民主・仕分け作業で明確になった問題解決に何でも弁護士に頼る誤り

民主仕分け人・蓮舫と民間仕分け人の弁護士との見解の違いの遣り取り報道で、問題解決に何でも弁護士起用が間違いであることが明確になったと思われる。不思議なのは昨今、弁護士をスーパーマンの様に色々な問題解決に起用していることである。私の経験から言えば、弁護士は法律には詳しいが、議論の対象となる業種に対する知識は門外漢であり、一般の大衆と変わらないレベルである。勿論、難関の司法試験に合格するのだから記憶力は優れているので、関係専門家からヒアリングすればある程度の知識を有するようになる事は間違いではない。しかし、長年その業種に携わらないと理解できない部分が多くあることも事実である。私も理不尽な訴訟で何度も矢面に立たされたので人一倍訴訟を経験しているが、陳述書の類は弁護士では書けないので殆んど私が作成したのである。勿論、弁護士は陳述書のテニオハの添削はしてくれたものの、専門的な知識の部分には立ち入ることが出来なかったのである。弁護士とはその様なものであることを認識している一般の人は少ないのではないかと懸念する。更に、弁護士も総ての法律分野に精通しているのではなく、刑事訴訟法か、民事訴訟法か、労働法かそれぞれに専門分野が細分化していることである。そのことを踏まえれば民間仕分け人に登場した弁護士が判断基準に"効率"一辺倒であった悲劇が理解できる。弁護士の世界ばかりでなくどの分野においても信頼の基準は人柄である。専門家に依頼する時にはその点が重要である。どうしても弁護士の起用になるのは破産管財人であろうが、これとて本来は資産処分や会社経営に関係する事なので、他の専門家の起用と合わせて処理すべき問題である。勿論、犯罪と関係した組織を立てなおす仕事には検事上がりの弁護士が必要であろうが、私の知る限り問題解決に弁護士を起用している多くが間違った選択と言える。そう言えば、民間仕分け人の弁護士事務所は、ヴァス・コダ・ガマとか言う名前であったが、この様な事務所名を付けるには実績が少ないので人が関心を持つ名前にしたのが見え見えである。今の様な価値観が錯綜し、混迷している社会では本物を見る目を養うのが大事だが、新しい幕開けの時代には偽者が横行するので気をつけなくてはならない。
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