米価は食糧管理制度によって長い間決められてきたが、日本の農業が衰退したのは米価が政治価格として高い扱いを受けてきたことが一因だと暴論を吐くものがいる。然し、本当に米価が高い扱いを受けてきたのなら農村に後継者がいなくなり、兼業農家になる訳がない。米価が政治価格としてマスコミが取り上げるので、都会の人達は米の価格は高いものと錯覚してしまった。私が学生時代に都会出身者とよく米の価格で議論した事があった。先ず、米が主食と言う考え方が間違った時代になっていることを改めなくては議論が進まない。江戸時代や明治時代、更には太平洋戦争時代なら兎も角、高度経済成長を遂げた後の日本では米が主食ではなくなった。主食の意味は食費の割合が高い事を指すと考えると、米は40年前以上に主食の座は失っているのである。数字的に分かりやすく説明すると、一汁一菜の食事の時代には大人が1年間に食べる米の量は3俵と言われている。又、子供の場合は2俵と言われている。この時代でも夫婦と子供3人が食べる年間の米の量は12表になる。1表は60kgであるから12表/年×60kg=720kg/年と計算される。現行価格を見ると標準米で10kg3500円位であるから、親子5人が食べる年間の米の総額は、720kg/年×3,500円/10kg=252千円/年である。月額に換算すると、252千円/年÷12ヶ月=21千円/月である。ただし、この金額は一汁一菜の時代に置き換えての話である。現代は大人でも年間に食べる米の量は1表半でも多いと言われているが、一応、米を多く食べる家族を想定して改めて現代の家族5人が食べる米の量を推定すると上記の時代の半分程度となるので、年間に食する米の量は6俵となり、月額に要する米の購入価格は10,500円/月と算出できる。家族5人が自宅で食べる食事費は平均で7万円とすれば、食事費に占める米の割合は15%である。一汁一菜の時代と同じ位米を食べても30%の割合である。農業が駄目になったのは、米価が高く買い上げられたために生産システムの向上の努力が足りなかったのでなく、主食でもないのに食糧管理制度で価格が決められたために、主食の地位を失ったにも拘らず付加価値の米を生産して高い価格で売る事が出来なかったからである事がわかる。農業政策を司る農水省が家庭にパン食が普及してきた時に農家に米作りでなく、パン食で需要が高まる野菜作りを奨励したるすることを怠り、逆に米の需要減による過剰生産に対して休耕補償で誤魔化したために農業が一層衰退したのである。日本の場合全ての行政組織が同様だが、東大法学部卒に農業の現場や変化が分かるわけがない。私が感心したのは、大手商社の食糧部門に拘わってきた人の洞察力である。パン食が増えると生野菜が売れるのは商売の方程式であることを理解しているのである。実際の現場で起きている事を熟知しているからこそ分かる事である。日本の行政マンは何時の間にか現場を馬鹿にする風潮が生まれ、国民の足を引っ張る事としか出来なくなってしまった。農業の再生には国民が行政と真っ向から対立する姿勢が必要であり、国民も自給自足の大切さを理解し、米が高いなどの思い違いを訂正して欲しいと考える。
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