五色の虹「満州建国大学の卒業生たちの戦後」を読んで

新聞の書籍紹介で興味を持ち、三浦英之の"五色の虹"を読んだ。本の内容は満州建国大学の卒業生について書かれたものであった。満州国については先に"満州国演技"と言う本を読んで多くを考えさせられたが、今回読んだ"五色の虹"も学校教育の歴史では教えないことが書かれていて興味深かった。特に、満州建国大学では「言論の自由」があったと当時としては驚く内容であった。

日本が強引に 五色の虹.jpg造った満州国ではあったが、国家の経営に五族協和掲げてその幹部養成校ともいえる満州建国大学を創設したのには満州国の建国に関わった人達の理想があったと思われた。日本が海外に作った学校としては、「東亜同文書院」がある。同校は主として日本人の中国エキスパートを要請する学校として創設され、私の故郷の茨城の田舎からも入校し、戦後は国会議員にまでなった人物がいるので、亡父から聞いていたので知っていた。

しかし、満州建国大学に関しては、存在したことは知っていたが、どの様な教育が行われていたかには関心がなかったので分かろうともしなかった。

五色の虹を読み進むにつれて相当な英才が集まり、半数は日本人であったが、他に朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人、台湾人が平等な待遇で教育されていたのには驚くばかりであった。正に、戦前のグローバル教育であった。然も、言論の自由があり、当時の日本の政治に対して批判することや、日本国内では禁止されていたマルクスなど発禁処分の本も読むことが出来た事実には唖然とした。創設に拘わった当時の日本人達が如何に広い視野で物事を決めていたのかと思ったが、現代と比較すると昨今の日本の政治家や教育者や経済人が非常に卑小なものになったのかと考えさせられた。

私はローマの広場と言うイノベーションをテーマにした一般社団法人オープンイノベーションの会員になっている。そこで開かれたプレゼンの会で大手企業に勤務する方と知り合いになり、会の運営に携わる方を通してお酒も飲む間柄になった。先月末にその方と新年会を行った時に、その方の祖父が陸軍中将で、父親が陸軍中尉であり、然も戦後は戦犯としてフィリピンのモンテンパルの収容所に居たことを話された。奇跡が起きてその方の父親は帰国出来たのだが、戦後は自衛隊に勤務したとの事であった。この方の個人的なことを書いたのは、酒を飲んでいる席で定年後には何か日本が良くなることに力を注ぎたいと話していたからである。戦中戦後を通して軍人一家であった父親に育てられた彼は、国家と言う存在に対して今の日本人にはない国家に尽くす家庭教育がなされたのかと推測された。市井の人が国を良くする考えを持つのに今の政治家の程度の低さには呆れるばかりだ。特に、言論の自由を抑え様とする国会議員の動きには、歴史を学ばない愚かさが見えて愕然とする。

金融資本主義になり、少数の大金持ちが支配する社会では言論の自由は邪魔なのには相違ないので、市井の一人として言論自由を守ることが如何に大事かを戦後の満州建国大学に学んだ学生の人生を書いた"五色の虹"で痛感した。

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