日本の政治風土

三重県松阪市の山中光茂市長の辞職の記事を見て政治家として活動していた亡父のことを思い出した。亡父も茨城県と言う保守が強い地域で革新無所属で改革に取り組んでいたが、最終的には改革に対する強い主張が選挙民から怖がられて受け入れられなかった。

山中市長は従来の手法を変えた行政運営の改革を推進してきたが、図書館の民間委託で挫折した。山中市長は佐賀県の武雄市長であった樋渡啓祐氏の行政運営を評価していたが、樋渡氏は独断専行的な政治手法が市民から否定されて降板した人物だ。

松阪市民が図書館の民間委託位で山中市長を否定した理由が分からないが、日本には独断専行的な手法を嫌う政治風土があると思われる。尤も、最初から否定ではなく、受け入れた後に拒絶するのが顕著なのだが、この問題は歴史的に考察しないと判断できない国民性と考えられる。

聖徳太子の17条憲法の最初に「似和為貴、無忤為宗」が載っていることでも分かる。市井の民族学者の宮本常一氏も離島の暮らしを踏査した時に地域の運営が民主的手法で行われている事に驚いている。宗教でも分かる通り、日本は多神教だ。争いを避けるために多神教になったとの推察も荒唐無稽ではないと思料する。

翻って、改革を唱える者でも受入れられている事実があるとの反論も当然出ると思われるが、それは偽者だからである。小泉純一郎や橋下徹は改革者ではなくポピュリズムを利用する偽者だ。真の改革者ではない。先の樋渡氏は政治的実現にはポピュリズムも必要と言っているが、その使い分けで樋渡氏は失敗したと推測される。山中市長が辞職を選択したのは市民に対する失望感だと思われる。私も政治の世界に興味を失ったのは亡父の姿を見て最終的には現状維持を好む選挙民の為に働く意欲を持てなかったからだ。

安倍ノミクスで大きな支持を得た安倍首相は安保法案で大きく支持を失った。安倍が国民から受け入れられたのは、急激な改革で景気を良くする手法ではなく、金融政策と為替による輸出拡大と株高であったからだ。日本人は自分に直接影響する政策には拒絶反応を起こすが、間接的な政策には寛容だ。しかし、国民を二つに裂く様な政策には厳しい判断を下す。

日本人は根回しと言う民主的な手法で争わないで解決するシステムを構築した民族だ。私が若い頃に労働組合に加入して活動して驚いたことは、革新的な団体と思われた労働組合が幹部選出などに根回しと言う古いやり方を踏襲していた事だ。しかし、21世紀になり、閉塞した社会を打破するためにダイバーシティの導入を求められれてきた今、日本の政治風土が変わるのか興味がある。現時点では、未だ変わっていないので、今後の課題となるが、現代の企業活動で盛んに変わらなければ生き残れないと言う標語が政治の世界にまで浸透し、実践されるのか。地震、台風、火山など自然災害に見舞われる自然環境の中で育まれた考え方は基本的には変化を受け入れたからこそ生き残った筈だ。日本人の保守性は過去の出来事を踏襲することで自然のリスクを避けてきたと考えられ、変化を好まないとは性質が異なると思われる。

この為、日本の中で政治改革を進めるには、単に保守とか革新とかではなく、安定を実現する改革者を求めていると思料する。

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