マッカーサーの伝記を読んで

マッカーサーに関しては余りにも有名人で色々な書物に言及されているので断片的な知識は豊富だが、人物の生い立ちなどに関しては今回の伝記を読むまで良く知らなかった。過去に多くの人がマッカーサーについて書いているので色々な説が存在しているが、私が手にした伝記は良い面と悪い面の両方を描き出したのが特徴な様だ。父親は立派な軍人で有り、息子のマッカーサーも陸軍士官学校を首席で卒業し、陸軍士官学校の校長や父親が成し得なかった陸軍参謀総長にまで登りつめており、太平洋戦争前までは父親と同様にフィリピンにおいて責任ある立場に就いた。驚いたのは米国の大統領になったアイゼンハワーなど米国陸軍の鬼才達が皆部下であったことだ。チャーチルの伝記でも第一線に立つ姿が書かれていたが、マッカーサーも若き頃から第一線に立つ勇敢さがあり、上に立つ者の共通点が見られる。なお、日本の軍人に就いて書かれた本にも戦闘の時に前に進んだ方が後方に位置した人と比べて敵弾に当たらなかったことに触れていた。勇敢さが運を呼び込むことを無意識に理解していたのかもしれない。マッカーサーが一般的な軍人とは異なり、戦争時に住民を巻き込む様なことを行わなかった様だ。都市の爆撃などには反対であり、マッカーサーであればニミッツが行った様な日本の都市部の爆撃は行わなかったのではないかと指摘されていた。米国では陸軍と海軍との違いがあり、陸軍は騎兵隊から出来た通り、国内の治安を守るために作られた性格が強いが、海軍は国外の相手を対象に発足している面が強く、その面では海軍の方が侵略的な考え方の軍人が多い様だ。太平洋戦争時のローズベルト大統領は海軍好みであり、好戦的な持ち主であった。その点、マッカサーにはフィリピンを統治する責任者であったが、陸軍出身者として基本的には人道的な面を持っていた様だ。日本の敗戦後の占領軍のトップとしてマッカサーを迎えたことは幸運であったかもしれない。勿論、人間の性格は複雑なので単純に人道的とは言えない面もあり、それがフィリピンにおける敗戦前の日本軍の指揮官であった山下大将に対する戦犯としての処刑だ。日本の敗戦後の占領時代の歴史の中で幾つもの理解できない出来事があるが、その一つが憲法第三条の不戦条項だ。色々な説があるが、今回の伝記ではマッカサーが第三条を指示したと書かれている。明確に指示したと書いてあるので根拠があるのだろう。しかし、著者も指示のことを書いているが、マッカサーが第三条を命じた理由を解明していない。なお、マッカサーが占領時代の日本に対して米国内からの反対を省みずに食料の提供を断行したことやマッカサーの部下が日本の衛生面での改善に貢献したことを書いており、敵国であった日本に対して別格な配慮をした点に感謝すべきと思われた。日本の占領末期に朝鮮戦争が起きてその対応に対して幾つかの失敗などがあったが、参戦した中国軍を叩かないと将来に禍になることの予測は当たっていた様だ。何れにしても自分を演出する才能を発揮し、米国民から尊敬されたが、政治に関しては才能がなく、後輩のアイゼンハワーの様に大統領にはなれなかった。日本の今日はマッカーサーが占領軍の指揮官でなければ違っていたかも知れないと思われた。

現行金利と金利上昇の懸念には過去を振り返る必要がある

日銀がアベノミクスの異次元緩和の解消を目指している中で金利上昇の懸念が紙面を飾っているが。現行金利を見た場合には資本主義が崩壊したと言っても過言ではない。1992年に金利は7.78%であったがバブル経済崩壊後の資産デフレにより金利は低下し、1998年には2%を割り込み、それ以降次第に金利は下がったものの2007年頃には2%を超えるかの状況になった。しかし、2008年のリーマンショック以降は再度下がり続け2%には程遠いのが実情だ。バブル経済時代に円高になり海外に工場を移転しなければ輸出価格の競争力が無くなり、下請けと共に多くの企業が海外に生産拠点を移した。この為、国内的には第三次産業などサービス産業にシフトする政策が取られ、円高是正の内需拡大による公共投資事業の拡大や不動産の高騰によるバブル経済が起きた。現在の経済を見るには過去の歴史を遡る必要があるが、低金利政策から26年も経過しては高金利時代など理解できないと思われる。昭和・平成・令和を生きた人にとっては10%を超える金利で事業を行ってきた経験があるので、現行金利の低さでしか事業が成り立たないのには驚くばかりだ。今のマスコミの紙面を見る限り金利上昇に関する不安面が大きいが、その不安は民間企業よりは国債の金利上昇による国家予算の真水部分が減少することと推察される。経済を正常に戻すには物価上昇と労働賃金の上昇が必要な事は当然だが、過去30年に渡る国家と民間企業が間違った行動に関する反省がないのでは、物価上昇をコントロールできなくなって金利を上げて抑える危惧が起きてくる。資産デフレの原因はバブル経済崩壊以上にアジア通貨危機による面が大きい。多くの企業が工場の海外移転を進めたが、アジア通貨危機で海外の生産工場の不振が生じた。多くの海外工場の建設資金は国内の不動産を担保に借入たものであったので、バブル経済崩壊の不動産価値の下落は企業にとっては痛いものになった。バブル経済による不動産下落はアジア通貨危機によって拍車がかかったのである。尤も、バブル経済から今日の日本経済を見ると正しい判断が出来ない。更に、20年以上遡ってベトナム戦争終結、日本列島改造論、オイルショック、重厚長大産業の終わりなど色々な出来事を見る必要がある。現在の少子化現象など分かっていたのに手を打たなかったのは円高による海外への工場移転などで国内に労働人口が必要なくなったことも一因としてある。国家も企業も将来の人口減少による国家リスクなど見れていなかったのである。付加価値の高い工場は国内に残したが、付加価値が高いので人より導入コストが掛るロボットでも採算性が取れることも人口減少に目を向けなかった愚かさであろう。この間、マスコミは将来に対する悲観的な記事を書いて結婚適齢期の男女の結婚を阻害し、更には子供を産むことに対する懸念も助長させた。尤も、マスコミ以上に政治家は政治資金を公的資金で賄える制度になり、更に小選挙区制度によって党に媚を売る連中だけが当選し、国民の声を聞くことのなくなった。過去を振り返ると政治家も官僚も大企業経営者も国家の大計を考える人がいなくなり、経済の停滞は革新的な事業をおこせないからだと一面的しか見えていない。今後は専制国家と民主国家との対立になり経済も当然に変わってくることになり、それと相俟って急激な技術革新による世界の変化により、金利に関しては別な視点から深く考える必要がある。

「朝鮮半島の歴史」を読んで

一番身近な国ながら意外と朝鮮半島の歴史を知らない人は多いと思われる。私も若い頃に日本と韓国の借款関係と企業間取引に対する情報誌の編集の仕事をしていたので多少なりとも知っていると思っていたが、「朝鮮半島の歴史」を読んで完全に思い違いをしていることが分かった。日本人の祖先は朝鮮半島からの帰化人によって技術など伝えられているのだが、同じ血を引いている種族が多いのに日本と比較すると朝鮮半島の種族達は統一した国が出来てからも常に党派の争いが絶えず混乱していたのには驚いた。地政学上に関して大陸と海を隔てた日本と違って大陸と地続きの朝鮮半島は漢民族や北方民族の影響を受けていたことに起因した争いもあることは確かだが、その理由だけでは考えられないほど争いが多いのは事実だ。日本の場合は台風、地震、火山など災害が多発する自然環境にある為に争いを続けられないとも思われる。確かに、朝鮮半島は日本と比較すると地震の影響が少なく、火山も少なく、台風もそれ程多くないので、人々が団結して危機を乗り越える状況は少ないと考えられる。尤も、漢民族からの影響が強く、常に支配下に置かれていたのは歴史的事実であり、独立した国家としての期間が短い。朝鮮半島の統一国家とする朝鮮王国でも漢民族の支配下にあった。現在は北朝鮮と韓国の二つの分断国家になっているが、完全独立していることから言えば長い歴史の中では貴重な事の様だ。韓国の人達が日本の植民地支配を民族の悲劇として日本や親日派を糾弾するが、長い歴史の上では漢民族の支配が長く、それに対する非難が起きないのが不思議だ。もっとも、歴史の歪曲もあり、若い世代の人達は漢民族の支配に関して知らないと指摘されている。伊藤博文を暗殺した安重根を英雄としているが、伊藤博文が韓国併合に関して日本帝国の経済負担から反対していた事実は全く韓国の人達に知らされていない。歴史に「If」はないが、伊藤博文の暗殺が無ければ韓国の併合がなかった可能性もあった。逆に、暗殺事件が国の統合の意見を持つ山形有朋の登場になったのは皮肉な事だ。韓国の併合なしに韓国に借款を提供して近代化を行い、真の独立国家とさせたならば日本と朝鮮半島の歴史は変わっていた。実に残念な事だ。今の台湾の様に日本に対して近代化に対する感謝の気持ちも韓国に生まれたと思われる。太平洋戦争後の米国は朝鮮半島の歴史を研究していた為に日本の支配下にあった朝鮮に対して直ぐの独立国家ではなく、10年間の信託統治後に独立させる計画であった様だ。朝鮮半島はバルカン半島の様に紛争の火種として地政学的にあることを認識されていたとも解される。何れにしても、日本に最も身近で血縁的にも同族である人達が多い朝鮮半島の民族とは東アジアの安定の為に手を結ぶことが必要と思われる。

ロシアのウクライナ侵略を見て東アジアの平和は日韓の核武装が必要なのは正論

韓国世宗研究所の鄭成長・韓半島戦略センター長が東京都内で行われた緊急時局講演会で「韓国の核兵器で北朝鮮をけん制し、日本が核兵器で中国をけん制すれば東アジアでどの国も他国への侵略を試みることが出来ないでしょう」と述べたことの記事を読んだ。鄭成長さんは私は誰よりも平和主義者で有る事にも言及したが、その時の聴衆者は驚いた様だ。しかし、ウクライナがロシアに侵略されたのは欧米の経済支援との引き換えで核兵器を手放したことであるのは自明な事だ。核大国の中国が経済不況にも拘わらず膨大な軍事費を計上し、北朝鮮も核兵器を保有し、米国が世界の警察の役割を後退させている現状を考えると、米国の核の傘の下での平和は期待できないのは事実だ。中国の台湾進攻、北朝鮮の韓国侵略、ロシアの北海道への侵略の危険性は非常に高まっている。中国が台湾に対する武力侵攻すれば、間違いなく北朝鮮は韓国を攻撃し、ロシアも北海道を侵略するのは眼に見えている。日本は太平洋戦争で核爆弾の被害者であり、加害者ではない。被害者が核に対して加害者の様な罪悪感を持つ必要はない。勿論、核兵器のない世界が理想だが、その理想実現にも核を保有してこそ廃棄を求めることが出来る。核兵器を持っていないのに放棄を求めても効果がない。ウクライナ問題は欧米が経済支援の約束を担保に核放棄をさせたので、欧米はウクライナを支援するのは当然だが、米国の共和党はその事実を考慮せずに支援を渋っている姿は明日の東アジアであることは自明だ。今こそ台湾、韓国、日本が共に核兵器を保有し、強権国家から自国民を守るべきだ。

TVの番組で法治国家でない様な発言

漫才家のMCが担当するサンデージャポンに出演した東大大学院准教授の斎藤幸平なる者が週刊新潮や週刊文春の芸能人に対する記事に対して警察に訴えても取り上げられない事件を週刊誌が取り上げて糾弾することは必要との発言をした。斎藤幸平は「人新世の資本論」を書いたマルクス主義を研究する学者の卵だ。昭和の時代には警察に告発しても取り上げない事件を暴力団に依頼して解決することが存在した。令和では暴力団に代わって週刊誌がその種の事件を解決する存在となった様だ。斎藤幸平はマルクス主義の多くの共産党国家が暴力装置で国民を支配していた事実を肯定する人物とも思われる。法治国家で有る限りは警察が取り上げない出来事を社会的に罰するのは違法と思われる。週刊文集などは事実関係を取材して書いたと主張するが、書くならば警察が事件化出来る証拠が必要と考える。そうでなければ、魔女狩りと同様になると思うのは私だけであろうか。確かに、社会では泣き寝入りしかない出来事があるのは事実だが、騙す騙される両方に欲がある為に起きる事件で有り、必要以上に欲がない者にとっては無縁の話だ。勿論、普通に生活していて何かを拒絶することで暴力などを受けるならば許しがたい事なので、警察が直ぐに取り上げてくれなくても執拗に追及して法律の適用を受ける事件とするべきと思われる。情報化時代の中にあって真実の意味が曖昧になってきたが、それだからこそ私的警察の様な行動を週刊誌が取るべきではない。もし、告発するならば刑事事件として警察が取り上げる証拠を用意すべきだ。多くの人に読まれた本を書いた人の発言は社会的に大きな影響がある。その様な人が法治国家でない様な裏家業の必殺仕掛人を肯定する発言は頂けない。刑事訴訟法で記載されている様な「疑わしきは罰せず」の考え方がが冤罪を防ぐ最後の砦だ。警察が取り上げないレベルの証拠で社会的に抹殺を図るのは強権国家の到来を招くだけだ。

建物の建て替え時期(老朽化)について

建物の老朽化には①税務的老朽化、②物理的老朽化、③社会的老朽化の3通りの考え方があります。①は償却費の計上に係わるものであり、②は建築物その物の寿命であり、③は科学の進歩等により機能的に時代に合わなくなったものです。過去の建物の老朽化による建て替えは殆どが①を理由によるものでしたが、過去30年は阪神淡路大地震と東日本大地震により行政の誘導もあり、旧耐震(1983年以前の建物)の建物を主として建て替えて来ています。しかし、ここ数年は旧耐震以上に③の機能的に時代と合わなくなったことによる大規模開発が推進されてきています。今から約40年前頃にインテリジェントビルの概念を有した建物の建築が計画され始めました。インテリジェントビルとはビルの運営管理にコンピュータ制御システムを取り入れたものです。この時代の建物はテナントに対するよりはビルのオーナーに対するシステムでした。インテリジェントは1年から2年間の推移で第一世代、第二世代、第三世代と進化して行きました。第三世代は電話機能のPBXをビル内に設置して運用管理システムを構築し、尚且つ電話システムの収益で管理費の一部の負担を軽減する仕組みでした。インテリジェントビルはwindowsの歴史とマッチングします。windows1.0が1985年リリースされ、windows3.1が1992年にリリース、そして社会に大きな影響をもたらしたwindows95が1995年にリリースされ、インターネット通信が社会に一般的となったwindows98が1998年にリリースされました。当社ではこの時期にインターネットサーバーを社内に設置し、大企業でも未だ余り普及していなかった社員一人にPC一台を与え、会社のメールアドレスの取得とホームページの開設を行いました。その後は共同開発後に運営管理を受託した管理組合のHPを作成し、地権者に対するサービスを開始し、更にネット上でテナントに対するお知らせやビルに係る届け出等を行えるシステムを構築しました。このシステム開発は2000年前後でしたので先駆的な事でした。海の向こうの米国ではITベンチャー企業が勃興し、色々なシステム開発の最盛時期でもあります。当社が先駆的に取り組めたには偶然が二つ重なった為でした。一つはリース会社に勤務する友人からリース契約流れのPCがあるので使わないかと言う相談でした。もう一つは学生時代の友人が商社の電子機器の部門に勤務していて虎ノ門で酒を飲んだ時に米国製の安いインターネットサーバーがあることを聞いたことでした。後年、リース会社に勤務していた友人の家族と海外旅行をした時に友人が自分の子供たちに彼は日本のスチーブジョブスと言って持ち上げてくれました。話は大分脇にそれましたが、現在のビルの再開発は社会的老朽化によるものですので、未だ十分に使える築30年前後でもどんどん壊しています。勿論、全てのテナントが最先端の機能を有する高い賃料の建物に入れるわけでもなく、築古小型ビルは依然として税務的老朽性や物理的老朽化、更には旧耐震を理由に建て替えを計画するものと推定されます。なお、社会的老朽化には環境に対する地球温暖化に関するものも含まれますので、大企業に関しては社会的老朽化による建て替えのビルに入ることは必要になると思われます。

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