科学技術の発達が想定外の災害に弱くなっている

21世紀に入り、科学技術の発達は目覚ましいものがある。その一助になっているのはIT技術であるが、正に技術を活用した無駄をなくす効率を目指した合理的な考え方が想定外の災害に弱いものになっている事実が一方では起きている。建築業界に目を転じれば、建物の構造計算をコンピュータの活用などにより、過去に比べて正確さが増してきてると同時に、施工に関しても無駄を無くす効率化と相まって精度が向上したこともあり、昔は短期3倍、長期5倍の様な実際の計算より大幅に強化した建物が作られていたのだが、現在はその様なゆとりでは作られていない。話が変わるが、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所が日本海中部地震に見舞われた時には、構造計算より25%以上の力が加わったが、原子炉建屋が壊れなかったのは長期5倍の考え方が根底にあったからであった。翻って、現在は科学技術が発達して高度な計算が出来るようになった為に、構造計算を大きく上回る仕様で建築することがなくなったので、想定外の災害が起きた時には壊れてしまうことになる。勿論、建物には配管や設備及び付属施設などが配置されているので、建物が壊れなくても大丈夫という事はないが、過去になかった様な地震が起きてきたこともあり、計算を超えた考え方が役に立っている事実も否定できない。成熟した社会が、更なる成長を遂げるために効率重視の考え方が生まれたが、この考え方は自然災害に対しては危うい社会をもたらしている。実は災害に強い建物は建築家の直観に負うところが大きいとも言われている。昔はコンピュータもなかった時代である。私の学生時代でも最初は計算尺を使っていた。

建築家の直観は根拠のない物でもなかった。自然に存在する形を真似た結果が構造上強い建物になったという説もある。スペインのバルセルナのガウディの奇抜な建築物などは中世の教会建築に対するアンチテーゼとして造られているのだが、地震の少ない場所とはいえ、建築家の直観に基づいた建物であることには変わらない。勿論、現代では単なる計算だけでなく、自然界の創造物を考慮していることは確かだろうが、コスト削減だけの効率重視の建物の危うさを思わざるを得ない。東日本大震災でも都内の建物は大丈夫だったと安心するのではなく、便利な時代ではなかったので安全の幅を拡大していたことを忘れてはならない。新しい建物が安全とは言えない事を肝に銘じるべきだ。

  • entry600ツイート
  • Google+

PageTop