大正時代に来日(1917年)し、その後短期間で中国を旅する予定の米国人夫妻が中国に魅了され、1年間滞在した時の母国の家族などに出した手紙を著作にした本を読んだ。当時の米国大統領はウイルソン。米国人の男性はコロンビア大学の哲学学科教授のデューイと妻のアリス。デューイは米国のプラグマティズムの哲学者でしたので、日本や中国に対する視点も文化以外では効率や生産性などに重きが置かれている。日本に居た時の手紙では西欧式近代化に向けて頑張っている事に関する視点がなく、日本人の挨拶や行儀、歴史的な建物に対する興味などが主たるものであった。政治的には朝鮮に対する日本の支配に対して批判的に書いていた。一転して中国に対しては当時の中国人に対する不衛生に対しては文化として批判的には捉えていない上、将来的には恐るべき国になることを予見している。中国滞在時の日本に対しては軍閥と手を組んで中国の市場を奪っているとし、更に日本商品の粗悪品が流通している点を憂いている。中国製品に関しては古美術品を評価し、素晴らしい製品も作られていると賛辞している。デューイは日本を訪問して米国と日本が将来的な軍事対立が避けられないことを強く感じた様だ。手紙では英国にも言及しており、英国は中国に対して関心が薄く、インドの支配に重点を置いているとし、中国は日本や欧米からの留学生の帰国者が民主主義国家を作る為に行動を起こしており、兵隊もその行動を支持して来ていると書いている。以前に読んだ米国のアジア史において米国は民主主義を拡大することを米国企業進出と相俟って目指していることが書かれていた。その背景には、デューイの様な学者の見解があり、将来的に巨大な市場になる中国を自由市場にして西欧に背を向けた米国の国力増進に寄与させる意図があったと思われる。日本は豊かな米国が中国をターゲットにしていることを考えもしないで、日本の生命線として中国を外国の勢力の干渉外に置く政策を進めていた。デューイには日本は人工的に無理して物事を進めているので何れは破綻すると見ていた。米国人の多くが中国や中国人に対し好意を持ち、日本に対しては狡賢い二枚舌の国民と見ていたことが分かった。この悲劇が日米の和平交渉の中でルーズベルト大統領とハル国務長官が日本人に対して似たような感想を持っていたことが戦争を避けられないものとした。時間が大分過ぎた戦後の米中国交回復に当たったニクソンの側近のキシンジャーが同様の考えの持ち主だった。その様な思想が今の米中対立を起こしたのは笑える話だ。勿論、米中対立で日本が考える必要があるのは中国が米国に対して対抗心を持たなければ米国と中国は相思相愛の関係に戻るリスクだ。習近平が何故米国に対抗する意志を持ったのかは不明だが、習近平が退陣すれば鄧小平の言葉である「米国と対立するな」が蘇る。今のマスメディアは戦前の大日本帝国陸海軍に中国進出を煽った様に反中国を叫んでいるが、過去の出来事と米国人の日本人に対する見方を考えて中国政策に対しては米中対立の先兵にならないで慎重に動くことが重要と示唆している。
コメント