政党助成金などが政治家を公務員化した

今の職業政治家は正に公務員だ。政治資金規正法により多額な政党助成金を政党が受け取り、個々の議員は報酬の他に十分すぎる秘書手当てや調査費が支払われ、一等地に議員宿舎まで用意されている。若手議員などはこの待遇でも政治活動には資金が足りないと不満を言っている。900兆円の赤字国債を懸念しているのにである。この様な有様を見ると、政治家が公務員化し、国民の声など聞こえなくなっている事が分かる。今回の大地震の対応や原発事故では2種類の公務員が対応したために政治が機能していない。このため、世界から日本の政治の無能さを嘲笑されているのである。自民党の故人となった三木武夫と言う職業政治家が政治の浄化を目的に政治資金規正法に取り組んだのだが、本人もこの制度が政治を公務員化させるとは考えなかったと思われる。尤も、三木武夫と言う議員は、病気で寝たきりになり国民のために仕事が出来なくなっても在職50年を超えると国会に写真が掲示されるので、自己利益のために寝たきりで報酬を貰い粘った議員であった。少なくても、議員報酬くらいは国に返せと言いたい最低な議員が作った政治資金規正法など所詮、国会議員を堕落させるものであった。政治を国民に取り戻すには、先ず、政党助成金の廃止と政治資金規正法の改正である。企業と癒着した汚い政治家は汚職で逮捕すれば良いので、企業献金の禁止など解除すれば良い。議員が政治資金を集める行為が世論を知る事になり、結果的に政治に反映されるのである。政党助成金や過剰な報酬などを与えれば公務員化する議員が増えるだけでなく、今回の大地震の災害復旧中に民主党の長島議員(元逗子市長)に様にボート遊びを行なうような輩が議員に出てくる。政治家が公務員化して駄目なのは、公務員より実務が出来ず、能力が低いので税金をドブに捨てていると同じだからである。日本人は記者クラブ制度の官製報道のマスコミに乗せられてクリーンな政治を求めたが、実際には官僚に頭が上がらない政治家が生まれただけであり、まんまと官僚に国民は騙されたのである。政治とは清濁併せ呑む器量があってこそ国民のためになるのである。奇麗事で腹は満たされない。

災害復興予算には米国債の一部を売却して充当しろ!

与野党の政治家もマスコミも米国債(70兆円規模)の売却に触れない。表面的には二つの理由からと推測できる。ひとつは、10兆円もの米国債を売却してドルを円に換えると円高を招くと言う理由だ。ふたつは、今回の災害に米国がtomodachi作戦を展開して日本を支援してくれたことによる義理立てからである。裏面的には、当然にこの災害を利用して従来の財政再建に必要な大増税を行なう算段だからだ。災害対策の全てが遅いのに公務員給与5%引き下げを官公庁労働組合の承諾を得て国会にザル法の公務員改革案を国会に提出する早さは、大増税に対して国民の目先を誤魔化すためである。先の米国のtomodachi作戦などは、中国の防波堤になる日本が沈没したら困るので米国の冷徹な政治によって行なわれているものであり、日本のお涙頂戴とは訳が違うのである。為替が政治で動いている事が明確に分かったのは、円高が必要な時に円安に動いて来たからである。勿論、この考えには当然反対意見が出ると推察するが、リーマンショック以降の円高などマスコミが報道している資金の安全な避難先としての日本などではないのである。その様に思わせる報道をしているマスコミの罪は大きい。私が言いたいのは米国債70兆円の内の10兆円の売却である。7分の1も未曾有の大災害に使えなければ国民のためにならない資産と言う事になる。もし、復興財源として米国債の売却が行われないならば、今後の増税など認めるべきではない。大災害を利用して増税を企てるなら政治家も役人も命を捨てる覚悟で行えと言いたい。国民に対し大災害で消費が減少するのを承知で敢えて更なる痛みを伴う政策を実施するには当然に命と引き換えでなければならない。公務員の給与5%引き下げなどで誤魔化されるものではない。勿論、国会議員定数の半減も引き換えに行なうのでなければ国民は承知しない。

人心一新

日本では古来より大災害などが起きると「人心一新」して新たな体制で取り組んだ。江戸時代には年号まで変えて危機を乗り切ったのである。「人心一新」の意味するところは様々な解釈があると思われますが、災害以前の体制が持続した場合には責任問題などが邪魔をして復興がスムーズに進まないことを懸念した配慮と考えられる。先人の知恵は今でも有効と思われるので、今必要なのは正に管内閣が辞職して復興内閣を立ち上げる必要があることである。菅内閣が辞職しないとすれば、私利私欲で動いており、国家国民を考えていない証拠である。国民が求めているのは新しい顔である。大災害前の顔が何時までも出てきたのでは過去を振り返って悲しみで前に進めなくなる。今の政治家を見ると本当に小人物しかいない。日本はデフレ克服と財政再建と言う中途半端な二兎を追う政策を進め来たために経済が深刻化した。大災害にも財政再建などと言う戯言が顔を出し、国難に対して馬鹿げた議論を進めようとしている。日本経済の復活に足を引っ張っているのは政治だと言う記事が掲載されていたが、正に当を得たものだ。しかし、大災害の復興に政治が足を引っ張る様では看過できない問題だ。官僚を超えた政治家が独りもいないのかと情けなくなる。福島原発事故は海に大量に汚染水を放流し放射能を拡散させたことにより、今後は国内問題から国際問題に発展してくる可能性が高い。海洋汚染が深刻化すれば賠償問題は天文学的になる可能性もある。国家の叡智を結集して福島原発事故に対応しなければならないのに未だ東電の対応レベルしか見えていない。菅首相は福島原発事故直後の視察に問題が出ているのだから首相を継続して国家的危機に対応しているのは相応しくないのである。国民の声が聞こえない政治家など百害合って一利なしである。「人心一新」を打ち立てた新党を作り、国難を乗り切る政治を期待したい。

日本にはリスクマネジメントは根付いていない!!

日本は世界でも類を見ない災害発生可能性エリアに位置しており、日本国民のDNAには大災害に対する記憶が刻み込まれていると思われる。しかし、現代社会の様に科学が発達していなかった時代での大災害に対する術としては、大災害に立ち向かう意識よりはどちらかと言うとじっと我慢して耐え抜いて記憶の彼方に追いやる方法しか選択はなかったと思われる。日本人は台風一過性民族とも言われるのは、どんな災害でも時間が解決してくれると言う楽観的な考え方でしか生きられなかったためかもしれない。日本には四季があり美しい自然に恵まれているのは、大災害の危険地帯に位置する天の恵みかもしれない。勿論、日本人は自然の驚異に一方的に敗者となっていたわけではなく、その時代で可能な技術水準で自然に対してササヤカな抵抗を行なって来たことも確かである。しかし、喉もと過ぎれば暑さも忘れる諺の様に過ぎ去ったことに執着する日本人は少数派と思われる。長い時間の中で培われたDNAを変えるのは容易ではない。阪神大震災の悲劇は遠い記憶ではないのに今回の東北関東大地震には余り経験が生かされていない。幾ら都市型災害と広域地方型災害と違っても、非常時における組織の対応は同じな筈であると思われるのに平時の対応しか出来ていないのには驚きである。自衛隊を大量に投入すれば非常事態に対応できると考えての事であれば、戒厳令により自衛隊に総ての権限を集中させなければ出来る訳がない。被災地は行政機能も失われていることを想定して素早く手を打つ事が重要なのに情報がないとの理由で官邸は動かない。恐れ入り屋の鬼子母神だが、日本人は事前に想定して物事を決めると言う事には下手な人種である思われる。これは何も災害に対してばかりでなく、全ての範疇で起きている現象だ。後では取り返しのつかない建築物なに関しても楽観的だ。そのため、想定が狂うと対処の仕様がないのが現実である。色々な分野でリスクマネジメントを言われるが、今の日本社会にはそれが根付いているとは思われない。リスクマネジメントは現場を熟知しないと出てこない発想だからであり、日本企業のトップの殆んどが企画畑など頭でっかちの出身のために古来のDNAの欠点を払拭されていないからである。原発事故の東電もトップは正に現場軽視の連中で構成されている。

ひとりの村長の強い思いで実現した安全!

東北関東大地震による津波を防いだ15mの防潮堤を造っていた村が存在したとは驚いた。その村とは岩手県譜代村である。明治時代の大津波の言い伝えが今は故人となった「和村幸得」村長の脳裏から離れず15mの防潮堤の実現に繋がったとのことである。建設当時は15mの防潮堤に対して反対もあったらしいが、反対を押し切って造った防潮堤が今回の大津波に有効に働き、多くの人命を助けた。県内でも10mの防潮堤を造っていた町はあったそうだが、今回の大津波には効果がなかったので、もし故和村村長が反対の意見を聞いて妥協していたら、他所と同様な被害を出していたと思われる。ひとりの政治家の執念が多くの村民の命を助けたことを考えると政治の本質が見えてくる。政治と現場を考えると、首長や議員の位が上がるほど現場と乖離し大衆迎合的な政治家が多くなる。当選するために信念を曲げる様な人は政治家に向かないが、今の社会では信念を持った政治家など皆無であり、選挙民のために働く思いなど微塵も感じられない。今回の大地震では多くの事を学べる機会であるので、「良い政治とは何か」、「良い社会とは何か」を考える必要があると思われる。日本は地震、台風、津波、火山など天災に見舞われる事が多いので、早く忘れる事で災害に対する痛みなどから回復してきたが、現代社会は災害に対し事前に備える技術が飛躍的に向上しているので、問題は政治が機能しているかどうかと思われる。過去の教訓を生かして来なかった日本人の台風一過的な民族性ではグローバル社会では生き残れない。
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