武満徹の評伝(音楽創造への旅)を読んで

現代音楽作曲家の武満徹の評伝を読んだ。立花隆が書いたものだが、立花も武満とのインタビューで興味を深めて長い連載を行ったが、途中で武満氏が亡くなった為に単行本の出版が留保されていた様だ。しかし立花は一緒にインタビューの編集に携わった身近な人の死とその人の意志と考えてインタビュー出来なかった部分に関しては武満氏が多くの誌面で語った内容を踏まえて纏めた様だ。しかし、評伝を読んで驚いたのは武満氏は音楽家でありながら哲学家とも思える人だったことだ。評伝のタイトルになっている「音楽創造への旅」は多く才能ある世界中の有名人との出会いも書かれており、豊かな才能同士が触発されて成長し、創造力を生み出すことが理解できた。それにしても、正規な音楽を学ばずに独学で音楽の道に進み、邦楽や西欧音楽のクラシックを学ばずにいきなり現代音楽から入ったことが書かれていたが、人生の後半から邦楽、アジア音楽、西欧音楽のクラシックなどに影響されて作品を作り上げたことには驚いた。芸術家は皆同様なのだろうが、完成した作品に関しては常に不満を持ち、次に良い作品を作ろうとする意志、創造力には頭が下がる。作曲家の言葉として曲が天から降って来ると言うのがあるが、武満氏クラスになると自然の中に無数にある音から引き寄せてくるらしい。確かに、造形美術家が木や石の中に既に作品が入っており、それを削り出すことと同様なことと思われた。武満氏が邦楽に関しては世界の音楽と違って神の世界がなく自然に帰結することを指摘していたのには理解し難かった。日本は一神教ではないが神の世界の事は語られており、それでも神が不在であり、自然に同化するのが邦楽の特徴であるらしい。日本は自然環境の厳しい中に生活があり、古代の人にとっては神の助けより自然に同化する道しかなかったのかもしれない。色々なものが日本に入ると変質することは聞いていたが、東洋的な世界を更に非論理的な状況まで止揚する自然環境が日本にはあるのだろう。武満氏は西欧の世界を論理的な人工的な世界として捉えており、武満氏自身は西欧音楽の方が精神的に受け入れやすかったのだろうし、戦争時代を子供として過ごした影響が大きいかもしれない。現代社会では新規に事業を起こすことが求められており、それにはアートの世界の創造力が必要との事でそれを学ぼうする機運があるが、武満氏の評伝を見る限りアートの前に哲学が必要と思われる。哲学なきアートは創造への旅とはならない様だ。勿論、私レベルが才能ある人の評伝を読んで理解できる筈もないが、それでも人は何かの役割を持って社会に存在していると思われ、私自身もその役割を一生探す旅を続けると思った次第だ。

人と神 言葉の評伝「立花隆」を読んで

立花隆は私の故郷の茨城県と縁があるジャーナリスト・作家なので興味があったが、初めて知ったのは政治家の田中角栄の金脈を文藝春秋で暴いた時であった。立花隆に関しては父から故郷が生んだ農本主義者の橘孝三郎の孫として聞いた記憶があるが、実際には父親が従兄弟同士であり、孫ではない事を知った。橘孝三郎は戦前に軍人と右翼が起こした5.15事件に関わった人物だ。立花隆はペンネームで本名は橘隆志であることも知ったが、生まれは長崎県であるものの、幼児の時から高校1年まで水戸に住んでいたので、故郷の著名人として扱っても良いと思った。特に、立花隆の母親は私の生まれた寒村の隣町出身であることも興味を持った。伯父に関しては興味がなかった様で残された資料の中に言及したものがなかったのは残念であった。立花隆は過去より未来に興味があった様であり、田中角栄の金脈で政治に関わったが、政治に関しては興味がなかったのかその後に「日本共産党の研究」以外に政治を論じたものはない様だ。立花隆の興味は根源的なものに移っており、私自身は立花の著作はあまり読んでいない。今回の評伝で「宇宙からの帰還」や「臨死体験」などの著書があり、人間の体験の影響の問題を扱ったのが大学に入り直し、哲学を学んでから書かれたものであることを知った。今回の評伝を読む前に立花隆が書いた前衛音楽家の武満轍の伝記である音楽創造への旅を読んでいるが、同署は長い間出版されて来なかったのを立花のパートナーの死を契機に世に出されたものであることを知った。今回の立花隆を論じるのに人(哲学)、神(キリスト教)、言葉(音)のタイトルで示している通り、立花の内面から分析しているのに納得させられた。両親が無教会派のキリスト教徒であり、子供の頃から大きな影響をうけて育った為に神の存在に関しては哲学を学ぶ必要があったのだろう。以前に井筒俊彦の著作を読んだが、立花が井筒の影響もうけている事が書かれており、井筒の場合には仏教の影響からイスラムのスーフィズムの研究に進んでいるが、子供の頃から宗教に触れていると何かしらの啓示を受けて探求することになるのかと思った。人を論じた本で評価が高いロシア文学に影響をうけたのも立花と井筒は共通している。尤も、立花は武満徹の音楽に言葉の深さを感じたのは井筒と違っているが、井筒が研究したイスラム教の祈りは音楽的な響きもあり、仏教の読経も同様であるので、言葉(音)と捉えても良いかもしれない。音は人の耳では消失するが実際には遠くまで無限に響いていると言われている。言葉は共通なものではないと言われるが、それは言葉を心に響かせるには言葉自体より音の響きが必要なのかもしれない。立花が若い頃にキリスト教に対して抱いた排他主義は同じキリスト教でも正統以外は異端として排斥することに疑問を抱いたからではないかと指摘されている。宗教以外でも正統以外は異論として排斥されるのが社会の現実なのを見抜いたが故の悩みであったのかと思われる。立花が最終的に言葉に行き着き、その言葉の音に関して何かの啓示を得たのかもしれない。

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