劣化した社会
最近は不動産と建築の仕事を通してしか物事を見ていないので偏った見方かもしれないが、最近の設備機器などを見ると気配りが出来ていない製品が多いことに気づかされる。この原因は効率重視なのか、デザイン重視なのか分からないが、一つ言えるのは間違いなく日本社会は劣化していることである。炬燵の上に置くテーブル板ひとつ見ても、今のテーブル板は水をこぼした場合の配慮がない。以前のテーブル板は周囲が嵩上げされており、こぼす事を前提に作られていたが、最近のはその様な造作がなされていない。この種の製品はビル内の湯沸所の水周りにも共通点がある。25年以上前の製品には水道の蛇口の長さやステンレス板の造作に事故に対する設計上の気配りが成されていた。都心の建物の建築でもインフラが乏しい時代には台風などで下水が溢れた場合を想定して建物の位置の高さを決めていた。しかし、今の社会はインフラも充実し便利になった為か、事故に対する配慮が全くと言ってよいほどない。勿論、効率経済の時代には、起きる確立が低い事故を想定して建築するほどの工事費は与えられていないので無理もないかもしれない。IT社会は確かに過去の様な無駄をなくす役割を果たしているが、建築業界においてはその無駄が安全と想定外の状況に対する防波堤になっていたことは確かだ。ちなみに、最近の建築物は計算ぎりぎりに建築資材を使って建てるために余裕がない建物が多いと思われる。建築現場でも人手不足と効率のためにipadなどを使った映像を見て現場の確認をする傾向が強まっているが、実際の現場を見ない工事に対する信頼性において不安も過ぎる。複雑な社会なので分業体制が進んでいるが、この様な社会は"木を見て森を見ず"が当たり前になり、大事なものを見過ごしてしまう可能性が大きくなるのではないかと思われる。最近の例では、東京電力の福島第一原発の事故においても東電のスタッフは事故処理において終始監視室内の操作盤と睨みあって外部の状況を目視することはしていなかった。想定外の状況が起きているので操作盤が正常に動作していない可能性も高かったのに、誰一人疑った者が居なかったのには驚いた。この現象はビルの管理においても同様だ。現場の管理要員も監視用のPC画面を眺めているだけで余りビル内の点検には動かなくなった。不便な時代には管理要員はそれぞれの現場を確認しなければ実態が把握できないので、常時現場での点検が習性であったが、今の管理要員はPC画面に異常がなければ点検しない。しかし、異常が出たときには遅いのであるが、現代社会は監視機能が発達したので、逆に人々はそれに自縄自縛になっている。便利な社会と言うのは私からすれば劣化した社会としか映らない。複雑化した社会はスペシャリストは育つが、ゼネラリストがいなくなり、全てが部分最適な手法で処理されているので、事故が起きるまで誰も気が付かない。この社会現象に気づいた訳ではないだろうが、一部の人達はフラットな組織を作り、全員が情報を共有する体制を作っている。今更、昔に戻れるわけではないので、フラットで上下関係も超えた組織が劣化した社会の歯止めになるかもしれないと思われる。
コメント