があり、当時の日本の政治に対して批判することや、日本国内では禁止されていたマルクスなど発禁処分の本も読むことが出来た事実には唖然とした。創設に拘わった当時の日本人達が如何に広い視野で物事を決めていたのかと思ったが、現代と比較すると昨今の日本の政治家や教育者や経済人が非常に卑小なものになったのかと考えさせられた。

私はローマの広場と言うイノベーションをテーマにした一般社団法人オープンイノベーションの会員になっている。そこで開かれたプレゼンの会で大手企業に勤務する方と知り合いになり、会の運営に携わる方を通してお酒も飲む間柄になった。先月末にその方と新年会を行った時に、その方の祖父が陸軍中将で、父親が陸軍中尉であり、然も戦後は戦犯としてフィリピンのモンテンパルの収容所に居たことを話された。奇跡が起きてその方の父親は帰国出来たのだが、戦後は自衛隊に勤務したとの事であった。この方の個人的なことを書いたのは、酒を飲んでいる席で定年後には何か日本が良くなることに力を注ぎたいと話していたからである。戦中戦後を通して軍人一家であった父親に育てられた彼は、国家と言う存在に対して今の日本人にはない国家に尽くす家庭教育がなされたのかと推測された。市井の人が国を良くする考えを持つのに今の政治家の程度の低さには呆れるばかりだ。特に、言論の自由を抑え様とする国会議員の動きには、歴史を学ばない愚かさが見えて愕然とする。

金融資本主義になり、少数の大金持ちが支配する社会では言論の自由は邪魔なのには相違ないので、市井の一人として言論自由を守ることが如何に大事かを戦後の満州建国大学に学んだ学生の人生を書いた"五色の虹"で痛感した。

平成28年春「アトレ恵比寿西館」グランドオープンに寄せて

JR東日本の山手線恵比寿駅ビルに連結した「アトレ恵比寿西館」が今春グランドーオープンするが、同プロジェクトは株式会社クレディセゾンと連結子会社の株式会社アトリウムの共同開発によって行われた。アトレ恵比寿の別館として誕生する「アトレ恵比寿西館(地下1階地上8階)」はJR恵比寿駅に接続する"西口連絡通路"を新設することで東口を繋ぐ新しい歩行者動線をを整備し、街の流動化と活性化を図るものとなる。

副題として「La Patio(中庭)~"わたし"と"街"をつなぐ場所~」をコンセプトに、恵比寿での生活をより豊かに、より楽しみたい恵比須居住の人々が日常的に立ち入れる場所を創出して、街に寄り添い、街と共に成長するシンボルとして開放的な外観、緑と風を感じられる屋上「ガーデンテラス」により、新しい恵比寿の顔を作り出して行く豊富が語られている。

長々と企業の宣伝文句を書き連ねたかと言うと、偶然にもセゾングループ創業者の堤清二氏のオールラルヒストリー(堤清二・辻井喬オーラルヒストリー「御厨房貴・橋本寿朗・鷲田清一=編」)を購入して読了したばかりで、セゾングループが解体された後に一世を風靡したセゾン文化・パルコ文化と称したものが時代と共に消え去ったと思っていたが、奇しくも上の宣伝文句にセゾン文化の名残を見出したからである。

弊社は株式会社アトリウムと2000年頃から仕事上のお付き合いが始まったのだが、堤清二氏のオールラルヒストリーも同時期に対談形式で記録されていたものと分かって感慨深いものがある。セゾングループが解体消滅したが、グループ会社の1社であった株式会社クレディセゾンにセゾン文化が色濃く残されているのは、学生時代に西武池袋線江古田駅の最寄に居住し、池袋駅を利用して大学に通い、セゾン文化・パルコ文化と歩んできた世代としては嬉しい限りだ。オールラルヒストリーでは、堤清二氏は時代がセゾン文化とパルコ文化の消費・生活スタイルでなくなったと述べられていたが、1970年初頭にクレジットカード時代を予見し、月賦販売会社の緑屋を買収し、パブリックカードを発行するクレディセゾンに成長し、同社にセゾン文化を継承しているセゾン遺伝子を見ると興味深い。勿論、単純にセゾン遺伝子を継承しているのではなく、変化を遂げながらであることは論を待たない。

オールラルヒストリーは単に経営者と作家であった堤清二氏を見るのではなく、戦後の復興から今日までの日本の政治と経済の歩みを見る上でも大いに参考になる著作だ。生前は出版を頑なに拒んだ堤氏だった様だが、遺族の方が出版を了承したことは意義あることと思われる。私自身は過去に堤氏の著作を何冊か読み、数年前にはセゾン文化なるものを分析した本も読んだ。オーラルヒストリーに対談では、対談相手がセゾングループの崩壊の原因となった西洋環境開発に対して過去に経験した不動産会社の西武都市開発の失敗の教訓を生かせなかったのかと問うたが、西武都市開発の時は西武鉄道が起こした問題を引き受けたのであり、結果論から入ったので別な切り口からやればと考えたと述べるとともに、投資に関しては社長にしたものに任せたのでと歯切れが悪かった。戦後のインフレ経済で成長した経営者にバブル経済破たん後に聞く話ではなく、西武都市開発の処理もその後のインフレ経済で乗り切った訳だから失敗を教訓に出来なかったのかと責めるのは酷と言える。

何れにしても、クレディセゾンと連結子会社のアトリウムに堤氏が描いたセゾン遺伝子が残されており、変化を遂げながら成長している姿を見るのはセゾン文化時代に育った者としては嬉しいことでもある。

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