百田尚樹氏の「海賊と呼ばれた男(上下)」を読んで

ノンフィクション・ノベル誕生と謳った標題の本を読んだ。読むと誰でも出光興産の創業者の出光佐三翁と分かるのだが、以前に読んだ出光佐三翁の伝記と内容的には変わらなかったが、ノベルにした理由は史実に近いものの裏づけ資料や主要な人物が既に亡くなっているために敢えて想像力を働かして真に迫ったからと推察される。尤も、事実と相違する歴史小説と勘違いされたくなくてノンフィクション・ノベルと言う範疇を作ったものとも思われるが、何れにしても本書は事実に近いものと看做せる。今の時代にこそ、出光佐三翁の様な日本人がいたことを思い出して現代の困難さに立ち向かう勇気が必要と思われる。少し前に、東京都の石原都知事が時代が時代だから随意契約など無視して解約しても良いと発言した新聞記事を見て、出光佐三翁が生きていたらその言葉に嘆いたものとおもわれる。いや、出光翁はこの様な日本人とも思えない日本人を多く見てきているので、石原の様な卑屈な日本人を憐れんだものと推測できる。最近読んだ雑誌で宇宙は計画的に出来上がった事が宇宙誕生時に発生したマイクロを分析して分かったと書かれていたが、その視点で言えば戦後の日本人に出光佐三翁と言う人物は天が与えてくれた存在と言える。然しながら、現代を見る限り、出光翁の教訓を生かしたとは思えない日本人ばかりが跳梁跋扈している。一企業人より国家の利益を常に考えた明治人の気概には感服する。勿論、明治人の生き方が総て出光翁かと問われれば否としかいえないが、少なくても明治生まれの私の母方の祖父(父方の祖父は私の生まれる前に他界した)は明治人の気概があった。今でも思い出すのは、3歳頃の記憶だが、祖母が2杯目のご飯のお替わりを私の意思に反して多かったので残したときの強烈な言葉であった。その言葉とは、「博文、お前は自分の腹が分からないのか」であった。現代のお爺ちゃんはその様な言葉を孫に投げかけるであろうか。明治人は物の大事さや他者を考えることを小さいときから躾の一つとしていたものと思われる。同じ様な話だが、子供の頃に大工の棟梁が弟子に夕方出された食事について出された物を手をつけて残したときに言った言葉も印象的だった。それは、"残すなら手をつけてはいけない"であった。アフリカ系の女性が日本語の「モッタイナイ」を世界に広め日本に逆流してきたが、私は祖父の言葉や大工の棟梁の言葉がモッタイナイとは意味が違うと考える。「モッタイナイ」は飽くまで自分のことや物が豊富にある事を前提としているが、「ご飯を残さない」や「残すなら手を付けない」には他者の利益と物不足を前提にしているからである。私が企業人として敬意を表している人に「出光佐三翁」や「本田宗一郎翁」などがいるが、この人達の特徴は官の理不尽さと戦ってきたということである。翻って、現代は官と戦うより、官と共同で利益を貪る輩ばかりが目立つ。この様に書くと、私が村上ファンドの村上やライブドアのホリエモンを評価していると誤解されると思われるので、念のために言うが法律を犯す行為を正当化する企業人を評価する考えはない。過っての日本人にはスケールが大きな人物がいたのである。グローバルな時代にこそこの様なスケールの大きい日本人の生き方を学ぶ必要がある。士魂商才は出光佐三翁が生涯を貫いた思想である。そう言えば、当社と出光興産は一つの共通点がある。当社の社訓にある「社員は家族であると言う家族主義」である。人を大事にしない企業が栄えるわけがないことは確かである。

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