久し振りに9巻の本を一挙読みした。友人から紹介された本だが、読み進むにつれてデジャビの様に場面を思い出した。最初アマゾンで2冊購入し読み始めたのだが、面白いと感じて2冊目に入った時に3,4巻を購入し、同様に順次購入して読み進めたのだが、その後にこの本は週刊新潮に連載され小説と分かり、掲載時に読んだ記憶が蘇った。
最近、日本再生に明治維新の改革、否革命が話題を集め、何となく強い日本を取り戻そうとの動きが出てきている。別に、強い日本を否定するわけではないが、同じ過ちを繰り返さないためにも歴史を学ぶことが重要であり、その視点を欠いたならば感情論が先行し、衆愚政治が行われる。もっとも、大手マスコミなどの風潮は既に大衆迎合主義に走り、危険な兆候が出始めているので、警鐘の意味でも「満州国演義」を一読することを勧めたい。
私が満州に興味を持つのは、祖父祖母と結婚前の母が満州に渡り、一定期間生活していたからである。特に、引き上げの大変さを聞かされていたので、この様な環境にいなかったらば満州を歴史の一ページしか捉えなかったと思うからでもある。
特に、ある宴会で産経新聞の記者と満州の事が話題になり、軍人や官僚が一般人を置いて先に逃げたことで議論したからである。産経の記者は情報伝達が難しい時代だったので軍人達が先に逃げたのはやむを得ないと言った事に憤慨し、私は貴殿の様に伝聞ではなく、生き証人の祖母と母から聞いた事を話し、抗議したのである。サンケイ新聞の記者ともあろう者が伝聞位の聞きかじりで当時の軍人を擁護し、日本の世論を右翼的な方向に誘導しているのに憤りを感じる。
誰もが一度は読んだことがある司馬遼太郎の"坂の上の雲"だが、私も指摘されて成る程と思ったのが、日本人の意識が"坂の上の雲"で止まっているとし、何故司馬遼太郎は"坂の上の雲のその後"を書かなかったのかと言うことである。しかし、書くに値する歴史的人物がいなかったからでは片手落ちと言える作品だからだ。この様な疑問を払しょくしてくれる作品が"満州演義"ではなかろうかと思われる。勿論、実在上の人物で書いた坂の上の雲と実在でない主人公で描いた満州国演義では重みが違うと言われるかもしれないが、少なくても主人公と取り巻く準主役以外には実際の人物が実名で登場するので、私は坂の上の雲と同列に置いても良いと考える。
満州演義を読むと一部の人間によって歴史が作らてしまう恐ろしさが表現されており、特に人の弱さに対しては絶望的になる。日本は戦後に天皇の責任論に発展するために明確な戦争責任を行って来ていないが、現在の様な戦前回帰的な流れになり、強い日本を造る動きが出てきたので、大東亜戦争に対する総括を行うべきと考える。それには満州国演義などの本を一読することを勧めたい。
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