平成28年春「アトレ恵比寿西館」グランドオープンに寄せて

JR東日本の山手線恵比寿駅ビルに連結した「アトレ恵比寿西館」が今春グランドーオープンするが、同プロジェクトは株式会社クレディセゾンと連結子会社の株式会社アトリウムの共同開発によって行われた。アトレ恵比寿の別館として誕生する「アトレ恵比寿西館(地下1階地上8階)」はJR恵比寿駅に接続する"西口連絡通路"を新設することで東口を繋ぐ新しい歩行者動線をを整備し、街の流動化と活性化を図るものとなる。

副題として「La Patio(中庭)~"わたし"と"街"をつなぐ場所~」をコンセプトに、恵比寿での生活をより豊かに、より楽しみたい恵比須居住の人々が日常的に立ち入れる場所を創出して、街に寄り添い、街と共に成長するシンボルとして開放的な外観、緑と風を感じられる屋上「ガーデンテラス」により、新しい恵比寿の顔を作り出して行く豊富が語られている。

長々と企業の宣伝文句を書き連ねたかと言うと、偶然にもセゾングループ創業者の堤清二氏のオールラルヒストリー(堤清二・辻井喬オーラルヒストリー「御厨房貴・橋本寿朗・鷲田清一=編」)を購入して読了したばかりで、セゾングループが解体された後に一世を風靡したセゾン文化・パルコ文化と称したものが時代と共に消え去ったと思っていたが、奇しくも上の宣伝文句にセゾン文化の名残を見出したからである。

弊社は株式会社アトリウムと2000年頃から仕事上のお付き合いが始まったのだが、堤清二氏のオールラルヒストリーも同時期に対談形式で記録されていたものと分かって感慨深いものがある。セゾングループが解体消滅したが、グループ会社の1社であった株式会社クレディセゾンにセゾン文化が色濃く残されているのは、学生時代に西武池袋線江古田駅の最寄に居住し、池袋駅を利用して大学に通い、セゾン文化・パルコ文化と歩んできた世代としては嬉しい限りだ。オールラルヒストリーでは、堤清二氏は時代がセゾン文化とパルコ文化の消費・生活スタイルでなくなったと述べられていたが、1970年初頭にクレジットカード時代を予見し、月賦販売会社の緑屋を買収し、パブリックカードを発行するクレディセゾンに成長し、同社にセゾン文化を継承しているセゾン遺伝子を見ると興味深い。勿論、単純にセゾン遺伝子を継承しているのではなく、変化を遂げながらであることは論を待たない。

オールラルヒストリーは単に経営者と作家であった堤清二氏を見るのではなく、戦後の復興から今日までの日本の政治と経済の歩みを見る上でも大いに参考になる著作だ。生前は出版を頑なに拒んだ堤氏だった様だが、遺族の方が出版を了承したことは意義あることと思われる。私自身は過去に堤氏の著作を何冊か読み、数年前にはセゾン文化なるものを分析した本も読んだ。オーラルヒストリーに対談では、対談相手がセゾングループの崩壊の原因となった西洋環境開発に対して過去に経験した不動産会社の西武都市開発の失敗の教訓を生かせなかったのかと問うたが、西武都市開発の時は西武鉄道が起こした問題を引き受けたのであり、結果論から入ったので別な切り口からやればと考えたと述べるとともに、投資に関しては社長にしたものに任せたのでと歯切れが悪かった。戦後のインフレ経済で成長した経営者にバブル経済破たん後に聞く話ではなく、西武都市開発の処理もその後のインフレ経済で乗り切った訳だから失敗を教訓に出来なかったのかと責めるのは酷と言える。

何れにしても、クレディセゾンと連結子会社のアトリウムに堤氏が描いたセゾン遺伝子が残されており、変化を遂げながら成長している姿を見るのはセゾン文化時代に育った者としては嬉しいことでもある。

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