マスメディの悲観的報道の大合唱は要注意だ!

TV番組で新聞社の論説委員が日本の報道は悲観的な記事を書いて国民の発奮を促すスタイルだが、その様なスタイルは社会が変わり、国民も性質も変わったので変えなければいけないとコメントしていた。しかし、今回の東北関東大地震及び二次被害の福島原発トラブルを見る限り少しも変わっていない。日本の部品輸出の停滞で世界経済まで影響が出るので大変だと大合唱だ。一方では、「頑張ろう」や「日本は負けない」などウザッタイコマーシャルで一杯だ。報道で先行きの不安が増せば、地震に関係ない東海・西日本まで自粛ムードが広がり、悪循環が起きてしまう。マスメディアの報道などなくても経済に影響が出るのは分かるので、国民が知りたいのは記者クラブ制度でコントロールされた情報でなく、本当の被害や企業の工場生産体制の復旧などの情報だ。大変だとマスメディアに騒がせて国民の知らない間に何等の構造改革を伴わない増税が行なわれる危険だ。財務官僚などは増税の下地が出来たと国民の不幸など省みずに動いている。故事で「」雌鳥が鳴くと国滅ぶ」とあるが、正に日本では「マスメディが騒ぐと国滅ぶ」である。大変だの合唱で増税路線に一直線だ。米国債70兆円を復興に使わずして何時使うのか。今回使わなければ二度と使えない。保険会社や企業が地震復旧の為にドルを売って円に変えるから投機筋が動いて急激な円高になったと報道されているが、投機筋とは米国なのは間違いない。日本国内にお金があるのに海外のドルを売って円に換える企業など居ない。復興予算に米国債の売却報道がないのは一目瞭然だ。増税に対してマスメディアも後押ししているからだ。行政改革と政治改革なくして増税は認められない。

日本の技術に対する過信の弊害

今の若い人達は日本の技術が米国などに比べて劣っていた時代を知らない。マスコミも企業広告が経営に欠かせないので、日本企業の未熟な時代など触れない。理解できないのは、マスコミの日本企業の技術に対する賞賛の嵐である。尤も、ここ数年は日本製品が過剰な仕組みのため価格競争で韓国などに勝てないなどと、技術の評価ではなく、新興国の需要にあわせた物づくりの必要性を五月蝿いほど流している。今は技術的に評価が高いトヨタであるが、45年前の車を知っている私からすれば、今のトヨタの評価は電子機器による制御技術の成果であり、機械的な技術はドイツ車と比較して未だその水準に達していない事を知っている。何時の時から日本人は技術力が高いと自惚れたのであろうか。若い頃、韓国に情報技術の製品を売っていた企業を訪問した時の事だが、その時代には、新聞各社は韓国企業が日本の製品を解体して技術を盗んでいることを批判した記事を掲載していた。私もその事が念頭にあったので、技術を盗む韓国企業は酷いですねと訪問先の企業の担当部長に話したら、即座に我々も米国製品を解体して技術を盗んだので一緒ですよと答えたことが今でも記憶に残っている。日本のマスコミなどその様なことを百も承知で、今の中国に対して技術を盗んでいると批判している。勿論、日本企業は以前の韓国、今の中国と同様に欧米の技術を盗用して技術力を高めて来たのだが、努力なくして技術を高める事は出来ないので、その点は立派と思われる。欧米に追いつけと言った謙虚さが技術改良に結びつき、世界でも評価される技術水準に到ったので、今ほど日本の技術に対する過信がなかったと思われる。今騒ぎとなっている福島原子力第一発電所の建設には米国のGEの技術で造り上げたもので、当時の日本の技術では原子炉などの主要設備は造れなかった筈である。1980年頃でも原子力発電プラント輸出で日本企業が取り扱えたのは周辺設備だけであり、原子炉本体など考えられなかったのである。尤も、原子炉本体を取り扱えなかったのは単に技術だけでなく、万が一の事故に対する補償に耐えられなかったのも事実である。それが何時の間にか日本企業だけで原子力発電プラントの輸出が出来るレベルに技術的にも資金的にもなったらしい。確かに、日本の原子力発電所は世界に類を見ない程建設・運用においては厳しい基準にある。しかし、統計確立論で物事が判断され、尚且つ効率などが指摘されるようになり、厳しい基準で行なわれてきた日本の原子力発電所にも謙虚さがなくなり、技術者の過信を産んだと思われる。以前、不動産ファンドの物件でアセットマネジメント会社の若い担当とエレベーターの保守点検で議論したことがあった。若い担当は米国の大学を卒業した頭が良く、珍しく現場の重要性を知っていたのだが、エレベーターの保守管理では誤った考え方をしていた。それは、エレベーターの事故が過去に殆んど起きていなかったのは納入していたメーカーのフルメンテで管理していたからであり、経費節減で納入メーカーから独立系の安いコストで引き受けている会社に保守を委託した場合には過去のデーターが使えないと言うことを理解できなかったのである。勿論、現代は色々な技術の問題を簡単にシミュレーションすることによって事前に問題点や誤りを把握することが可能になったことと、IT技術の進歩で機械設備に対する視覚での現場管理が年々省略されてきている。しかし、竣工後2年以内や経年劣化した物に対しては、中央センターで計器類や画面を見ているだけではリスクを排除する事は出来ない。それ以上に怖いのは錯覚で技術に過信した場合と思われる。東電が福島第一原子力発電所の使用を延長した背景には技術者の過信と経営者の利益向上とが相俟った弊害が出たのではないかと推察する。日本の技術はここ30年で飛躍的に向上したが、何時の間にか技術に対する過信が生まれ、色々な現場で危うい状況が進行している可能性は否定できない。特に電力の供給に関しては昔の様に殆んど停電がなくなったので、家庭やマンション・ビル設備に置いても長い停電を想定していない機器類で溢れている。然も、効率経営が主流の時代にあって全ての分野でギリギリまでスマートにされた設備機器には非常時の余裕など殆んどない。遠い過去の様に不具合が当たり前の時代には過剰とも思える配慮が行なわれていたが、現代では全て想定外の答えしか出てこない平時の物で溢れている。危機は其処まで来ている。映画のタイトルの様だが、今の日本を点検すると技術的な過信の弊害に満ちているのが分かる。

民主党の政治主導は政治無能の責任逃れ!

小沢一郎が唱えた政治主導の標語は民主党の標語となり現政権である管首相や閣僚も政治主導を継承している。自民党の小泉純一郎が金融資本主義の過剰な競争社会を作り出し、格差社会にあって公務員は競争社会の蚊帳の外に置かれた存在と国民の眼には写り、更に効率化と言う標語で行政の無駄をマスコミが報道するに従い、何時の間にか公務員は悪役になってしまった。マスコミも国民の無知に付け込み、何時の間にか小泉政権をバックアップし競争社会を作り出したにも拘わらず、今度は連日連夜民主党の政治主導に対して必要性を報道により垂れ流したのである。これにより、本来は政治に向く必要があった国民の不満は全て現在においては恵まれた公務員に矛先が行ったのである。確かに、公務員の現在の給与は、民間企業の様に業績と関係なく、然もリストラもなく、退職金や年金も民間企業と比較して手厚いので反感をもたれるのはもっともと思われる。然し、良く考えなくては駄目なのはこの様な待遇を決めるのは議会であり、議員達が議会で議決しなければ出来ないと言う事実である。公務員は予算に関係する事を勝手に決められないのである。では、何故議員達は公務員の給与等を大企業並みに引き上げたのかを検証すると、議員報酬や議員年金、更には諸手当を引き上げるために役人を懐柔したのである。自民党政権時代の官僚との馴れ合い政治がもたらしたものと言える。官僚が2世、3世議員や社会経験のない職業政治家が増え、政治の質的レベルが下がるに連れて政治家を利用して自分達の権限や役得を拡大したのは事実である。しかし、この事実でもって全てを役人を悪とし、政治家の政治主導の戯言を聞くわけにはゆかない。行政の実務や予算の仕組みも勉強しないで政治ごっこを行なってきた議員達にこそすべての責任がある。政治家どもが政治主導などと戯言が言えるのは、役人と違って選挙によって過去の罪状がクリアされると言う間違った考え方が浸透しているからである。前にもblogで書いたが、役人を指導できる大臣が存在したのは佐藤栄作時代迄であり、田中角栄以降の大臣は論功行賞で就任したので実務知らずで役人に丸投げ政治となった。このため、日本の政治は次第に政治主導ではなくなったのは確かである。当の役人も政治家の質的レベルの低下を憂いて次第に重要な政策に関しては議員に相談することなく勝手に行なうようになった。国民が茲で考えなくてならないのは、政治主導にするためには政治家のレベルを上げなくてはならないのだが、役人と同じレベルの発想しか持たず、然も実務能力が低い議員達が政治主導を行なったらどうなるかは、民主党政権を見れば一目瞭然である。役人は法律の範囲内でしか物事決められないが、政治家は法律を変えて国民の期待に答えるのが役目である。今の政治家は政治主導になれば全て良くなると言う幻想を抱いているが、日本社会を良くするには政治家は政治を行ない、役人はその政治の実現を実務的に推進する姿こそ必要なのである。今回の大震災において評価できるのは、遅滞なく大規模に自衛隊を投入した位で、省庁横断的な対策本部が機能しないばかりか、緊急的な組織対応が平時のまま運用されているなどと言う馬鹿げた現象が生じた、政治主導どころか政治が機能していないのは、指示されなければ機能しない行政の扱い方が全く分かっていないからである。政治無能を役人に転嫁する政治主導などの標語に惑わされてはならない。行政組織のスリム化や民営化や規制緩和は必要だが、小泉の時の様に官僚が描いたシナリオで構造改革を行なっても意味がなく、本当の政治主導とは官僚虐めと効率化でないことを国民が知るべきである。今の民主党の政治主導など壊すだけで何も生まれない。

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