大企業出身の中小企業経営者を考える

中小企業の末席、と言うより零細企業の経営者の私が、過去だけでなく現在進行中もあるが、多くの経営者を見てきた中で大企業のサラリーマンとして長年勤務してきた方が中小企業の経営者や役員になった場合には、考えさせるられケースが多い。一流大学を出て大手企業に勤務したホワイトカラーの人達は、中小企業の経営者を馬鹿にする傾向が強く、特に従業員に関しては能力の低さを指摘して不満が多い。ここでホワイトカラーと言ったのには理由がある。同じ様なサラリーマン人生でも理工学部出身のブルーカラーは工場勤務などで現場経験が豊富な為か中小企業の実情に融け込めるのか、不満より前に現状の戦力で前に進む工夫をする傾向が強いと思われることだ。勿論、全てに当てはまる訳ではなく、飽く迄も私の経験の範囲と独善的な見方である。

零細企業の経営者は先ず人を大事に考える。大企業や有名企業の様な生活が安定する会社ではないから必要な人材の確保には年中苦労しているからである。翻って、大手企業出身者の人達は優秀な人材が揃っているのは当たり前の感覚であり、指示すれば従業員はそれなりの答えを出すのに慣れているので、期待に応えない従業員に対しては冷たくなる。ブルーカラーも同様だが、ホワイトカラーと違う点は、ブルーカラーの場合には工場を動かすのには最低限の人数が必要な事を知っているので、従業員が反感を持って辞めてしまう愚は犯さない。

尤も、ホワイトカラーでも労務を経験していたり、多くの部署を経験している者は組織を動かすには何が必要なのかを理解していると思われ、従業員に無茶な要求はしない様だ。何れにしても、大企業出身者が請われて中小企業経営者に就任すると、現場の状況を理解せずに机上で人事を考えてリストラを断行し、、目先の収益改善を目指す傾向が強い。これが何をもたらすかは一目瞭然だ。中小企業や赤字体質の会社の従業員は給与などの待遇に恵まれていないケースが多いので、不条理な経営者が現れたら簡単に会社を去ってしまうことだ。この事は何も従業員に限ったことではなく、取引先も同様だ。将来性があるなら我慢して取引先として残るが、将来性もないうえに、経費節減でコスとカットを強いられたら取引を止める選択をする。

兎に角滑稽なくらい判で押した様な結果が出ているのに、それを大企業出身の中小企業経営者は理解できないのを良く見る。大企業出身者が中小企業の経営を任されるのは、その企業が不振である場合が多い。その為に無駄な費用の削減は必要だが、長く不振である場合は遣れることは既にやっている場合が多い。この様な会社の経営を引き受けるには、経費節減より前にやる気を失っている従業員の士気を高め、業務を超えた協力関係を構築するのが先決だ。後先を間違えると一時的には成功したかの様に見えても先行きは失敗することになる。会社はやる気のある従業員がいなければ成り立たない。どの様な時代になっても本質は変わらない。勿論、人間に変わってロボットが登場すれば別だが、私が経営者の時代には考えなくても良いことだろう。

経営が厳しい会社を引き受けるには単身で乗り込んでも難しいと思われる。以前聞いた話だが、三井住友銀行の元頭取の西川さんが日本郵政会社で思う様に経営の改善が出来なかったのは、連れて行った部下が少なかったとのことだった。あれ位の規模の会社だと100人を引き連れて行かないと指示が行き渡らないとのことであった。この話は真実思われる。幾ら優秀な人でも中小企業の経営を任されたら信頼できる部下や知人が何人かは必要になる筈だ。上に立つ人物は頭が良いだけではないのである。上に立つ器量と言うものが必要なのである。特に、中小企業の経営者になるには、カリスマ的な要素が必要な場合もある。振り返ると、亡父が若い時に田舎で経営していた事業の従業員は亡父の事を親分と言っていた。親分が世間から評価されると子分の従業員も喜ぶと同時に誇りに思っていたのが分かった。私は二代目の経営者だが、先代の社長が作った社是には「会社の経営理念を家族主義を最良とする」が最初に書かれている。二代目の無能さゆえに理念を全うする力はないが、出来るだけ理念には近づきたいと思っている。"事業は人なりである" 幾ら能力の低い集団の零細企業でも皆が力を合わせれば能力以上の力を発揮できるのである。

最近の中小企業に請われた大手企業出身の経営者は自己利益だけしか考えない者が多くなり、経営のリスクも負わなく、ダメなら何時でも逃げ出すと従業員に思われているケースが目立つ。零細企業の経営者として従業員が、私をどの様に思っているのかその様な会社を見るにつけて気を引き締める。特に、新規事業所の開設で中途採用の従業員も多くなり、初心忘れずの必要性を考える。

  • entry589ツイート
  • Google+

PageTop