産経新聞の一面"日本よ"に掲載された石原慎太郎の原発に対する妄言は哀れの一言に尽きる。石原慎太郎が作家と政治家の二足の草鞋を履いてから30年以上は経過していると推測する。自民党の参議院から衆議院に転出し、その間には運輸大臣にも就任して若い人には作家より政治家の石原慎太郎の方が通りが良いと思われる。然し、「日本よ」の文章を見る限り、この人は政治家でななく作家の域を出ていないことが分かった。この様に書くと今更と言われるかもしれないが、私自身は石原慎太郎の作品を読んだことがなかったし、況して政治家の石原慎太郎については興味がなかったので、彼の書いた文章を読んだことがなかったのである。今回は偶々産経新聞の"日本よ"の副題「原発に関するセンチメントの愚」に興味が引かれ読んだのだが、その牽強付会に驚いたのである。正に「駿馬も老いれば駄馬になる」を地で言った姿に哀れさを感じる。原子力行政に長く携わった知人でさえ、今回の事故に対して国民に申し開きが出来ないことをしたと悔いているのに、原発の技術や原発のリスクを省みない文官どもの跳梁跋扈も知らずに、1回の事故で原発を否定するにはセンチメントの愚と論じる愚かさには呆れて物が言えない。良く考えると、この様なインチキ政治家が日本を駄目にした張本人であり、語るに落ちたとは正に石原慎太郎を指す言葉だ。特に、新党参加に関しては日本を憂う様な事をほざいているが、実際には浪人中の馬鹿な次男坊を次の選挙に当選させたいだけのことだ。尤も、そのことは日本人のセンチメントだと逃げるのであろう。又、福島原発の放射能など問題ではないなら、自分の妻や子供や孫に福島産の米と野菜などを食わしているかと言う質問にもセンチメントと逃げる複線を用意しての狡さが見える。石原慎太郎に言いたい。言葉ではなく行動で示せと。福島に孫を住まわせ、福島産の米、野菜類、魚介類を食卓に上げてから福島事故の放射能などで騒ぐなと書けば敬服する。それが王陽明の陽明学の真髄「知行合一」である。
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