集団的自衛権の本当の目的とは何か

安倍内閣が集団的自衛権の成立を憲法解釈を曲解してでも急ぐ理由は中国の台頭と国民は思わされている。確かに、民主党政権時代に起きた石原元東京都知事の尖閣諸島取得問題に始まった中国との領有権争いが偶発的に戦争を引き起こす可能性もあるとのことで、国民の多くは安倍政権が日米同盟の強化を目的とする集団的自衛権成立を図っていると単純に思い込んでいる。しかし、今回の集団的自衛権の成立を図る目的は単なる中国との領有権争いだけではないと見た方が正しいのではないかと思われる。一つには、憲法解釈を曲解するのに法制局長官を外務官僚から登用したことである。二つには、今回の集団的自衛権の成立には防衛官僚の姿は見えず外務官僚と経済官僚の動きが突出していると思われるからである。

結論から言えば、集団的自衛権はグローバル経済に必要な道具と言えるからである。何故なら、グローバル経済は旧ソ連が崩壊し、世界経済が情報化と相まって急速に繋がったことから起きた現象であるからである。それではグローバル経済が必要ととする最大の条件が平和と言えるからである。

1990年以降に米国で勃興したITの発展が将来を食う形で進み、実体経済との不整合により破たんした後に起きたのは9.11であり、その後米国はテロの総本山としてアフガニスタンに介入し、更に独裁国のイラクに対して戦争を仕掛けたのである。尤も、グローバル化以前は、旧ソ連の崩壊で東側の諸国が次々と資本主義国家となり、又独立していったが、その過程では宗教的民族的対立によって紛争が起きた為に、国連は欧米諸国を核として軍隊を派遣して鎮静化を図った。しかし、アフガニスタン、イラクは9.11と言うテロ事件を理由に米国が単独乃至は友好国の支援を得て起こした戦争である。これ以降は国連が決議して国際紛争を鎮静化するシステムが徐々に壊れていったと思われる。特に、リーマンショック後のリビアに対する民主化運動による独裁国の転覆は今日のグローバル経済の障害を取り除くと言うエポック的なものであった。民主化と言う言葉は資本主義経済とは違うのだが、何時のまにか民主主義イコール資本主義国家となり、更には新自由主義なる言葉も出てきた。正に、新自由主義がグローバル経済をけん引する言葉であり、此処に集団的自衛権が必要とされる理由である。

新自由主義とは、企業を中心とした考え方であり、逆に言えばグローバル化した経済が国家を超えた存在となり、国家は企業と自由な経済活動を守る為には軍隊を海外に展開する必要があるからである。安倍内閣は何故集団的自衛権の本当の意味を国民に伝えないのかと言うと、新自由主義者の企業中心の考え方は、格差社会の元凶であり、一部の企業や人達に富を偏在させるものだからだ。冷戦時代や情報化時代以前の日本経済は分かち合うシステムであったので、大企業を中心として中小企業がそれを支える構造であった。それが、グローバル経済では、大企業は国内の中小企業と利益を分かち合う関係は必要なくなり、大企業も国内に投資や従業員に利益を還元しないで内部留保金を蓄えるだけになった。この様な状況では、海外に展開する日本企業を守るために自衛隊を派遣するなどとは言えないからである。

集団的自衛権は隣国の中国の台頭を上手に利用したものであり、正に戦前の財閥企業中心とした社会の出現であり、軍隊が企業活動を守る為に海外侵略した図式と内容的には同じである。グローバル経済が民主化と言う美名のもとに企業の経済活動のエリアを拡大し、進出企業が現地で反対運動に遭遇するとテロ集団として自国の軍隊を派遣できるものになりつつある。当然に一カ国だけでは対処しきれないので、利益を享受する国同士が連携して反対勢力(全てテロになる)に対応することになるが、これが集団的自衛権の目的である。国内で分かち合う経済があり、格差社会で国民の大半を切り捨てなければ集団的自衛権も意味のあることであるかもしれないが、今後予測される様な格差社会の助長と大企業だけが繁栄する経済構造では国民の命を犠牲にする集団的自衛権など無意味である。有識者が指摘するように日本を守るだけなら現憲法でも十分であり、集団的自衛権など必要がないのである。

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