最近のニュースで米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)の2社の経営危機が表面化し、日本の金融機関が2社の発行した債券を総額で28兆円保有している事が判明した。これ以外にも年金資金が購入している分もあると思料され、日本全体で30兆円を越える債権を保有していることになる。関係者は債権には政府保証が付いているから大丈夫と説明しているが、歴史から見れば本当に信用できるかどうか疑わしい。この2社の取り扱ってた住宅ローンはプライムローンとする優良ローンとのことであった。しかし、良く考えると1980年代にこの2社は経営危機に陥り、公的資金の導入で救済されている。この2社は株式公開した上場会社であるため常に成長を求められた事に今回の破綻の原因があると思われる。茲で、日本がサブプライム問題と何故関係するかを説明したいと思う。ファニーメイとフレディマックの2社の経営に関してはこの何年も経営不安説が流れていた。しかし、その経営不安を乗り切ってきた背景は、2社が大量発行した債券を購入する先があったからである。その主要な先が日本の金融機関であり、年金資金である。仮定の話で恐縮だが、プライムローン債権市場が不調であったら、サブプライムローン債権が大量に発行される事はなかったのではないかと言う事である。プライムローンと言っても住宅価格が大幅に下落すれば不良債権比率は高まり、債権発行会社に経営不安が出るのは自明の理である。日本の経営者、特にサラリーマン経営者しかいない金融機関のリスク管理はお粗末としかいえない。最も損失に責任を取らない役人が運用する年金資金など論外である。日本の官僚は昨今のカジノ資本主義を理解している割には全ての対策が後手に回っている。子供の頃から塾通いで勉強だけの秀才には難局を乗り切る知恵は出ないと思われる。過去の成長期の様に敗者復活出来るシステムが必要な時代かもしれない。
「仕方なく休みを取る?」福田総理
国土交通省の責任転嫁と天下り先の強化
構造偽造事件は国土交通省の責任を問うことなく、建築士の資格更新の研修強化と言う馬鹿げた決着で幕を下ろそうとしている。建築士の資格である知識が不足して起きた事件でないのは自明の理である。今回の事件は刑事罰を受ける犯罪である。もし、資格の更新について問題があるならば審査する側である。大半の建築士は不正の申請など行ってはいなしし、デベロッパーから不正を強いられても応じる事はない。もともと大規模化した現在の建築物に対して東京都庁の建築指導課でも対応が難しくなってきたのを民間の審査機関のレベルで構造審査を費用的に見ても適格に行えないのは国土交通省の担当者も理解していた筈である。それが米国の要請で、小泉政権時に建築審査機関を短くする目的で民間委託が決まり、且つ「仕様規程」を「性能規程」に変更して不正の芽を植えたのである。百歩譲って役所のスリム化から民間委託は良しとしても、構造審査に限り民間委託にしないで別な審査機関を設けて行うべきであったのである。この反省なくして制度を改めても利用者の民間側では経済活動に支障がでるだけである。今回の事件後に国内の法律の施行の手順をを無視して審査基準を強化したため昨年7月以降現場が混乱したのは承知の事実である。責任を取らない役人に全て任せた結果である。今回の問題に政治家の存在は皆無である。漸く、新たな対策で動き出したが、今度は建築士の資格更新の強化と一定規模以下の建物に関しては審査不要との馬鹿げた対応である。この意味するところは、役人の天下りを増やすだけで民間にとっては何のメリットもない事に抗議すべきである。役人の天下り先の民間審査機関の会社とスタッフに対して厳しい研修制度を設けるべきであり、国交省の責任を明確にしなければ同じことが復起きると思われる。
豊かさの代償
最近の新聞報道を見ると悲惨な事件が多く、これが豊かさの代償なのかと暗い気がする。30年以上前から不動産の開発を通して多くの人達の人間模様を見てきたので、私の父が「子孫に美田は残さず」の口癖の言葉の正しさが今は理解できる。確か、中国の大地を描いたパールバックの小説にも病気の父の枕もとで財産の分け前を争う醜い場面があったのを記憶している。私が不動産開発を通して見た事は、お金持ちの家ほど相続者同士の争いが激しいと言う現実であった。逆に、貧しい家族ほど子供達は親孝行であり、兄弟間が仲が良いと言う事実だ。尤も、兄弟達は成人して結婚するので他人が入る事で問題を複雑にしていることは否めない。先代社長の時代に共同開発の成功を目前にして駄目になったプロジェクトの事が当社に語り継がれている。駄目になった理由は、完成後のマンションの間取りの件で打ち合わせに行った時に、お嫁さんが亭主の両親を日の当らない北の部屋に決めた事に我慢できず、「10年後の貴方達の部屋ですぞ良いのですか」と言ってお嫁さんの顰蹙を買ったためである。当時、先代社長は同じ年位の母親がおり、親を大事にしない夫妻を見て腹が立った為であった。当社は不動産開発などの事業を準公共的な仕事として捉え、土地所有者と言えども媚を売らずに正論を言う伝統がある。小企業と言えども社会に貢献する姿勢は当社の企業精神であり、街づくりの使命である。豊かになる事を否定するわけでなく、問題は到る過程において如何に評価される方法で行ったかである。「子供は親を見て育つと言う言葉」を今の親達に考えて欲しいと思う。
日本人は嘘つき
最近読んだ本に書かれていた事で納得する事があった。世界の国別評価の中で日本人に対する評価は"礼儀正しい"、"真面目"などが定着しているが、その本では日本人は「嘘つきだ」と評価されている。勿論、この日本人とは江戸時代の幕府の役人の事であり、一般庶民を指した評価ではないが、最近の政治家と役人の発言を聞いていると、「嘘つき」と言う言葉通りで何も当時と変わっていないことに気付いた。この影響か、経済人も知識人も、果ては一般庶民も平気で「嘘つき」になっている様だ。最近はこの嘘つきに"ミーイズム"まで加わり、漸く日本人も資本主義の仲間入りが出来た様だ。尤も、"外交に嘘は付きもの"と言う説も有るので、江戸時代の幕府官僚としては封建社会で生きてきたので同族同士の騙しあいの遣り方の知恵を使っただけなのかもしれないが。"嘘は泥棒の始まり"、"嘘も方便"とかの言葉がある。後者の言葉は仏教から出た言葉で、時には"嘘"を付く必要な局面もあるとの教えと記憶している。最近の20代の男女にアンケートで「嘘も方便」の是非を聞いたところ、70%が肯定したそうだ。ちなみに、私は"馬鹿正直"と言われたいと思うが、皆さんは如何か。