当社が共同開発した大型ビルの新築時に入居した最後のテナントが2月末で退去することになった。尤も、経営者が変わっても店名が同じ飲食店が未だ入居しているので厳密には違うかもしれないが、契約者名が同一と言う事であれば間違いなく新築時からの最後のテナントと言える。このテナントは特許事務所だが、代表の方が退去のご挨拶にお見えになられた時のお話で50年の特許人生を歩まれ、その内の半分の25年が当社の管理するビルで業務を従事したことが分かった。25年の歳月は生まれた子供が25歳になることでも分かるように、新築時入居のテナントが借り続ける確率は相当に低い。25年間の長い間に色々な出来事があったが、その中でも入居時の内装工事で不愉快な思いをしたらしく、25年の退去時の原状回復時の打ち合わせにも所長さんからその話が出たと担当者から聞いた。当時は未だ建設会社から引渡しを受けていなかったので、建設会社にお願いしてテナントの内装工事を認めてもらった。このため、テナントの内装工事に当社は関与出来なかったこともあり、建設会社との間で協力金などのトラブルに近いこともあった様だ。私が所長さんと初めてお会いしたのは部長時代であり、バブル経済真っ只中の賃料値上げの時であった。今から思えば、入居3年後とは言え20%の値上げに関してはテナントの顰蹙を買うのは当然であったので、ビル内のテナントが団結して反対行動を展開し、ビル内の9階の当社事務所に抗議してきた。当時は私も若かったので、団体交渉を拒否し、飽くまで20%の値上げを主張して押し切った。この時に、私が更新契約書に関して記載ミスをし、その訂正を部下を通し所長さんに求めたところ拒否された経緯があった。この事を部下から聞いた私はその場で電話を掛けて更新契約交渉で信頼関係を築こうと言った所長さんの言葉を取り上げて非難した。すると所長さんが私も短気だが、貴方も短気だねと返され、生まれがお互いに関東だと分かり、所長さんの配慮で契約書の訂正を受け入れてくれた経緯があった。今となっては懐かしい思い出になった。その後、何度か所長さんと話す機会があり、その時に入居している我々が三菱地所とは言わないが誇れる会社になって欲しいと助言された。長い間、貸しビル業の管理を行っていると管理面でクレームを付けてくれるテナントが大事なのを理解する。何も言わないテナントは退去を考えているからで、ビル側が愛想をつかされているのである。貸しビル業界も不動産ファンドが進出し、テナントと貸して側の関係も対立的になった。平成ミニバブルには40%の賃料値上げもあったそうだ。時代が変わったことを痛感した。特に、不動産ファンドの大半がスペースを貸している意識しかなく、貸しビル業がサービス業であることを理解していない。新築ビルと比較して古いビルは特にサービル業を意識しないと賃料の下落に歯止めが効かないことになる。当社も多くのビルの管理を通して教えられたことが多い。50年の長きに亘り特許事務所を経営してきた方の言葉には重みがある。今回の退去も年齢を考えて取引先等に迷惑を掛けない為に後輩が経営する特許事務所に経営を委ねるためとのことで引き際の素晴らしさにも敬服する。新築時入居の最後のテナントの退去には走馬灯のように25年間の色々な出来事が思い出される。
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