日本の技術に対する過信の弊害

今の若い人達は日本の技術が米国などに比べて劣っていた時代を知らない。マスコミも企業広告が経営に欠かせないので、日本企業の未熟な時代など触れない。理解できないのは、マスコミの日本企業の技術に対する賞賛の嵐である。尤も、ここ数年は日本製品が過剰な仕組みのため価格競争で韓国などに勝てないなどと、技術の評価ではなく、新興国の需要にあわせた物づくりの必要性を五月蝿いほど流している。今は技術的に評価が高いトヨタであるが、45年前の車を知っている私からすれば、今のトヨタの評価は電子機器による制御技術の成果であり、機械的な技術はドイツ車と比較して未だその水準に達していない事を知っている。何時の時から日本人は技術力が高いと自惚れたのであろうか。若い頃、韓国に情報技術の製品を売っていた企業を訪問した時の事だが、その時代には、新聞各社は韓国企業が日本の製品を解体して技術を盗んでいることを批判した記事を掲載していた。私もその事が念頭にあったので、技術を盗む韓国企業は酷いですねと訪問先の企業の担当部長に話したら、即座に我々も米国製品を解体して技術を盗んだので一緒ですよと答えたことが今でも記憶に残っている。日本のマスコミなどその様なことを百も承知で、今の中国に対して技術を盗んでいると批判している。勿論、日本企業は以前の韓国、今の中国と同様に欧米の技術を盗用して技術力を高めて来たのだが、努力なくして技術を高める事は出来ないので、その点は立派と思われる。欧米に追いつけと言った謙虚さが技術改良に結びつき、世界でも評価される技術水準に到ったので、今ほど日本の技術に対する過信がなかったと思われる。今騒ぎとなっている福島原子力第一発電所の建設には米国のGEの技術で造り上げたもので、当時の日本の技術では原子炉などの主要設備は造れなかった筈である。1980年頃でも原子力発電プラント輸出で日本企業が取り扱えたのは周辺設備だけであり、原子炉本体など考えられなかったのである。尤も、原子炉本体を取り扱えなかったのは単に技術だけでなく、万が一の事故に対する補償に耐えられなかったのも事実である。それが何時の間にか日本企業だけで原子力発電プラントの輸出が出来るレベルに技術的にも資金的にもなったらしい。確かに、日本の原子力発電所は世界に類を見ない程建設・運用においては厳しい基準にある。しかし、統計確立論で物事が判断され、尚且つ効率などが指摘されるようになり、厳しい基準で行なわれてきた日本の原子力発電所にも謙虚さがなくなり、技術者の過信を産んだと思われる。以前、不動産ファンドの物件でアセットマネジメント会社の若い担当とエレベーターの保守点検で議論したことがあった。若い担当は米国の大学を卒業した頭が良く、珍しく現場の重要性を知っていたのだが、エレベーターの保守管理では誤った考え方をしていた。それは、エレベーターの事故が過去に殆んど起きていなかったのは納入していたメーカーのフルメンテで管理していたからであり、経費節減で納入メーカーから独立系の安いコストで引き受けている会社に保守を委託した場合には過去のデーターが使えないと言うことを理解できなかったのである。勿論、現代は色々な技術の問題を簡単にシミュレーションすることによって事前に問題点や誤りを把握することが可能になったことと、IT技術の進歩で機械設備に対する視覚での現場管理が年々省略されてきている。しかし、竣工後2年以内や経年劣化した物に対しては、中央センターで計器類や画面を見ているだけではリスクを排除する事は出来ない。それ以上に怖いのは錯覚で技術に過信した場合と思われる。東電が福島第一原子力発電所の使用を延長した背景には技術者の過信と経営者の利益向上とが相俟った弊害が出たのではないかと推察する。日本の技術はここ30年で飛躍的に向上したが、何時の間にか技術に対する過信が生まれ、色々な現場で危うい状況が進行している可能性は否定できない。特に電力の供給に関しては昔の様に殆んど停電がなくなったので、家庭やマンション・ビル設備に置いても長い停電を想定していない機器類で溢れている。然も、効率経営が主流の時代にあって全ての分野でギリギリまでスマートにされた設備機器には非常時の余裕など殆んどない。遠い過去の様に不具合が当たり前の時代には過剰とも思える配慮が行なわれていたが、現代では全て想定外の答えしか出てこない平時の物で溢れている。危機は其処まで来ている。映画のタイトルの様だが、今の日本を点検すると技術的な過信の弊害に満ちているのが分かる。
  • entry403ツイート
  • Google+

PageTop