議会制民主主義の限界は情報開示・暴露で打開できる

改革派首長と地方議会が対立している。もともと地方の首長選挙は市町村を二分して行なわれることが多いので、選挙後に議会の多数を握っている首長の当選でないと議会がスムーズに運ばないケースはこれまでも多かった。地方には自立した選挙民とでも言える存在が少数派なので、首長が改革を行なうのに必要な議員の支持を取り付けることは困難である。先般、市長と市職員の報酬の引き下げを議会で可決したが、議員の報酬は否決した新聞記事を見た。全国の市町村が財政難の折、議員が自分達の歳費だけ減額しないと言う現実を見る限り議会制民主主義の限界を感じる。勿論、先の議員報酬削減の否決結果を見て選挙民は議会のリコールを求めたにしても「自立した選挙民」が少数派の限り、地縁血縁の選挙で再度議員の多くは返り咲いてくるので、意味を持たない絶望感がある。議会制民主主義が欠点を抱えながら存続してきたのは、これ以上の方法が見出せなかったからだが、情報化の時代になってヒトラーが指摘した民衆「群盲像をなでる」の無知から抜け出せる期待が出てきた。先の「自立した選挙民」に成長するためには政治の世界で開示されなかった多くの情報が開示・暴露されることが必要であったからである。最近、世界を驚かせた「ウィキリークス」の米国外交電報文書の暴露などは典型的な「自立した選挙民」の出現には欠かせないと考えられる。日本には、古来より「本音」と「建前」と言う二律背反した言葉があるので、庶民が知らなくても良い事は聞きたくないと言う風潮がある。しかし、この風潮が政治を悪くし、行政の無駄を作ってきたことを選挙民は自省しなければならない。何れにしても、民衆は多くの情報源によって真偽を判断する事は可能になって来たので、アジテーター類の政治屋に騙されない「自立した選挙民」になる必要がある。

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