小沢一郎が唱えた政治主導の標語は民主党の標語となり現政権である管首相や閣僚も政治主導を継承している。自民党の小泉純一郎が金融資本主義の過剰な競争社会を作り出し、格差社会にあって公務員は競争社会の蚊帳の外に置かれた存在と国民の眼には写り、更に効率化と言う標語で行政の無駄をマスコミが報道するに従い、何時の間にか公務員は悪役になってしまった。マスコミも国民の無知に付け込み、何時の間にか小泉政権をバックアップし競争社会を作り出したにも拘わらず、今度は連日連夜民主党の政治主導に対して必要性を報道により垂れ流したのである。これにより、本来は政治に向く必要があった国民の不満は全て現在においては恵まれた公務員に矛先が行ったのである。確かに、公務員の現在の給与は、民間企業の様に業績と関係なく、然もリストラもなく、退職金や年金も民間企業と比較して手厚いので反感をもたれるのはもっともと思われる。然し、良く考えなくては駄目なのはこの様な待遇を決めるのは議会であり、議員達が議会で議決しなければ出来ないと言う事実である。公務員は予算に関係する事を勝手に決められないのである。では、何故議員達は公務員の給与等を大企業並みに引き上げたのかを検証すると、議員報酬や議員年金、更には諸手当を引き上げるために役人を懐柔したのである。自民党政権時代の官僚との馴れ合い政治がもたらしたものと言える。官僚が2世、3世議員や社会経験のない職業政治家が増え、政治の質的レベルが下がるに連れて政治家を利用して自分達の権限や役得を拡大したのは事実である。しかし、この事実でもって全てを役人を悪とし、政治家の政治主導の戯言を聞くわけにはゆかない。行政の実務や予算の仕組みも勉強しないで政治ごっこを行なってきた議員達にこそすべての責任がある。政治家どもが政治主導などと戯言が言えるのは、役人と違って選挙によって過去の罪状がクリアされると言う間違った考え方が浸透しているからである。前にもblogで書いたが、役人を指導できる大臣が存在したのは佐藤栄作時代迄であり、田中角栄以降の大臣は論功行賞で就任したので実務知らずで役人に丸投げ政治となった。このため、日本の政治は次第に政治主導ではなくなったのは確かである。当の役人も政治家の質的レベルの低下を憂いて次第に重要な政策に関しては議員に相談することなく勝手に行なうようになった。国民が茲で考えなくてならないのは、政治主導にするためには政治家のレベルを上げなくてはならないのだが、役人と同じレベルの発想しか持たず、然も実務能力が低い議員達が政治主導を行なったらどうなるかは、民主党政権を見れば一目瞭然である。役人は法律の範囲内でしか物事決められないが、政治家は法律を変えて国民の期待に答えるのが役目である。今の政治家は政治主導になれば全て良くなると言う幻想を抱いているが、日本社会を良くするには政治家は政治を行ない、役人はその政治の実現を実務的に推進する姿こそ必要なのである。今回の大震災において評価できるのは、遅滞なく大規模に自衛隊を投入した位で、省庁横断的な対策本部が機能しないばかりか、緊急的な組織対応が平時のまま運用されているなどと言う馬鹿げた現象が生じた、政治主導どころか政治が機能していないのは、指示されなければ機能しない行政の扱い方が全く分かっていないからである。政治無能を役人に転嫁する政治主導などの標語に惑わされてはならない。行政組織のスリム化や民営化や規制緩和は必要だが、小泉の時の様に官僚が描いたシナリオで構造改革を行なっても意味がなく、本当の政治主導とは官僚虐めと効率化でないことを国民が知るべきである。今の民主党の政治主導など壊すだけで何も生まれない。
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