民主党政権後の政権再編成!!

8月30日の衆議院選挙で民主党政権が発足するのは確実であろうが、問題は鳩山ー小沢政権が現在の民主党左派と何時の時点で決裂するかと興味が湧く。尤も、自民党が失う議席数と自民党を離脱したグループの当選者数によって変数が違うので、現時点では再編成の動きの予測が難しい。しかし、小沢の頭の中には、英国の保守党と労働党や米国の共和党や民主党の様な政権交代の図式を描いていると思われるので、再編成は間違いなく起きると断言できる。勿論、小沢の頭の中は更に一歩進んで、グローバル化した社会経済にあって政治を機動的に進める方法として戦前の翼賛会の政治体制を考えているかもしれない。何れにしても、すべての政治家は国民の困窮など意に介さず政界再編の闘争で権力を持つ事に血眼である。国民の一人としては、既成政党の垢に染まった連中の政界再編製など期待できないので、少なくても予算書を読んで理解できる人達が結集した新しい政党の出現を期待したい。多くの国会議員が官僚から政治を取り戻すとか言っているが、予算書も読めない馬鹿な国会議員や利権ばかり求めて国を売る様な国会議員が政治の主導権を握っているから、官僚が言う事を聞かないのである。国民からすれば、選挙で洗礼を受けない官僚に手玉を取られる位な政治家など要らないのである。財政論議は官僚の域を出ないものばかりであり、何かと言えば官僚を代弁して税金を上げることだけである。日本は長年に渡り、インフレ経済を前提にサラ金財政を繰り返して来たが、低成長経済になって税収に見合った財政に切り替えるのに手間取っている内に、900兆円の赤字国債発行というお化けを作り上げてしまったのである。日本の財政再建などは現行の予算編成の仕組みでは消費税を10%に上げた位では付け焼刃になってしまうので、革命的な予算編成の仕組みに変える必要があると思われる。既成の枠組みでしか考えられない政治家はいらないのである。政界再編製の前触れの選挙なら政党の公約でなく、立候補者個人の政策に注目する必要がある。

 

日本の若者は内向的になって来ている(バックパッカーの減少)

日本の若者が海外に興味を持って国を出るケースが減少しているとの記事を目にした。確かに、現代は色々なTV番組で海外の観光地や秘境などを放映しており疑似体験できるので、行かなくても行った気持ちになる錯覚現象をもたらし、海外を見聞する興味が失せているのかもしれないと思う。しかし、映像で見るのと実際に行って体験するのでは情報化の時代でも雲泥の差があることも事実であるので、何故日本の若者が海外に興味がなくなったのか残念である。特に、グローバル経済と言う産業の水平分業が進む中で、否応なしに海外との交流が必要な時代に内向的な日本の若者が増えている現象は海外投資家の日本売りに拍車がかかる恐れがある。豊かな時代に育った若者を見ると、余り酒を飲まず、他者との争いも好まずと言った優等生が多い。千葉市長選で30才台前半の市長誕生を皮切りに、多くの市で若い市長が誕生しているが、今の若者は明治維新時の様な若者ではない事に早く気が付いた方が、期待感が失望感に変わった時にショックが少なくて良いと思われる。良く考えると、江戸時代は藩が国家であったので、当時の若者にとっては日本国内を旅するのは国外旅行であり、海外旅行することも距離が遠くなるだけで意識的には同じであったものと推察される。勿論、当時の若者は現代の様に20歳で大人でなく、元服の儀式である15歳で大人扱いであったので、今の若者と比較して精神年齢の成長と社会と対峙するが早かったことも明治維新に若者(今で言う若者ではない)が活躍した背景であろう。若者ならば失う物がないので期待できると言うのは、昔の話であり、豊かな社会の今の若者は失うのが怖い世代なのに気が付かないと社会が混乱すると思われる。何れにしても、知的好奇心がバックパッカーを生み出すと思われるので、閉塞感溢れる日本から飛び出す価値は大きいと考える。私の時代は円が1ドル300円台であったので容易に海外に行けなかったが、それでも「地球一人歩き」などの本を手にして海外に出た人達がいた。今は1ドル90円台である。日本を考えるには海外から日本を見るのが最適である事を知るべきである。

海外投資先の安定とは何か!

中国の新疆ウイグル自冶区の暴動でマスメディアは中国リスクを報道しているが、中国に進出している企業などの反応は全く180度異なる見解である。多くの企業は、中国における共産党1党独裁が長く続くことを期待しているのである。理由は簡単である。中国が今回の新疆ウイグル自冶区の暴動を早期に鎮圧したことが進出企業にとっては安心感をもたらしているのである。海外に進出した企業にとっては一番困る事は混乱である。今の中国は、経済は資本主義であり、政治は共産党独裁で安定しているので、投資先として安心なのである。日本は戦後の政治的混乱を55年の自民党の単独政権体制構築で収束して高度経済成長を実現してきている。隣国の韓国でも民主主義の政治体制の李承晩政権が倒れて朴軍司独裁政権が誕生して漢江の奇跡といわれる経済成長を実現している。今の日本の混乱は何時から起きたかと言うと、55年体制と言われた自民党の単独政権が崩壊してからではないか。確かに、情報化の時代を迎えつつあった流れの中で、自民党と官僚組織は長い安定に胡坐をかいて来た嫌いはあるが、バブル経済崩壊後のポピュリズムに迎合した政治の不安定さが赤字財政を拡大し、格差社会を作り出し、経済の低迷を招いたのではないだろうか。欧米はグローバル経済の拡大の中で新植民地主義とも言える「グローバルスタンダード」を確立しようとしている。此れに対抗するためには強力な政治が必要であるのに、日本は「とりあえず民主党」にしか政権を委ねる事が出来ない情けなさである。今こそアジア主義を標榜し、アジア人が手を携えて地域経済を確立して新植民地主義に対抗するアジア基準を世界に発信する時である。人口比率から言えば当然の事であるからである。

京都地裁の消費者契約法の適用で「更新料」は無効の判決に思う

大きく紙面を飾ったので京都地裁の判決「更新料の無効」については周知の事実と思うが、この判決には色々と考えさせられる。最近特に思う事だが、次第に過保護社会になり、企業の差別化の活動にも影響が出てくると思われる。訴訟に於ける陳述書などを見ていないので軽率には判断できないが、2年契約で2ヶ月分の更新料は確かに通常と比較して大きいとは思われる。しかし、賃貸契約締結時の礼金・賃料、更に更新時の更新料は一体化したものと考えられるので、問題は礼金が何ヶ月だったのかと賃料が相場と比較して安かったのかが意味を持ってくると思われる。消費者契約法では、「消費者の交渉力の格差をを考慮し、消費者の利益を守る」ために制定されたのだが、住宅の賃貸などは仲介業者などの専門家が介在する場合も多く、また昨今は比較物件も多いので、何も知らないで賃貸契約を締結したとは考えられない。然も、情報化社会なので必要以上に専門知識が得られる時代にあって「情報の質や量、交渉能力の格差」を強調する消費者契約法などは企業の活動を制約する悪法になるかもしれない。当社もプロパティマネジメント業務を行なっているので、入居率が悪いマンションなどについては賃料を低くして2年後の更新料で収入を多少カバーする案をオーナーに働きかけるケースも有り得る。今回の様な判決が出ると、借主にもマイナスの影響が出る恐れもあり、慣習的に行なわれてきた更新料を簡単に新しい法律で否定するのも考えものである。そうでなけてば契約の締結など意味を持たなくなり、契約社会が混乱するだけである。

減点主義が日本社会を脆弱にした

経験が必要と言うと、直ぐに一個人の経験などは不確定部分が多すぎて参考にならないと反論される時代である。しかし、私が言うところの経験は、一つには"物づくりの経験"での事であり、二つには"失敗の経験"である。前者は言うまでもないが、タイトルの問題は後者についてである。直近の事例では、北海道の大雪山系の山での遭難事故に見られる様に、順風満帆での登山経験しか持たないガイドなど非常時には役に立たないのである。実社会でも、挫折や失敗の経験のない者は非常時に弱いのである。特に、若い世代は便利な情報化社会の中で育ち、然もPCを使えば簡単に答えが出るような生き方であるので、尚更、経験を重視しない傾向が強い。減点主義は戦後の長いインフレ経済時代の産物だが、極論を言えばインフレ時代は失敗の経験など必要ない様に錯覚したのである。然し、デフレ経済や低成長経済の時代では、効率至上主義となり、経費を極限まで削減するので、成功体験しか持たない考え方には大きなリスクが内在することになる。昨今の日本社会を見ると、成功者に対して過剰な評価が目立つ。少なくても、自己資本の創業者の成功に対しては間違いなく成功に至る過程で資金確保の苦労や失敗体験を有していると考えられるので多少過剰評価になっても大丈夫だが、サラリーマンの経験しかない社内ベンチャーの成功者に対しては先の創業者と同様な評価をすることはリスクがある。尤も、茲で論じているのは能力のない失敗者ではない。有能であるにも拘らず失敗体験を有する者の方が、成功体験しか持たない者より非常時や危機に対応する能力が優れていると言いたいのである。

中国市場開拓で頑張る元物産マン

昨夜、元物産マンの方と酒を飲んだ。NYから休暇で帰国した友人を交えた3人だけの宴であった。元物産マンの方とは久し振りにお会いするのだが、何時も人間の器量の大きさに圧倒されてしまう。彼の様な日本人が戦後の日本の経済を発展させてきたことを思わざるを得ない。彼は現在、知人の会社の顧問として中国に2箇所の工場を立ち上げ、70歳を越えた今も中国法人の社長として頑張っている。彼からすれば今の日本は閉塞感に満ち溢れており、遣り甲斐のある仕事がないので、中国で事業を進めているとのことであった。最近は中国の言葉も分かり、中国での仕事も楽しくなってきた様だ。お金しか頭になく、小人物ばかりの昨今の日本人とばかり接していると嫌に成ってしまうが、元物産マンとお会いして気分が晴れやかになった。待ち合わせた新橋の居酒屋は小さいが食品部門で活躍した人らしく、新鮮で美味しい店であった。この店の選び方一つ見ても外見だけ拘る成金達と違い、本物を見る目の凄さが伝わってきた。彼には迷惑かもしれないが、私は勝手に彼を師として位置づけている。今度は中国で彼と美味しい酒を飲みたいと願っている。

有本ご夫妻の「田原総一郎」に対する提訴は当然

今回の有本ご夫妻のジャーナリストの田原総一郎に対する提訴は、TV番組で王者の如く振舞う彼の姿を見ていた視聴者は拍手喝采であろう。反権力を標榜している人間がTVと言う公共の場を利用して権力者になって行く有様は醜い。田原の様に庶民の味方の振りをしてTVで言いたい放題の姿は目に余る。政治家も行政も経営者も情報による暴力を恐れ、TVで権力を持った者達に対して媚を売っている。今はITによる情報伝達が可能になり、別な情報手段で彼等に反論する事が可能だが、それでも全国放送のTVと比較すれば弱い。尤も、田原などメディアに飼われている視聴率を確保するための忠実な番犬の役割なのであろう。しかし、許せないのは人を傷つける発言を平気で行なうことであり、その情報源に対しては報道と言う大義名分で明かさなくても良いと言う事を利用しての発言だから性質が悪い。田原は外務省高官からの取材で知ったと主張するらしいが、その外務省高官が間違っている可能性もあり、発言の裏をとっているのかと言いたい。役所からの情報だから全て正しいなどと言うのは時代錯誤も甚だしい。特に、現在の日本は北朝鮮のインテリジェンスに晒されているのだから、北朝鮮情報などに関しては特に慎重に真偽を確認するべきなのである。有本ご夫婦は権力者でもなく、ご令嬢を拉致された被害者であり、然も高齢で気が弱くなっているのに、田原の言動は許せるものではない。田原だけの責任でなく、朝日TVの責任でもあることは明白である。TVを通して世論を誘導する姿勢は到底許せるものではない。本来ならば一緒に提訴すべきである。

新聞<週刊誌<月刊誌の意味

此れを見て何だか分かりますか。私の若い頃に先輩から聞かされた記事の信頼性の順番です。新聞は毎日掲載するので記事の信憑性に対しては脆弱です。もちろん、大半が記者クラブを通した発表記事なので相手の謂うままに掲載しているだけですので紙面貸しの記事ですね。論説などは耳学問で成長した記者が偉そうに書いているので、実務者から見れば核心を突いていないものが多い。更に、学者や業界の人達の意見ですが、この掲載する内容に関しては新聞社が依頼しているのですから恣意的ですね。新聞とは良く考えると、真実を伝えるのではなく、編集者や業界・会社の意図を掲載したものであることが良くわかります。次に、週刊誌ですが、新聞より記事の裏を取る時間が有りますので、単なる会社や業界の発表記事ではありません。しかし、最近の記事で目に付くのはフリーの記者のインチキ記事を掲載してしまう軽薄さです。週間誌各社とも販売部数が落ちているので、購入して貰うネタであればリスクに目を瞑って掲載してしまうのかもしれません。モラルの低下ですね。最後に月刊誌です。長期に取材をする時間があるので、記載内容に関しては一番信憑性があると考えられます。尤も、月刊誌でも掲載記事をネタに脅迫紛いをする発行会社もありますので、記事の信憑性が高くても連載物が尻切れトンボで終わる場合もあります。時代が変わって今は、インターネット配信の記事も多く有ります。有料のものと無料のものとがありますが、問題は記事の信憑性を何処に位置づけたら良いかですね。若い方は特にITを通して情報を得る習慣になっていると思われますので、今後は社会に一番影響力を持ってくるのでしょう。新聞にも言える事ですが、匿名記事は信用しないようにすることが肝心です。ニュースソースの開示が出来ない理由は理解できますが、それはしっかりと裏を取ってのことです。一方の通行の内容では利用されるだけになりますが、軽薄化幼児化した社会では無理かもしれません。ある本で執筆者が新聞を読めば読むほど社会の先行きが分からなくなると言いましたが、蓋し名言ですね。情報の多様化の中で何が真実を伝えてくれるのかを考える時代になったようです。

都議選の結果と衆議院選挙の予想

都議選の結果は予想された事だが、私はマスコミの論評と異なり38議席が自民党の大敗とは思わない。改選前の48議席から10議席減少したが、石原都政を評価する有権者が10議席減に止めたと考える。本来ならばもっと負けても不思議ではなかった。それでは衆議院選挙では麻生首相の支持率が低いので選挙までに党首を代えれば大敗しないで済むのかと言えばそんなに国民は甘くはない。自民党の政治に対する否定は財務官僚に近い派閥である森派が4人続けて首相を出した事に帰結するのである。野党に転落した自民党が政権に復帰しては再び国民の声を聞かなくなったのは森政権以降である。官僚に丸投げ政治の森内閣が早々と退陣し小泉政権が発足したのが、財務官僚主導の小泉内閣が「格差社会を生み出し」、「地方切捨て」と「福祉切捨て」、更に「社会秩序の崩壊」を招いたからである。小泉後も森派の安倍政権、福田政権の短命政権が続き、漸く森派以外の現在の麻生政権に到ったのだが、その後も自民党は選挙だけしか考えない人達が麻生下ろしを画策してますます国民から乖離してしまった。麻生政権を全力で支え小泉政権時の悪政を正せば政権を維持するチャンスも残っていたが、国民の苦しみなど何処吹く風で政争をしている自民党に国民は愛想がつきたのである。自民党より内部がバラバラな民主党に投票するのは不毛の選択だが、官僚に丸投げの政治の自民党よりは何かするだろうと言う期待感を持つしかないからである。本来は地方政治に起きている若い力に期待する流れを汲む新しい政党の出現を望んでいるのだが、国政レベルでは変化が遅いので仕方ないからである。全国の知事会が政党に対して質問状を提出し地方自冶を理解する政党を支援する行動に出ているが、既成政党だけでなく一歩踏み込んで新しい政党に対する支援を行なえば政治が変わると考える。何れにしても、衆議院選挙では自民党は歴史的な大敗北を喫するであろうが、国民の痛みを省みない政治を推進してきた報いであるので、それを思い知るべきである。自民党の指摘する民主党に政権能力がないなどは、官僚丸投げ政党の言う言葉ではない。

米軍の核兵器を持ち込むのを容認したかどうかなどの馬鹿な議論が今更必要か

1945年以降日本国内に米軍基地が置かれている状況で非核三原則が守られているなど国民は誰も信じていなかったと思う。米空母が日本に寄港する際に核兵器を撤去してくるなど有り得る訳がない。沖縄の国土並み返還で密約があったかどうかなど全くナンセンスである。常識的に考えて本土に核兵器が持ち込まれているのに何をか謂わんである。学生時代に日本人は「タテマエ」と「ホンネ」を使い分ける民族であることに言及した本を読んだが、農耕民族の典型的な二面性の生き方であろう。この他に「根回し」などと言う慣習も横行していた。人妻と不倫して得た「沖縄密約」をすっぱ抜いた記者が名誉回復を求めて再審請求するなど今更何をか謂わんである。周知の事実を政争の具と報道のネタにして喰っている連中の言葉など迷惑である。インテリゲンチャと言われる類は、「沖縄密約」を入手する手段に使った「不道徳」を容認している発言が多いが、その様なマスコミの姿勢が日本人に今日の倫理的な欠如を齎したのであろう。更に言えば、非核三原則など何の効力もない発言に縛られている政治家も阿呆の集まりである。自国民の安全より法務官僚の解釈が優先される国家など世界から馬鹿にされるだけである。

郵政民営化のトップに金融機関出身者は相応しかったのか

郵政民営化とは①郵便事業、②郵便貯金事業、③簡易保険事業の三事業を民営化して効率的な経営に転換することであるが、このトップに西川社長を選択したのは②と③の事業に対し金融界で辣腕を振るった実績を評価し、民営化を軌道に乗せることを期待しての事と推察できる。此れに関しては異論がないが、①の事業に関しては金融マン的手法で解決できるほど甘くはない上に、郵政民営化で国民が一番影響を受ける事業に経験者でないトップでよかったのかと言う疑問が湧く。郵政民営化の本音は、西川氏をトップにした事で国に対する財投などの破綻に対する郵貯対策である事が分かる。誰もが懸念するように郵便事業が民営化に失敗して再度国営化して赤字の垂れ流しになることであろう。NTTやJRの様に同条件での競争相手がいない業界と異なり、郵政事業は大手運送業の会社と競合するので、過剰な人員と高い給料水準を維持しての効率経営など絵に描いた餅と思える。情報化の時代で通信手段が多様化する中で、郵政事業が優位性を維持するのは至難の業であろう。もし、この様な状況を乗り切れるとすれば、長年の間、民間で運送事業を行なってきた経験者の起用が重要であった筈である。もちろん、経験者と言っても実務から離れた年寄り経営者では時代に付いてゆけないので、起用する人材を確保するのは難しいと思われる。しかし、物流業界に身をおいて過酷な競争に打ち勝って来た経営者を見つけて委ねるしか郵便事業の民営化を成功に導く事は出来ないと思われる。

米国発の大きくて潰せない議論の滑稽さ

我々不動産業界にもふた昔前には「大きければ潰されない」と言う言葉が良く喧伝された。潰せないのは銀行であり、潰されないのは不動産会社である。もちろん、大きさの基準は時代によって変わるが、今日では融資債権を証券化して売却するなどの手法が開発されたので、大きくて潰せないと言った議論は沈静してしまった。金融資本主義ならば、何処の国でもこの様な話があった筈であるが、21世紀にもなって米国から「大きくて潰せない」議論が来るとは予想も出来なかった。グローバル経済の展開で資本の論理の比重が高まり、世界中をM&A資金が飛び回った。その結果、巨大資本の会社が生まれ、且つ寡占化の懸念が起きてきたが、企業が巨大化することに対する制約がなければ誰でも分かる帰結である。高度情報化社会が経験より理論先行型の人間を重視し、何時のまにか誰でも分かる経験に基づく問題が分からない社会になってしまっていた。日本ではIT社会による変革で世代交代が起きた事を明治維新と比較するが、明治維新時は人間の成熟度が全然違う事を認識していない。幼児化現象は日本人だけでなく世界的な問題なのかもしれない。市場主義者も市場が理論通りに動かない事を嘆いているが、不完全な人間が構築し、然も不完全な人間が関係している市場が理論通りの筈がない。ゲーム理論などが米国の考え方の主流であるが、合理的に反応しない人間には役に立たないし、合理的に動く事が人間として優れているわけでもないのにである。世界の全ては行き過ぎると是正する力が働く事を忘れた結果が金融危機である。東洋思想では西洋思想の様に固定して物事を考えるのではなく、全ては諸行無常の世界であり、世界をコントロール出来る様な考えはない。現代は知識はあるが知恵を持つ人は少ない。特に専門的に細分化された現代では多面的な能力を駆使できる存在が少なくなったために、「大きくて潰せない」議論の様な幼稚さが目立つ。

前回の経済バブル崩壊後と今回の金融危機によるミニバブル崩壊後の違い

15年前の経済バブル崩壊では多くの個人資産家が破綻したが、今回のミニバブルでは新興不動産の破綻や失業による住宅ローンの破綻は多いが、前回のバブル経済崩壊で生き残った個人や格差社会で富を蓄積した新興の資産家の破綻は少ない様だ。このためか、今回の景気悪化による不動産下落や株の下落に対しては積極的に投資活動を行っている。専門家筋では、2番底リスクを懸念しているが、預金金利が下がったことやリタイアした年代が年金の支給額の減少を補うためにマンション投資や株式投資にお金が動いている。尤も、元商社マンで現役で海外投資を行なっている方から言わせれば、日本はデフレ経済をから脱却出来ていないのに今回の金融危機に見舞われたので、失われた10年の再来の懸念があると言う。しかし、IT社会の浸透で時間軸が速くなっていることや今回は世界規模でのバブル経済崩壊であるため、今後の経済予測は難しいものとなっている。尤も、先の元商社マンが再度失われた10年になる事を憂慮しているのは、大事な時期に日本の政治が無責任に混迷しているからである。日銀短観などは景気の底を打ったなどと発表しているが、前回の様な日銀の判断の誤りだけはご免蒙りたい。日本の不動産は底を打ったと言う見方が広がっているので、不動産の動きが今後は一層活発化してくると思われるが、問題は先行投資が実を結ぶ投資効果が現れるためには、景気の回復によるビルなどの需要が回復しなければ腰砕けの恐れがあることである。そう言えば前回も景気回復が見えて来たときに政治の「不安定」と「理由なき円高」、そして「アジア通貨危機」によって失われた10年となってしまった。日本だけが他国より先に景気回復することは危険であることも考える必要がある。

  • entry175ツイート
  • Google+