師走に高校の同窓でもあり、業界の取引先でもある香陵住販株式会社の薄井社長がアポなしで来社した。近くに用事があり時間が早かったので立ち寄ってくれた様だ。彼は1981年に故郷の水戸市で不動産会社を起して今年で37年だが、念願かなって9月にジャスダックに上場を果たした。薄井社長は大学卒業後にマンション販売の大手であった大京に入社し、トップ営業マンとして活躍し、その後地元の茨城県で不動産会社を立ち上げた。高校時代は彼は柔道部、私は応援指団、大学受験で彼は文系、私は理系とそれぞれ歩む道は違っていたが、私が家業を継いだこともあり、30代になり同業者として付き合いが始まった。彼の特徴は業界流行のゴルフを遣らず、日本茶を飲み、冬にコートを着ないことであった。しかし、ゴルフに関しては聞き忘れたが、コーヒーを飲み、コートも着る様になった。年を取って丸みを帯びたそうだ。誠実な人柄が茨城県ナンバーワンの不動産会社を作り上げたことは確かだ。上場しても何ら変わることがなく、驚くことに会社に親族を入れていない。子息を後継者に育てないのかと聞くと親族は扱いが難しいと一言だけ。私が執拗に他人の後継者に会社を潰されたら悔しいだろうと水を向けると、更に仕方がないの一言。達観した生き方には脱帽だ。経済の大変動の中で企業を成長させて上場にまで漕ぎ着けた友人の苦労は計り知れないが、30代に再会した時と何ら変わっていない。彼の会社も顧客に投資案件を販売しているので、スルカ銀行絡みの投資案件に話を向けると、嘘を付いてはダメだと強調し、更に不動産を知らない人達が業界に多すぎると嘆いていた。大学卒業後に不動産業界に入り、40年以上も業界を見てきた人の言葉だけに重みがある。昔から不動産業界には一攫千金を狙った連中が多く、詐欺的な事件も多いが、今の様に表面だけで仕事が出来る業界ではなかった。何時の時からか、知ったかぶりの連中が業界に多くなり、更に金融機関の質も下がり、スルガ銀行の様な事件が増えてきた。私も不動産開発を通して言葉の重みを嫌と言う程体験してきた。中身のないプレゼンテーションなど出来ない世代だ。地道に不動産会社を経営してきた友人の上場は社会からのご褒美なのだろう。会社経営の重みを知った人の言葉はベンチャー企業で安易に起業した連中の何倍もの価値がある。
日産のゴーン問題
日産自動車の会長であるゴーン氏が金融商品取引法等の不正で逮捕された事件が世間を賑わしてるが、今回の問題は日産の救世主と持て囃した日本のメディアなども一因として上げられる。何故ならば、日産の急激な業績の回復は自動車販売の増加ではなく、資産リストラと日産を食い物にしていた古参の社員・OBの排除であったからだ。私が断定的にその事を言えるのは、三つの出来事からである。一つは、不動産ファンドのアドバイザリーに就いて日産の子会社の管理する不動産の売買に何度か立ち会った時の事である。都内の売却物件のデューデリジェンス(DD)の時に、築5年位しか経ていない建物の屋上を見た時に防水修繕工事を行っている異常さに先ずは驚いた。精査すると何も問題が起きていないのに行った修繕工事なのを理解した。日産所有の売却物件を数棟見たが、何れも不可思議な修繕物件ばかりで、本社の担当か管理子会社の社員の指示かは知らないが、建築工事で利権が横行していたのは事実であった。二つ目は、高校の後輩が経営していたIT関係の会社に日産自動車の子会社の役員をしていた人物が常務取締役についており、その役員と独身社員社宅用ワンルームマンション20室の賃貸借契約を進めた時の事だ。物件は勝鬨橋近くにあり、内見を午前10時30分に設定して貸主側管理会社と私と借主のIT会社の総務担当とが時間通りに到着していた。しかし、IT会社の担当役員の常務が到着したのは待ち合わせ時間の1時間後であり、遅れてきた第一声が来るときの電車で知り合いにあって話し込んだとのことで、遅刻に対する詫びの一つも出なかったのである。しかし、物件は気に入った様であり、借りるので抑えてくれとの言葉があったので、時期的に申し込みを入れないで抑えるのは難しかったが、貸主側の三井系の管理会社では、三井銀行系の室町不動産会社に勤務していた銀行出身のOBの紹介だったので、私を信用して20室を抑えてくれたのである。この結末は書かないでも分かると思うが、賃借は社長が賃料が高いと言ってダメになったとの一言でキャンセルになった。私は道義的な責任を感じて貸主の管理会社にペナルティとして100万円の身銭を切ったのである。三つ目は、高校の同窓会の時に同窓が話したことである。同窓の子息は20代半ばで自動車の購入に日産の販売店を訪問した時のことである。20代の若者が購入するには価格的に高いと思われる車の性能や仕様を店内の販売員に聞いた時に、どうせ購入しないだろうとの態度で説明もしてくれなかったそうだ。子息は日産自動車が好きだったが、仕方なくトヨタの販売会社に行って同じように高級車について性能などの説明を求めたそうだ。その時にトヨタの販売員は丁寧に説明してくれたそうだ。この為、子息は俺はこの車を購入する金がないかもしれないよと試しに言ったら、その販売員は将来のお客様になって頂ければ良いですのでと答えてくれたそうだ。子息は感激して即座に購入したとのであった。確かに、日産自動車は労使一体となって経営をしてきたが、何時の間にか経営と言う感覚がなくなり、無責任な会社になっていた。しかし、技術には優れたものがあり、資産も相当あったので、悪習を無くせば再生できる内容ではあった。しかし、内部からでは出来ないので黒船であるゴーンを招聘して改革を断行できたのである。ゴーンは日産の社長になり最初は驚いたと思われる。この会社が何故不振に陥っているのかと。彼の感覚からすれば再生しやすい会社と映った筈だ。それが、ゴーンに植民地意識を芽生えさせて今回の不正に陥ったのと推測できる。ゴーンを誤らせたのは、救世主の如く持て囃した日本のメディアであり、大衆だ。本当に罪作りな事をしたと思われる。
交声曲「海道東征」の東京公演開催について
知人の石川裕一氏が経営する株式会社ぷらう主催の交声曲「海道東征」の東京公演が、東京芸術劇場コンサートホール(東京都豊島区西池袋1-8-1)」で開催される。昨年は共催であったが、今年は単独開催である。株式会社ぷらうは北海道を主たる地盤に活動する企業である。石川氏は学習院時代は故高円宮とご学友でもあった育ちの良い方で、その上学んだ北海道大学で培われた豪放磊落の気性なので、誰からも好かれる人物だ。海外生活も長く、語学も流暢なのだが、最近は国士的な言動が目立ち驚かされることも多い。私に対しては右翼的な考えの持ち主の同類との誤解があり、海道東征の作曲家の信時潔に関しても既知として話されので戸惑った。しかし、今の世の中にあって"言行一致"、"知行合一"の人生を歩んでおり、それが故に詐欺師に騙されたこともある。今回の公演も単独開催になった経緯は知らないが、多分梯子を外された感もあるのではないかと推測する。チケット販売に苦戦していると支援を求められたので、私のブログなど読む人は少ないと思うが、掲載した次第である。
(書きアドレスはチケット購入関係)
「イットと、まちがわれて:石蔵拓著作」について
知人の石蔵氏が上梓した書籍の電子版「イットと、まちがわれて~元首相はITのことをイットと言った~」がこの程出版された。私は電子出版に際して石蔵氏から後書きを依頼された。IT業界で仕事をした訳ではないのに後書きを書いた理由は、石蔵氏が本書を書く動機となった秋葉原通り魔事件で被害者と成った故宮本直樹君との関係からだった。秋葉原通り魔事件は正にカミユの不条理を思わせる出来事であったが、知人が犠牲となった事件として今でも私の脳裏に深く刻まれている。平成も来年で終わるが、31年の間はバブル経済の崩壊と資産デフレから生じたデフレ経済、情報化の急速な普及によるグローバル経済と雇用形態の変化など社会的経済的に大きく変容した。戦後のインフレ経済の待てば全てが解決した時代と異なり、平成のデフレ時代は先に動いて対応しないと損をする時代となった。急激な社会の変化に際しては過去の経験などが役に立たず、一方では従来には考えることが出来なかった無名の個人のソーシャルネットワーク(SNS)を通しての社会に対しての影響力の行使がクローズアップされた。新しい時代に順応できる者とそうでない者とが凌ぎ合う社会になって格差社会となり、能力と関係なしにその時点で置かれた立場によって勝ち組と負け組になる不条理な現象が生じ、その不満が一般市民に対する刃となって降りかかっている。この現象は昭和の時代は社会的不満が為政者に向く政治的テロであったが、平成の時代は格差社会に対する不満が為政者に対してではなく、個人レベルの問題として矮小化して見知らぬ一般人に矛先が変わっている。個人に矮小化した理由は職場のリストラと陰湿な苛め、更には過剰な競争社会が齎したものと推測される。本書はノンフィクションとしてIT業界を書いているが、情報化社会で必要な人材が派遣と言うシステムで動いており、社会福祉や国防など国家的な作業部分も無知な管理者の存在やセキュリティ軽視に驚くと同時に、業界に巣食っている裏社会、オウム教信者の技術者、統合失調症の技術者のチェック機能が働いていないのも懸念される。今後もAIを含め一層役割が重要視されるIT業界で、本書は日本が如何にセキュリティ対策などで遅れているのかを警告する書籍としても有用と思われる。興味のある方には一読を勧めたい。
関西新空港の今昔
関西新空港が台風の影響で数千人が空港内に閉じ込められた事と空港敷地の埋立地が沈下している報道を聞いた時に38年前に運輸省(現国土交通省)でのことが記憶の彼方から蘇ってきた。関西新空港の建設候補地は最初は神戸沖であった。新空港の計画は大阪空港が市街地に立地し危険であることと国際空港としては規模的に小さいこともあり、当時の関西経済団体の要請で浮上してきた。関西新空港プロジェクトは当時は未だ企業に東京と大阪の二本社制も残されており、今からは想像できない程ライバル意識が強かった時代の無理押しでもあった。その事は国際空港ではないが、関西新空港完成後に廃止予定であった大阪空港が現存している事でも分かる。東京に東京新国際空港が出来たならば関西にも国際空港を作れと言う最初から政治的な要素が強いプロジェクトだった。運輸省では建設費が安く付く地盤が良い神戸沖を候補地として兵庫県と神戸市に対して調整を図ったが、神戸市からの反対で新空港建設はとん挫したかに見えたが、関西経済団体は現在の立地場所の泉州沖に新空港を建設するように政治に働きを掛けた。土建政治のピークの時代なので建設には厳しい場所ではあるが、大きな利権になる建設計画に対し政治と企業団体が手を握って実現に向けて動き出した。運輸省は泉州沖に関して軟弱地盤の上、潮流も激しい場所なので最後まで神戸沖の可能性を探っていた。しかし、結局は関西経済団体の政治圧力に屈して泉州沖の関西新空港プロジェクトを進めざるを得なくなった。私が何故40年近く前の出来事を書くかと言うと、忘れられた出来事を再度人口に膾炙し、関西新空港建設に対する政治家と経済人の責任を明確にし、今でも同様の将来に禍根を残す色々な事業が進められている事に対する問題提起である。尤も、プロジェクトが決まると官僚も追従して利権の分け前を貪ったので、最終的に政官民が結託して国家を食い物にした典型的な事例であった。無理な話だったが、関西新空港計画には埋め立て計画の他に浮体工法の計画もあった。しかし、政治力がある建設団体を敵に回して正論が通ることはなく、スーパーコンピューター(当時は大型計算機か)で100年分の地盤沈下に対する解析を行って軟弱地盤対策工事を錦の御旗に埋め立て工法に決定した。関西新空港プロジェクトを推進した多くの人達は物故していると思われ、私の批判に対して反論できないので建設擁護者からは死者にムチ打つと言われそうだが、推進者達も現状を見ると反論の余地などないことに気付く筈だ。話は変わるが、沖縄の辺野古基地も埋め立て工法だが、工法の議論の中にはサンゴ礁を維持することや将来に必要なくなった場合を想定しての浮体工法も検討した様だが、台風懸念で一蹴された様だ。今でも土建政治が罷り取っていると思われ、国益を損ねている様だ。余談だが、関西新空港の建設が決まった後に運輸省を訪問した時に担当課長は神戸沖建設反対の神戸市に対して怒りが納まらず、神戸沖には絶対空港を作らせないと言ってたが、ご存知の通り、現在はローカル空港だが、神戸沖空港が出来ている。時間の経過は全てを記憶の彼方に追いやって過去の反省など何処にも存在しない。同じ過ちの繰り返しが1000兆円を超える赤字国債発行であり、国民にツケを回す政治経済だ。当初予算の倍以上掛って完成した関西新空港だが、完成直後からトラブルが続きで予想を超えて今でも地盤沈下が続いているので、本来ならば、関西新空港を廃止し、今こそ神戸沖の空港を拡張して新空港とすべきと思われる。日本人にその様な決断を期待しても無理な相談だが、その決断が今後の地盤沈下対策工事費を考えると血税を無駄にしない方法だ。馬鹿な連中は根本的な理由を理解せずにオペレーションを民間に移行すれば解決すると安直に考えて長期の契約を締結した。オペレーションが黒字になっても地盤沈下の対策工事や波による護岸被害に対する工事の費用は発生するので血税の垂れ流しは変わらない。否、分かっているからこそ国民の目を逸らすためにオペレーションは民間に任せたと見るべきかもしれない。今回の台風で数千人が空港内に閉じ込められたが、空港スタッフの対応が悪いと非難が起きている。当然だろう。オペレーションを引き受けた会社は利益を出すことに注力しているので、災害に対する備えなどに十分に対応していない筈だ。関西新空港は民営化以前の政治的な決断を必要な問題だが、小選挙区制度で小粒になった政治家に期待できないのは最悪のシナリオと思われる。
低金利の苦い思い出と金融緩和策の毒
10数年ぶりに友人から電話が入った。友人は国を守る仕事からリタイア後は建物を守る仕事に就いて役員として現役を続けている。10代に彼との縁を作ってくれた親友が彼の実家と近くなので時々状況は聞いていた。彼は長男なので相続で地方の資産を継承し賃貸に出していることは聞いていたが、今回の電話の内容は主たる賃貸物件が解約となる為、その後の活用に関しての相談だった。地方の名門校を卒業したので、地元で不動産業を営んでいる高校の同級生に相続後の資産活用に関してはアドバイスを受けてきたが、地方では解決策が見いだせないので、東京在住の私に相談して見るかとなった様だ。地方と言っても東京から60kmなので、一応首都圏に入るエリアだ。しかし、地方の衰退を象徴している様に土地が売れず、貸したくても借り手が居ない状況に先祖から継承してきた資産を維持するのに苦労することになった。彼とは彼の前職時代に家を購入する時に住宅ローンに関して「固定金利」か「変動金利」かで相談を受けて結果的に失敗させた苦い思い出がある。サラリーマンなので多少高くても長期的なローンであるので固定金利が無難と判断したのだが、彼の奥さんは変動金利を勧めていた。結果は私の大きな誤算だった。低金利が継続し、今やマイナス金利になったのである。経験など役に立たない世界が到来した。今回の電話で相談を受けた時に私は開口一番に奥さんが私に相談することを知っているのかと訊ねた。私にとってそれほど苦い思い出であり、振り返るのも嫌な出来事であった。翻って、リーマンショック後に金融危機を防ぐために先進国など国が行ってきた金融緩和策も2018年を境に反転する動きが出てきた。金利の上昇や資金回収の動きが出てきた中で新興国の発行した国債や企業の社債の返還が始まることになり、国家と企業のデフォルト懸念が出てきた。「低金利の罠」とも言うべき事態だが、日本も余りに長く低金利の中で事業が進められてきたので、金利上昇による事業の採算性など危惧する面が大きい。尤も、日銀も表面上は低金利策を継続すると言っているが、欧米などで金利上昇が進めば日本だけ低金利政策を維持するのは厳しくなることは一目瞭然だ。水面下では金利上昇に備えた研究が始められていると思われる。金融緩和政策は世界中の国に経済発展と豊かさをもたらしたが、その過程では金融緩和の毒も入っており、未来投資に名を変えたギャンブル投資紛いのプロジェクトも多いと推定される。金融が厳しくなった時に真価を問われるのだが、過去の経験が通用しない新興国の国債と企業の社債の償還ラッシュで何が起きるのかを必死に想像力を働かせて考える必要がある。
インバウンドで騒ぐのはホテル不足だけで良いか!!
夏の休暇にパートナーの故郷の広島県尾道市を訪れた。義父の墓参と施設に入居している義母の面会以外は何も予定を入れずにのんびりとした旅程とした。この為に、今回のテーマに言及することになるのだが、官民挙げてインバウンド効果の経済効果を期待し取り組んでいるが、専ら問題点は宿泊施設に偏っている。しかし、外人旅行客が観光地を訪問するのは日本人の多くの様な土日祭日に集中する訳ではないのだが、観光地の施設の運営に関して問題点を指摘している人は見かけない。若気の至りで過去に観光地の施設で多くの高齢者が並んでいたのに腹を立てて「年よりは暇なので平日に来れば良いだろう」と聞こえる様に独り言を言って叱られたことを思い出した。一人の年配者が「若いのは何も分かっていないな。平日は施設が動いていないので、仕方なく休みに来ているのだ」と馬鹿にされた。尾道で過去の苦い思いが蘇ったのは、金曜日に尾道に入り翌日の土曜日はフリーにしていたのだが、東京に住んでいる義兄からLINEで出来るならパートナーに尾道の従妹に会わせて欲しいと要請されたので、。急遽土曜日に連絡し従妹のスケジュールの関係でその日に会うことになったのである。日曜日は予定が入っていたので、フリーな時間は月曜日の平日になったのである。船着き場が階下にあるホテルに泊まっていたので、尾道から鞆の浦まで船で遊覧することを計画し、一日2便の遊覧船に乗る為に船着き場に降りた。午前10時の遊覧船に乗船する場所を確認する為に艀にいたスタッフに聞いた所、遊覧の運行は土日だけの営業と聞いて驚いた。日本の観光地の施設は平日営業しないケースが多いことをすっかり失念していた。尤も、同じ観光地でも大分県の杵築に旅行した時には休日に飲食店舗は営業していないのに困った経験もしていた。観光地と言っても地方は経済的に疲弊しているので、フルに営業をするのには無駄が多いので限られた日に開業するのはやむを得ないかも知れないが、何回もチャンスがない外国人旅行者にとっては施設が動いていなかったらがっかり度は日本人の比ではない筈だ。インバウンドは為替の影響を受け易いので、上記の件を直ちに改善するには難しいかもしれないが、インバウンドを経済再生の一つの柱に見るならば、宿泊先や言葉の問題と同様に観光地などの施設の稼働をチェックして利用者に対して何とか工夫するのは必要と考える。
猛暑で変わる社会
今年の猛暑には辟易してると思われるが、暑さについて地球の温暖化の影響か太陽の活動の影響かは専門家に任せるとしても今後も続くようだと色々な面で変化が起きると思われる。昨夜は新聞販売所のスタッフが集金に来て暑さに関して話したのだが、毎年今年の暑さが続くなら夕刊の配達時間を遅らせるしかないものの、営業と配達との労働時間の問題もあり、安倍首相も働き改革で目を配ってほしいと言っていた。私が暑さで動物や昆虫の生態も変わると話したら、新聞スタッフの方が人間も動物だから影響を受けると嘆いていた。勿論、猛暑の影響は生き物だけではなく、弊社の建物管理に関しても屋上のエレベーター機械室の温度が50度を超えるなどした為に性能維持のために温度を下げる緊急対応を余儀なくされている。情報化時代なので電子機器の基盤を使った設備機器や装置が多く、この種の機器は高温に弱いのが特徴だ。開放系の場所なら温度も下がるが、閉鎖系の場所の場合には想定以上の温度上昇も懸念され、機器の故障が事故に繋がる危険性がある。電子機器の不具合は暑さによる劣化で起きることもあり、直ぐには故障しなくても寿命が短くなることは十分に考えられる。IOTが便利な快適な社会を作るプラス面を強調するが、物事には両面があり、マイナス面について考えるのはメンテナンス業界の宿命でもある。日本は水が豊富だが、川は急こう配が多く、海に流れ込むのが早く、貯水に関しては良くないので、猛暑は水の懸念もある。尤も、現時点では、水不足より集中豪雨の弊害の方が多いので忘れ去られている様だ。猛暑のプラス面は余りないが、32度以上だと活動が鈍る蚊に刺されるのが少なくなったの数少ないプラスのひとつか。何れにしても、異常気象は建物管理業界にとっては想定外の出来事が起きる可能性が高く、日常的な管理の重要性が増している。しかし、現場は無人化が進み、中小ビルでは遠隔監視が主流なので、IOT技術が異常気象に対応できるシステムとして機能する配慮が必要だ。
閑話休題
先日、NYで弁護士をしている知人がセミナーの講師として来日したのでランチの機会を設けた。話題は勿論トランプ大統領だったが、米国の景気は予想以上で知人の子息がNYで購入後3倍になったコンドミニアムを売却したのだが、その後更に値上がりして10倍になった話を聞いた。3倍で購入したのは中国人だったそうだが、10倍に上昇したのは驚きだったそうだ。NYでは古い賃貸住居の借主が立ち退かされて新しいコンドミニアムが建設されているそうで、1ベットルームで1億円以上の価格が付いているそうだ。知人の弁護士はバブルとは言ってないが、私の感覚からすれば資産バブルになっていると思われる。景気の衰えを見せない米国経済だが、知人の話ではトランプ大統領は再選もあり得るとのことであった。米国は年々格差が広がっており、その不満をトランプは利用していることは間違いない。トランプ大統領に関してはメディアを通して理解する為か素顔が見えない面があり、今回良い機会だったので、知人に考え方を聞いた所、正に彼の場合は"理解"が"利解"と考えれば良いとの説明を受けた。政治家としての実績もなく、ビジネスマンとして成功したかと言えば、その点からも疑問視されるトランプだが、全てに対し【利】で動いているので、信頼して行動を共にすると梯子を外されるリスクがあると指摘があった。安倍総理もトランプ大統領の関係を過去の中曽根首相とレーガン大統領との関係にダブらせると痛い目にあう可能性もある様だ。中国との貿易摩擦に関しては、短期的には米国の勝ちだが、長期的には中国有利との見方であった。その理由は、ドルと元の通貨の決済方法であり、長期的には元の貿易での通貨としての役割が増して米国は貿易戦争で長期的にはドルでの決済の低下でマイナス面が出て来るとの分析だった。知人は弁護士ですので、セミナーでの講演では米国のイラン制裁に対する日本企業の理解の仕方では技術的な面に言及し、一見すれば制裁対象外に見えても米国企業との取引関係で制裁される危険性を指摘したとのことだった。英国のEU離脱を歓迎し、EUを目の敵にするトランプだから日本が纏めたTPPに対しても不参加以上に腹の中は敵意に満ちていると考えた方が良い。トランプは福音派と言われる酒も飲まない信者だ。【利】以外に思考の中にあるのは宗教だが、女性関係を見るとどの程度なのかは分からない。何れにしても、トランプ大統領に関しては北朝鮮問題に見る通り、交渉中であれば猶予を与える考え方が強いと思われ、如何に交渉にテーブルに着きながら有利な答えを出すかを考えるべきと思われる。
建築基準法の改悪事例
建築基準法の緩和で民間の検査機関が誕生し、その後に構造計算で不正な建築物が発覚し、建築設計に関わる技術者の資格の面で改正が行われた。建築設計には、「意匠」、「構造」、「設備」に係る専門技術者によって業務が分担されている。過去の建築物の様に設備が受電・消防設備・給排水を考えれば良かった時代には、特に「設備専門」担当を置かずに一級建築士の設備担当で行えた時代であった。しかし、建築物に受電・給排水以外に空調設備、消防設備、ビル管理システム、屋内機械式駐車場設備など建築工事費に設備の占める割合が増大した昨今では、設備担当も電気、機械などを専攻した技術者でなければ対応できなくなり、当然に一級建築士の資格者ではない技術者が担当することになった。しかし、資格制度改悪後には、一定規模以上の建築物の設備を担当する技術者は一級建築士の資格が必要になった。この為、業界ではOBとなった一級建築士の設備担当の経歴を利用することでその場を凌いだが、問題はその後に起きてきた。中小設計の設備設計事務所には一級建築士の資格を持つ設備設計担当者が極端に不足しているといった状況だ。大企業しか見ない役人の馬鹿さ加減と建築士業界の行政追従と権利拡大の机上の空論だ。困るのは国民であり、規模の小さな建物しか扱えなくなった設備設計事務所だ。今後は多くの設備設計事務所が廃業を余儀なくされ、大手設計事務所や建設会社に仕事が集中してしまうことになる。中小の建築設計事務所も設備設計事務所がなくなれば、規模の大きな建築物は扱えなくなり、痛手だ。建築設計に意匠と構造は一体化したものだが、設備に関しては耐震性など以外に建築の知識より、電気と機械の専門知識が必要だ。電気と機械の専門知識と同じ様に建築知識を必要となると負担が大きくなり、建築設備に従事する人が少なくなる懸念がある。現実無視の事例を見るにつけ、日本は本当に今後も国際的に競争力を持つ国として歩んで行けるのか不安になる。制度改悪になった構造偽造事件も役人が招いた事で、反省も何もない。困った事だ。
またか!!
外壁診断の相談を受けていたアドバイザリー先の会社の資産管理担当者から用件が終わった後に当該建物に関してPM会社から窓先空地が取れていないと指摘があったことを話して来た。エンジニアリングレポートも作成された物件で、購入時にはレポートにも指摘事項がなかったと記憶していた。しかし、PM会社の内部調査の結果、窓先空地に関して疑わしい面が出てきたらしい。この為、資産管理担当は竣工図面等を確認した所、竣工図面自体が統一した仕様で作成されていなく、実施設計時の図面が混じっているので、指摘事項に関して竣工図面では確認できないと嘆いていた。この様な話を聞くたびに復かの思いが強い。今の社会は人の流動性が高くなったので、様々な職場に色々な経験を有した人達が集まっている。勿論、大手メーカーなどの物造りの現場では経験の継承が重要視されるので、転職して入社しても企業風土に合った考え方を今でも叩きこまれると推測される。同じ物造りでも不動産業界はメーカーとは似て非なるものなので、経験の継承の必要性が希薄である。尤も、メーカーも最近のデーター改竄などの報道を見ると、グローバル市場での競争激化でコスと納期などの厳しさで品質管理の面でモラルの欠如が増えてきた。一方、不動産業界は一攫千金の強者どもが参入する業界であるのでもともと玉石混交は否めないが、以前の社会ならば本物でなくては市場から退場させられた。しかし、今の社会は利益優先で猪突猛進しなければ生き残れないので足下しか見ないのが一般的になった。建築基準法の改正で建築確認申請の図面添付が緩和されたのと、確認認可が下りた後に図面を何度も変更してコストを下げる方法が一般的になった弊害が多くの建物で生じている。上記の指摘も違法を前提にしたのではなく、コスト削減で図面を変更している過程で施工現場に配布された最終図面が間違っていた可能性が高い。過去のブログでも同様な間違いが起きた建物に言及したが、2000年以降には同様な建物が日本全国に多く存在すると推定される。今回の様な事が起きるのは図面の変更だが、途中で間違いのチェック機能が働かなくなったのは竣工図面作成代を発注者がケチって請負業者負担にしたこともある。竣工図面を描かずに施工する現場にミスが起きるのは当然だ。最近TVなどで日本の物造りの素晴らしさを盛んに報道するが、自慢できるのは過去のケースだ。現在進行形や未来に関してはお寒い状況なのが現実だ。クールジャパンなど謳った経済産業省の進めたプロジェクトは全部失敗に帰したらしい。経産省のOBが今の連中は机上の空論で遣っているので失敗するのは当然だと厳しく指摘した。日本全体が何時の間にか机上の空論で物事を進める社会になり、間違いにも反省がない点に憂慮する。
ゴルフビジネス
私がゴルフビジネスに本格的取り組んだのはバブル経済崩壊後であった。㈱東拓企画一級建築士事務所の二代目社長として活動していた時に先代社長が関わったゴルフ場時代の人脈の縁であった。設計事務所としてはゴルフ場のクラブハウスの設計に関わったが、レジャー屋さんが開発する仕事の設計料は現金半分で残りは会員権で支払われた。ゴルフ場の用地買収が上手く運び完成すれば、会員権の価値が上がり儲けが増えたが、多くは用地買収でとん挫し、会員権は紙切れになった。一方、ゴルフ場の用地買収のビジネスは成功報酬であり、不動産の地上げだったので此方の方はマイナスにはならなかった。先代社長にとってはゴルフビジネスはリスクの多いものと理解していたらしく、積極的には拘わらなかった。ブログで急にゴルフビジネスに言及したのは、先代社長からアドバイスを頂いた会員権業者の宝ゴルフサービスの糟井会長が逝去されたことをご子息から告げられたからだ。私のゴルフビジネスは不良債権化したゴルフ場のデューデリジェンスであったが、スタッフには元ゴルフ場の支配人であった方もいたので、ゴルフ場のオペレーションも出来た。更に、名門コースのグリーンキーパーン経験者の方にも協力を得ていたので、コース管理も低価格で引き受けることが出来た。1997年にゴルフ場のデューデリジェンスのチームを結成し、当初は外資系から依頼を受けた会計コンサルティング会社の仕事であった。開発に数百億円掛けたゴルフ場がキャッシュフローで評価を算出すると数億円と言う金額になるのは悲惨であった。日本のゴルフ場は会員権ビジネスで成り立つシステムであったのが嫌になるほど痛感した。バブル経済崩壊後は多くの金融機関が多くのゴルフ場に融資し大部分が不良債権化していた。ゴルフ場はビルやマンションと違いオペレーションによっては追加の資金が必要であり、更に多額の預り金を有していたので経営支援の対象に成り得なかった。この為、不良債権処理の不動産のバルクセールでただ同然で外資系投資会社に多くのゴルフ場に対する債権が移った。外資系投資会社もゴルフ場に関しては債権処理に関して良い方法が出なかったが、その後に民事再生法の成立で多額の預託金を消滅することが認められたので、ゴルフ場の再生に向けて動き出した。この動きに相俟ってゴルフ場のデェーデリジェンスの仕事も急増し、現地調査を行わない机上の調査を含めると北海道から九州まで数十か所のゴルフ場のエンジニアリングレポートなどを作成した。キャッシュフローで不動産ンの価値を評価する手法がゴルフ場にも採用され、会員権の価値を等閑にしたことが今日のゴルフ場経営に悪影響を及ぼしている。勿論、バブル経済時代以降にゴルフ場を運営している人達がゴルフ場を箱庭の様なメンテナンスを常識化したことと立派過ぎるクラブハウスも経費面で問題が起きていた。何れにしても、人も物も一度贅沢をすると容易に戻れないと言う現実はゴルフ場経営には厳しかった。旅館ビジネスと同じで団体や企業接待の利用から個人利用に変わったのに切り替えが難しい業界でもあった。それにしても、ゴルフ場と会員権が表裏一体であることに気が付いていれば現在のゴルフ場ビジネスは資産価値を失わなかったと思われてならない。糟井会長の逝去に改めて考えた次第。合掌
個人レベルの専門家利用の少なさで被害拡大
日本人の考え方は単一民族の同族意識からか多様性のある宗教的な許容性から来るのか知らないが、重要な意思決定に際して余り専門家を利用しない。勿論、専門家と言っても「法律関係」、「税務会計関係」、「建築土木関係」、「情報関係」など国家資格を有する者と、国家資格ではなく「民間の任意資格」を有する者、更には「知識経験」を有する者などに分かれるが、企業レベルでは専門家の意見を聞くのは必須なのに、個人レベルになると意思決定に専門家を使わないケースが多い様だ。最近の不動産投資における不祥事には貸し手の金融機関が絡んでいるので金融機関のチェックで十分と思っているかもしれないが、大きな勘違いである。私の経験では貸す事に注力している金融マンは担保物件の評価が甘くなる傾向が強い。日本が米国との情報技術で負けたのはソフトの価値を評価できなかった為だ。弊社の業務の建築設計でも作品に対する価値は低く、設計料なども安く抑えられる。良い建物を造るには設計デザインや設備設計などソフトであり、工事に伴うハードは結果だ。喩としては良くなかったかもしれないが、専門家の意見は良い不動産を取得する為に必要なソフトと考えれば分かりやすい。専門家の意見を聞くことで、安く購入出来たり、将来のリスクを軽減できれば安い買い物になる。日本人は和歌や俳句など風雅に言葉遊びをする国民なのに見えるものに価値を偏重するのは解せない面がある。特に、台風、地震、火山と言った災害の多いエリアなので、本来は物に執着しない民族だったと推定される。多くの古書には儚さを書いた文言が多い。しかし、近年、物に執着する人が多くなったのは、明治維新以降の近代化と戦後の豊かな米国を目指した国家造りに影響かもしれないが、それならば逆に専門家の意見を重視する米国の様にならないのは何故かと考えてしまう。若い世代は専門家、特に弁護士を使う傾向にあるが、建築士などに対しては、設計業務には利用するが、収益不動産に関しては、会計士などの利用に止まり、建物自体にまでは考えが及ばない。何れにしても、専門家を使う事でリスクの軽減や価値を再評価できる可能性が高いので、被害者に成る前に専門家に声を掛けることをお勧めする。
違法建築となって完成目前のマンション「建築確認」取り消し
東京都文京区に建築中であったファミリーマンションに関して避難階段の設置問題で東京都建築審査会では違法と判断して確認認可を取り消したことに対しての東京地裁の裁判で「不服請求棄却」の判決が出た。建築基準法は柔軟性があると言うか解釈余地がある法律なので過去には行政庁の建築主事に依って解釈が異なるケースもあり、提出先が違えば許可されないケースもあった。この為、設計事務所や建設会社やデベロッパーは行政庁に事前に相談して設計企画を進めたものであった。規制緩和で建築確認申請などが民間の会社で行えるようになり、従来の行政庁に申請するより建築基準法に関して柔軟性がある民間会社に申請が多くなったのは仕方がないのだが、民間会社となれば経営と言う観点から審査も判断することになり、違法性に関してグレーな建物も増えてきた。今回の取り壊し命令を出されたマンションも民間会社に建築確認申請を提出して審査を通過したものであり、確かに駐車場の出入通路を避難通路と設計したのは、1Fに到る急勾配を考えると審査が甘いと言えば甘かったのかもしれない。デベロッパーなどは購入土地価格の高かった分を建築で補填しようとする傾向があり、問題建築が出現する。勿論、建築確認審査が行政庁の専管業務の時代には、グレーな設計企画で建物を造ることは難しかったので、土地自体に作為した方法が多かった。例としては、マンションなどの駐車場の土地を建物完成後に転売して検査済み証を得てから違法建築になるケース、建築敷地の敷地の一部を借地し、建物完成後に借地部分を所有者に返すケースであった。悪質なケースもあり、建築確認申請提出の図面と違う図面で平気で建築してしまう建築主の存在だ。流石に設計士は違法となるので、施工監理は受けないで建築工事に関しては知らないとの立場を取った。これが通用した社会的な背景として経済的損失を理由に完成目前の建物に関しては、取り壊し命令を出さない慣習だった。今回のマンションに関して改善などで妥協することなく取り壊し命令となったのには、近年の災害の発生の頻度もあり、住む人の安全を無視した設計に鉄槌が降ろされたと思われる。何時大災害が起きるかもしれない日本列島にあって建築基準法法上の避難階段や消防法関係の設備に関しては従前より厳しい対応となることが予想される。心すべきことと思われる。
スルガ銀行のシェアハウス「かぼちゃの馬車」問題!!③
かぼちゃの馬車のオーナーの代理人弁護士が審査資料改竄でスルガ銀行を提訴した記事が掲載された。事業会社の破たんで購入者達は購入ローンを支払えなくなったので審査資料改竄をネタにスルガ銀行と減免交渉で行う算段かと思われるが、資金もないのに購入ローン申請を行った強欲な無責任投資家には同情しない。審査資料改竄と言っても内部規制なので、改竄で審査が通ったこと自体の責任は倫理上の問題以外には銀行に責任はないと思われる。そう言えば、バブル経済崩壊後に「金融機関の貸さない親切」の言葉が誌上に踊ったが、結果論の議論なので意味がない。投資にリスクは当然で、低利回り物件の中で高利回り物件を謳っていたら疑ってかかるのは常識だ。女性専用と言うだけで立地も考えないで購入したツケが回ってきただけだ。尤も、安倍内閣が景気対策にインフレをターゲットにした事で、少子高齢化社会にも拘わらずに不動産価値が上昇するとの幻想を抱かせたのは否めないので本当に罪作りな政権だ。スルガ銀行も昨今の投資が5年目安に動いていることを念頭に資金力のない借り手に対して融資したと推定できるが、5年後の転売前に事業運営会社が破たんするとは予想もしなかったと思われる。先に書いた内容で、「かぼちゃの馬車」は相続対策ではなく、投資案件と書いたが、この分析を訂正したい。理由は、「かぼちゃの馬車」のシャエハウスは立地が良くなく、売買価格と相続評価額に対して乖離している商品の様だからだ。以前に高層マンションで指摘した通り、売買金額と相続税評価額が大きく異なる商品は相続税対策にはなるが、真の価値を積算した場合に将来的な修繕費等の面や貸した場合の賃料面で売買金額と比較して低くなる傾向が顕著だ。国税庁の相続税強化が合法的な不動産詐欺に利用されている面がある。その意味では、「かぼちゃの馬車」は相続対策にも有効で、然もサブリースの高利回りの商品なので購入者が多かったのだろう。この様に饒舌に的を絞った書き方が出来ないのが私の特徴なのでご容赦願うが、本来不動産投資は長期的な所有で利益を生むにも拘らず、税制的に長期所有となる5年間の短期売買と相続対策を優先する考え方がリスクを軽視していることは間違いない。金融機関もリスクを取らなければ稼げない時代だが、事業会社の経営者の質やビジネスモデルを見分ける力がないのでは話にならない。情報化の時代なので過去と比べてインチキには騙されない筈だが、新しい時代を迎えたので過去の経験は役に立たないと言った風潮が今回の事件の背景にはあると思われる。詐欺事件も先祖がえりしているのも頷ける。くわばらくわばら。
スルガ銀行のシェアハウス「かぼちゃの馬車」問題!!②
金融機関はメガも地方も設備投資案件が少なく、現在は専ら相続対策案件融資が主流になっている。女性専用シェアハウスは相続対策と言うよりは資産作りの商品として企画されたと推定されるが、問題は事業運営会社の予想を超えた購入希望者が殺到した(?)為に、入居率などを無視して拡大路線に突き進んだことも破たんの一因と思われる。卵が先か鶏が先かの議論になるが、スルガ銀行が女性専用のシェアハウス融資に積極的に取り組んだ結果が業績の急拡大を誘引し、事業運営会社も嬉しい誤算が続いたとも考えられる。尤も、高利回りのサブリース商品ならば購入希望者も多いと推定されるが、なぜ高利回りが実現できるかを分析すれば、事業運営会社の破たんによる被害者に成らなかった筈だ。スルガ銀行の融資には米国のサブプライムローンと同様に購入者の調査資料が改竄されて融資が実行されたとの報道もあるが、この様な状況は資産インフレ時には起きることであり、資産処分を前提にした融資の特徴だ。しかし、現在の日本は立地場所に関係がない一様の不動産の値上がりなど期待することは出来ないので、何の根拠で無謀な融資に走ったのかだ。米国のサブプライムローンは長い間、資産上昇がなかった為に急激に起きた資産インフレを過信して過っての日本の様に破たんした不動産ローンは売却で貸付金を回収できると突き進んだ結果がリーマンショックを引き起こした。同様に、スルガ銀行の「かぼちゃの馬車」融資事件は資産デフレが続き、融資も保証協会の経験しか有していない世代が最近のインカムゲインよりキャピタルゲインを重視する風潮に踊った姿が浮かび上がる。特に、サブリースの支払いに関しては20年以上前の経済バブル崩壊後にサブリース裁判によって支払金額の変更が認められたこともあり、完全に保証された制度でもない。勿論、サブリースは経済バブル崩壊後にもアパート・マンションなどでは新築5年を目途にサブリース会社の有利なシステムで復活し、バブル経済時代の不良債権処理後にはオフォスビルなどにもサブリースが目立つようになった。サブリースが成立するのには高い入居率と賃借料の差額が必要であり、オフィスビルなどには適さないビジネスモデルと考えられていたが、資産デフレが続いて世代交代も起き、且つ金融業界も低収益に陥った中での日銀の金融緩和政策により、不動産投資に誰もが目を向けた結果、偽物と本物の区別が付かなくなった。否、デジタル経済で時間軸が早くなったにも拘わらず、長期的な考えが必要な不動産投資に関して無責任になったと言うべき現象が起きたと考えられる。
(続く)
スルガ銀行のシェアハウス「かぼちゃの馬車」問題!!
日経新聞に金融庁幹部が標題の問題に関して、「まっとうなビジネスに戻して『群れ』に紛れてしまうなら本物でなかったということだ」と評したと書かれていた。金融庁の役人、今は外国の金融機関など民間企業からのスタッフもいるらしいが、デジタル革命が引き起こした低金利にあって収益を見出させない金融機関の対して机上の理論で評して本質的な問題を避けているのは見過ごせない。この為、今後も同様な事件は起きると推定されるので、何が起きたのかを検証してみることにする。不動産業界に革命を起こすには、「税法を読み解くか」、「建築基準法などの法律に対する発想の逆転をするか」、「常識を覆すか」、「需要を読んで先行する」などが必要になる。今回の融資対象の女性専用のシャエハウス「かぼちゃの馬車」の発想は業界に新風を巻き起こすほどの商品でないことは一目瞭然だ。女性専用は古くはサウナ風呂に、その後ビジネスホテルに、最近では通勤電車に採用されている。この他にも女性専用と謳う広告は見かけるが、ビジネス的に拡大しているとは思われない。なお、学生向けの女子寮や会社の女子寮も古くからあるが、女性専用とは言わないので、女性専用とは男女混合施設を専ら女性用として利用する施設と定義できる。通勤電車の一部車両を女性専用にするのは痴漢防止などの目的があるので意義があるが、シェアハウスを投資物件として位置付けて女性専用とした場合に男女混合より入居率が高まり、月額使用料が高くなる理由が理解できない。業界に革命的な衝撃を与えると言う観点からは、「かぼちゃの馬車」に関しては「常識を覆す」か「需要を読んで先行する」かに該当するかだが、女性専用の言葉自体は目新しくもなく、女性専用のアパートやマンションの需要が高いと聞いていないので、シェアハウスの女性専用化のビジネスモデルが成立する意義が見いだせない。運営業者のスマートデイズの社長が出版した書籍の影響で女性専用シェアハウスに対する投資家の評価が高まったと言われているが、仮に書籍の影響だとすれば、情報化時代に書籍位で理由なき熱狂を産み投資家が急増した背景を分析することは必要と考えられる。
<次回に続く>
スーパーの自動精算機で思う日本の劣化
私の住まいの近くのスーパーとしてサミットがある。サミット本社に一番近い店だ。今年春になってレジに自動精算機が急に配置され、買い物の支払は全て同精算機で行う事になった。通常のレジでの支払いは後続を気にして小銭を出さずに専ら紙幣でお釣りを貰っていたので自宅に小銭が結構たまっていた。この為、当初は気兼ねしないで小銭で精算が出来ると思われ、自動精算機の配置を歓迎した。安倍政権が煽った労働対価の上昇や少子高齢化による労働力不足もあって早々と自動精算機の導入配置は時代の流れと受け止めた。しかし、自動精算機が二台置かれ、一台はレジのすぐ隣なので以前と変わらずに後続を気にする支払いとなる為に、もう一台の通路側の精算機で支払える時でしか小銭でゆっくり支払いが出来ない不便さがあった。それでも当初は小銭が減少するのに役立つと考えていたが、その考えの甘さに気が付かされた。その日はプラスチックの小銭入れに100円玉を50個入れて使う考えでサミットに買い物に行った。その日の買い物金額は4850円で、丁度小銭で支払える金額内で納まった。レジで課金されている間、通路側で精算している人がいたので、後続を気にするレジ側の清算機になるかと気にしたが、タイミングよく通路側の人が支払いを終えたので、小銭で支払いが出来ると嬉しかった。しかし、その嬉しさは直ぐに吹き飛んでしまった。理由は30個ほど硬貨を入れていたら投入口が閉まってしまった。仕方なく、トラブルが起きた時に呼ぶ相談係員のボタンを押した。直ぐに係りの女性従業員は来たのだが、硬貨だけで支払っていた私に面食らったみたいで、そんなに多くの硬貨は使えないと言ってきた。その言い方に気に障ったので、硬貨は幾らまでしか使えないと表示していないが、幾らまでなら可能かと問いただしたら20個だと言ったので、そんなことは何処にも書いていないだろうとややきつい口調で言ったら、その場から立ち去ってしまった。仕方なく、紙幣と硬貨の両方で支払うことにしたのだが、入り口が閉まったままなので戸惑ってい時に別な女性係員が来て支払いに助成しようとしたら、先ほどの女性係員が後ろのカウンター内からその係員にそこは使えないからこちらに来てと引き離した。それで私が先の係員にクレーマーと思われたことが分かり腹が立ってきたが、支払いが先なので再度現金の清算を押して手続きを進め、今度は千円紙幣を1枚使って支払いが完了した。支払い後に気が付いたのだが、先の係員は硬貨は20枚しか使えないと言ったが、実際は30個以上使えたので、現場が自動精算機の関する情報を知らされていないのかと情けなくなった。このトラブルもあってワイフと話したのだが、自動精算機は紙幣や硬貨を入れるのがやや遅いと「お金を入れいれてください」と煩い位に急かすことも気になった点だ。高齢化社会なのにシニアに一つも考慮していない精算機の上に、良く考えると設計コンセプトはカード使用を前提にしていると推定された。若い人生経験が少ない連中に仕様を決めさせた故と思われるが、人生経験があるならば、「お金を入れてください」ではなく、慌てないで精算できる言葉の「お金が不足しています」を選択したのではないかと思った。同様に、サミットでの買い物を以前と比較してみたら、商品を配置する従業員も対応が変わっていたことに気が付いた。以前は、商品を陳列していたり、商品を運んでいる時には、お客に気配りをして陳列台から離れたし、運んでいるときにはお客優先でお客に通路を譲っていたが、最近はその様な気配りはなくなったことに気が付いた。自動精算機だけの配置も同じ次元の発想だろう。通常ならば、一ヶ所くらいはシニア向けに従来の支払いシステムを残しても良いと思われる。お客に何か指摘されるとクレーマー扱いであり、日本人の優れた部分の配慮が減少したことを考えると、日本の将来が悲観的に見える。官庁の中の官庁と言われた財務省のトップの事務次官の劣化を考えると、小規模スーパーの組織的な劣化など取るに足らないかもしれないが、この現象は日本のトップである総理府大臣の劣化から来ているのかもしれないと思った次第だ。
オフィス賃貸の未来
グローバル経済下のグローバル企業に便利なオフィスサービスを展開する会社が出現しているが、同種のサービスはエリアに限定したり、ローカル的な国内に限定してのサービスとしても使える。ビジネスモデルとしては大半が単独では過去に実在したオフィスサービスであり、そのオフィスサービスを資本と人と物流に合わせて世界的に統合して展開するビジネスなので特に創造性の高いものではない。しかし、ネット上で会員登録して利用申し込みをすれば、世界中の主要都市に簡単にオフィスを作れる利便さは時間軸が早くなった現代にマッチングしたビジネスとなった様だ。日本でも40年以上前に「電話代行サービス」、「私書箱サービス」、「秘書サービス」、「貸会議室」などのビジネスがあり、その後にレンタルオフィスも出現している。今回のビジネスモデルとしては、「電話代行サービス・秘書サービス」を「バーチャルオフィス」と名称を変えていること、「過去のレンタルオフィス」を「シェアオフィス・コワーキングスペース」とし、「現在のレンタルオフィス」は「一般のオフィスに事務機・家具を設置したもの」となっている。目新しいサービスとしては、「ビジネスワールド」と称する「空港・駅内に設けたワーキングスペース」と製造現場・工作機械などを共有する「シェアファクトリー」である。正にオープンイノベーションと呼ぶに相応しいビジネスと思われる。この様な巨大なオフィスサービス提供の会社出現に対してローカルに位置するビルのオーナーは如何に対抗出来るかが今後の課題と思われ、私はビルオーナー達に荘子の「無用の用」の考え方で提携することを今後提案したいと考えている。何れにしても単独で対抗するには限界があり、不動産ファンドが出現してから当たり前になった入居率100%と言う考え方を捨てることから開始しなくては、一時的には良くても景気変動には弱く、然もテナントに対するサービスの柔軟性が失われ、最後はお手上げ状態になるのは目に見えている。小手先のアイデアだけでは解決できない難しい時代になった。"オフィス賃貸の未来"とタイトルに書いているのに何を言いたいのだと質問が来そうだが、上記に取り上げた世界中に展開するオフィス賃貸企業のオフィス賃貸の未来を勘案し、国内不動産大手のオフォス賃貸とも対抗しなくてはならないビル所有のオーナーに対して弊社のオフォス賃貸の未来を別途提案することでお許しを願いたい。
公示地価上昇は朗報か?
2018年1月1日時点の公示地価の全国的な上昇を本日の新聞記事ではトップを飾っていた。地価上昇がデフレ解消と喜べるのは、地価上昇を賃料などに転化出来、インカムゲインの収入が増加してからだ。少なくても過去の経験では地価上昇と比べて賃料の上昇は遅く、賃料に転嫁できるのは1年先と言える。この為、実際には地価上昇と連動して直ぐに上がる固定資産税の維持費の支出が先行するので収入減となる恐れがある。勿論、地価上昇と賃料の関係は需給のバランスで成立するのであり、供給過剰(全体を平均に見てなのだが)ならば値上げは難しい。特に、懸念材料は消費費税2%アップが予定されており、支払う側の心理では2%アップを見込んだ賃料を求めると思われる。勿論、地価上昇はオフォス等の賃料だけで分析できるものではないので、地方も上昇している現象を考えるとリアル店舗の物販からネットに物販の主流がシフトしていることを考えると、物流倉庫の建設が地価上昇の一因とは推定できる。また、北海道のリゾート地の様に外人による土地の取得が増大し上昇しているのも事実だが、全てが部分的な要因であり、全体的な経済のボトムアップによる地価の上昇には程遠いのが実情と思われる。それでは、今回発表の公示地価の全国的な上昇は何を意味するのかと言えば、正にお金の供給過剰による不動産のバブル現象であり、悪い経済要因が生じると下落するリスクを内蔵しての地価上昇である。昨夜の居酒屋で隣の中年男女の会話が否応なく聞こえてきたのが正にバブル化している不動産物件のことであった。カメラマンらしき男性が築45年以上経過した内装がボロボロのマンションが驚くことに2,800万円で売れたと驚いた話だった。場所は悪くないからかもしれないがと言いながらそれでも納得しない口ぶりであった。二人の男女は年齢的には20年以上前の経済バブル時代には20代後半から30代前半と推定され、今の若い世代の様にバブル時代を知らない世代ではない。同じような現象は弊社が管理していた築35年の小規模マンションでも起きた。相場的には1800万円相当と思われるマンションを業者が2,300万円で購入した。この事例は東京オリンピックで湧く東京都内の話なのでバブル現象は分からなくもないが、地方に関してはもともと出口戦略が難しいので、地価上昇は太陽光絡みか物流倉庫絡みかホテル建設需要で上昇している位しか考えられず、リゾートといっても上昇しているのは限られた場所であり、北海道以外では殆どは値上がりまで誘引しているとは思えない。何れにしても、安倍政権に逆風が吹いているので経済運営に成功していると思わせる地価上昇は追い風になるのを期待できそうと考えると、2018年1月1日時点の地価上昇は安倍政権に対する忖度から国土交通省の役人が無理矢理上昇図を描いたとも疑いたくなる春の宴の地価上昇記事であった。
人と言う存在を考えさせられる本「江戸のCFO」でした!!
添付ファイルの本を読んで人の社会は無責任な者と敬服に値する者で構成するのだと思わされた。財政再建が本書のテーマであるが、同じ時代の人なのに生立ちや教育と能力で此処まで変わるのかと言うのには考えさせられた。江戸時代に藩の財政再建を推進した書中の人物に現代の日本の財政を見せたならば何を思うかである。当時も庶民と藩士の生活を考えて藩の財政再建を進めたのだが、財政再建を進めた人達の潔癖さと断固たる決意を知ると現代の政治家や役人の甘さには驚くほかない。しかし、立派な人物でも長く権力の地位に就いていると誘惑に勝てない事例も少ないながら取り上げていた。長期政権でないと政治が機能しない言われて久しいが、長期政権には腐敗が生じると言うリスクを省みない選択はないとも思われる。ロシアのプーチンや中国の習近平も長期政権を目指しているが、前者は膨大な国土を自衛するのに強い権力者が必要との選択であり、後者は腐敗の体質を持つ国民を統治する手段としての選択である。翻って、日本の場合は過去に短期的な政権が続き、国民が望む政策の実現性の低さや外交上の不利を指摘しての長期政権願望だが、そもそも長期政権を担える人物がいるのかと言う問題に突き当たる。特に、小選挙区制度で国会議員の質が落ちた政治を見るにつけ、長期政権などリスクが高すぎて選択できないジレンマに陥るのは私だけであろうか。日本の財政がサラ金財政となり、税収の二倍の支出で構成されているのに国には資産もあるし、日銀が国債を購入すれば問題ないと平気で口に出す者が多い。別に悲観的になれとは言わないが、国家の金を無責任に使い放題の政治家や役人を見ると、江戸時代に藩財政を立て直した人物の再来を期待したいが、戦後教育を受けた人達では私も含めて無理な相談かもしれない。
地方再生には日本人の原風景の復活が必要 ②
「CREATIVE LOCAL エリアリノベーション 海外編」を読んだ。国内編もあるそうなので本来はそれを読んでからコメントした方が良いのだろうが、敢えて国内編は読まないことにした。"衰退の先にある風景"と言う副題に惹かれて手にしたのだが、地方再生に何か役に立てないかと模索していたので世界各地で再生に取り組んでいる事例に関しては興味深く読んだ。日本列島は細長いので地理的に一様ではないので地方再生と言っても一筋縄では行かないと考えていたらそれを見透かされた様に日本よりはるかに長い国土を持つチリの事例を取り上げていた。完全に脱帽だ。
さて、情報化時代で地方再生を考える上で必要な事は従来の大都市型の消費を前提として社会ではなく、逆に時間を戻す遡る発想で考えなければならないということを痛感した。今日の繁栄は産業の大規模化による消費社会の実現で成立しているが、AI,ロボット、3Dプリンターなどの出現による社会と消費者の嗜好や雇用は産業革命以前に戻ることになるのではないかと思ってしまう。尤も、戻ると言ってもシステムが戻るのであって中味は相当に違うのは確かだが。グローバル経済になれば逆にローカルが意識されて来ると言われてきたが、確かにグローバル経済の普遍化の中で生き残るにはローカルを強調しなければ存在価値がない。そうは言っても、誇れる遺産や技術や風景がない所はどうすると反論が当然に出ると予想される。地方再生で一番問題なのは実のところ何の変哲もないエリアだ。最近見るBSTVのローカル線の旅でゲストが名所旧跡などを見つける番組があるが、降り立った駅で住民にそのことを聞くと何もない所だと言う返事が一番多い。観光地でも技術でも売りがない地域の再生が一番難しいので、私としては何の変哲もない地域の再生に取り組んでみたいと思っている。私が上記の海外編の国内編を読まないと言った理由は何かある所の再生は比較的知恵が出るが、何も売りがない地域に関しては誰も関与したがらないと思うからだ。しかし、その様な地域の活性化を考えないと地方再生は出来ないと断言できる。その様な地方再生には上から押し付けるのではなく、下から起きる運動で上を動かす手法が必要であり、それには日本人が誰でも持つ原風景を復活させる以外にはないと思われる。
途中経過 "地方再生には日本人の原風景の復活が必要!!"
変なタイトルと思われただろうが、CREATIVE LOCAL「エリアイノベーション 海外編」を昨日から読み始めた。未だ冒頭しか読んでいないが、イタリアを取り上げた部分で頭に浮かんだのは毎週土曜日の午後6時と日曜日の朝10時にBS日テレで放送されている「イタリアの小さな村」と言う番組だった。旅行好きのパートナーが好きな番組なので相当前から見ている。尤も、夜の番組は夕方6時に変更されたので、今は専ら日曜日の朝の番組だけを見ている。パートナーの目下の心配事は東芝がスポンサーなのでいつ終わってしまうかと言う平和な悩みだ。無駄口を叩きすぎたが、確かにイタリアは"スローフード"、"アグリツーリズム"、"アルベルゴ・デフィーゾ"など世界に先駆けて発信続けている。そう言えば学生時代にローマクラブなど経済成長の限界に関する本を読んだが、日本の地域の衰退などは予見されていたことと今更ながら思える。地域の再生と言う観点からイタリアを見ると、イタリアの集落は必ず教会が中心に位置し、且つ広場があるのが特徴だ。更に、バールの存在だ。集落の人達は、「教会」、「広場」、「バール」で今でも繋がっている。翻って、日本の地方の集落を見ると、過去には「神社」、「公民館」、「学校」で地域の人達は繋がっていた。地域の衰退は円高による工場の海外移転と考えられているが、実際は人口の都市部への流失による農林魚業の衰退が大きな要因と思われる。その結果、「神社の形式化」、「公民館の形骸化」、「廃校」が進んで人達の繋がりの希薄さが生じた。安倍政権の連中はローマクラブなど読まなかったのか経済成長一点張りで日本再生の政策を進めているが、日本再生の柱である地域に関しては「地域の活性化」に始まり、次に「地方再生」と変わり、その効果が少しも出ないので「地方創生」とネーミングを変えて来ている。正に"仏作って魂い入れず"の格言を地で言っている。最近は特区で規制緩和を導入する政策を打ち出しているが、特区と称して「地域創生」ではなく「利権創生」の温床となっている。日本人は明治維新以来上からの指示で成果を上げてきたが、地方の再生には下から上を動かす力が必要と推定される。今日の様に地域経済が疲弊してしまったら物真似ではなく地域の特性を考えて再度日本人の原風景を復活させることが必要と思われる。
<続く>
労働の不毛な議論
裁量労働など頭の悪い私には理解できない言葉が最近はメディアを賑わしている。労働問題の歴史を振り返れば女工哀史がある。労働組合は資本主義において資本家の利潤追求が労働者の健康に影響を与える過酷な労働とマルクス主義の思想などが相俟って生まれた。戦後の日本は高度経済成長のよる豊かさと民主主義の普及で労働組合も国民に影響する社会的な問題から次第に距離を置き、今では企業内組合として社会的な行動は減少し、企業エゴ的な組合に衰退した。非正規雇用者の出現は正に企業内組合の最たる結果と言わざるを得ない。安倍政権のデフレ脱却と経済成長の目標の為に最終的に労働問題に行き着いたと見るべきか5年の歳月を迎えた放漫財政と低金利でもデフレ脱却の兆しが見えない状況に対する断末魔の叫びか分からない。私も若い頃に組合活動を行ったが、当時は経済成長を遂げた後なので社会的な問題より賃金のベースアップを実現する為に勉強会を経験した記憶がある。過酷な労働に対する闘争はなく、当時としてはベースアップ以外では国内的な社会的な問題としては公害問題であった。国際的な問題はベトナム戦争が終結したものの、共産圏との冷戦が続いていたので戦争反対は不可欠の闘争テーマであった。年功序列の賃金制度で今の若い人の様にお金や住まいには恵まれていなかったが、将来に対する悲観的な考え方はなかった。当時も金を稼ぎたかったら歩合制の営業マンになれば良く、不動産業界などは正に一攫千金を狙った若者が集まっていた。この現象は今と余り変わらないかもしれない。不動産開発や営業に関して深夜まで働けなくなった時期があった。この様に書くと嘘だろうと思うかもしれないが、経済バブル時代は夜遅くお客を訪問するのは拒否されたのである。経済バブル以前は不動産の営業マンが夜の9時以降にお客の自宅に説明に上がることは当然であった。モラルの問題であったかどうかは不明だが、当時は私的な事を職場に持ち込まないと言う考え方が主流であった。この為に平日においてはマンションや戸建ての説明を行うのは仕事が終わってからなので、帰宅して食事を終えた9時以降の深夜が当たり前であった。尤も、不動産会社が株式上場すると二つの制約を受けたそうだ。一つは歩合制の廃止で、二つには深夜営業の過重労働の禁止だ。今から30年以上前は大手上場会社と非上場会社の間と言うより労働組合の存在かもしれないが面白いルールが存在した。しかし、経済バブル時代には、私的な用事を職場で行えるようになったし、夜7時に説明に自宅を訪問すると遅い時間にご苦労様でしたと言われるようになった。良い意味でも悪い意味でも日本は経済バブル時代を経験してから多くの人の考え方が変わったことは確かだ。以上の様な面白くもないことをだらだらと何故記述したのかと言うと、労働問題は国家が上から目線で決める問題ではなく、経済の変化に伴って人々の意識が変わり、労働も変化してゆくことを指摘したいからだ。電通の女子社員が自殺した問題を取り上げて過剰労働とメディアは騒いでいるが、電通はホワイトカラーの職場なので、仕事に関しては工場労働者のブルーカラーとは違い自由裁量の範囲が大きい。自由裁量の大きい職場で過剰労働は能力の問題なので退職すれば解決する。特に今は年功序列制度の社会でないので職場が合わなければ容易に転職できる時代なので、ホワイトカラーが過剰労働で過労死などあり得ない。高齢化社会を迎えることは何10年前からも予測されていたのに今更労働力不足を補うのに女性の社会的進出を促す政策などこれまで政治は何をやって来たのかと言いたい。時給を上げろとか時間労働を決めるとか国家が指導するのは経済理論上からも可笑しなことだ。水は高きに流れないのは子供でも知っていることが安倍政権の連中は誰も知らない様だ。お粗末すぎて東京オリンピック後の経済が大いに危惧される。
遺産相続
国は高齢化社会を考慮した相続法制に係る民法の改正に向けて動き出している。相続税に関しては赤字財政の拡大から一人あたりの基礎控除の引き下げなどを行ってるが、相続人に対する民法の改正は現在の相続に関わる法律が制定されて以来初めてのことになる。今回の改正では高齢化社会で配偶者の居住資産の優遇措置が盛り込まれ、更に相続対象親族以外の親族に対する介護請求権も創設することで議論されている様だ。現行の相続に係る法制度は戦前の家督相続に対する戦後の民主化の中で制定された悪平等とも言える制度であったので、今回の改正に向けた動きは歓迎される。勿論、今回の改正が理論上ではなく、社会の実情にあった制度に改正されるならばであるが、事前に遺言を残せない高齢者の思惑も考慮した制度までは難しいと推定されるので、社会の実情に何処まで近づけるかと思われる。不動産開発に係る仕事を長年続けていると現行法の相続制度が悪平等であり、親族優先の矛盾を見せられた。悪平等の事例は、父親が生前に二人の息子に隣接した土地建物1棟づつを残していたのに相続時に弟が兄より3坪程土地が少ない為に10年以上も裁判で争いになり、結果的に兄が裁判で負けたので土地3坪の内1.5坪を弟に分割し、同土地には家屋が建っていたので地代を支払う事になったことだ。争いになった理由は知らないが、幾ら都心の高額な土地でも聞くに堪えない話だった。弊社が開発に入った時点では、弟は他所に引っ越して賃貸物件が建築されており、兄夫婦が相続した家屋に住んでいた。二人だけの兄弟が相続争いで他人以上の憎しみの対象となった訳だ。次の事例は、親族だけが相続対象となる現行法の大きな問題点であった。都心の借地権に小規模な店舗兼住居として暮らしていた母親と娘と母親の内縁の夫との問題であった。弊社が都心の再開事業の対象としたエリアの中に高齢な母親と娘が営業していた小料理屋があり、2階の住居に母親の内縁の夫が親子と暮らしていた。娘さんは50才を過ぎていたが独身であり、母親とその内縁の夫は共に80才を越えていた。内縁の夫と言いながら20年以上も一緒に暮らしているとのことだった。母親は群馬県の卒業した学校の同窓会に行くほど元気だったが、再開発事業中に仮住居先で急死してしまった。この為、娘さんが母親の内縁の夫を実の父親の様に生活の面倒を見ていたのである。再開発中に戸建ての住居を母の内縁の夫が購入し仮住居として使用していたのだが、血縁関係のない親子は再開発完成後も購入した住居が気に入り、再開発ビルのマンションには住まないで甥夫婦を入居させた。問題は再開発ビル完成1年後に起きた。娘さんが面倒を見ていた母親の内縁の夫が亡くなり、それを知った家族が20年振りに現れて娘さんに家から立ち退く様に通告したのであった。相談を受けた弊社は顧問弁護士を紹介したのだが、遺言もなかったので結局は裁判に敗けてしまった。20年以上も父親を放っておいて葬式に知らせても来なかった家族が資産があると分かった途端に相続を主張するなど理不尽とも言える事例だった。勿論、20年前に何があったかは知らないが、それでも20年の歳月を経ても生活力がない老人の面倒を見て来ていたのに親族でないだけで何も得る事がないのでは不条理極まりない。今回の改正で社会の実情にあった制度になることを要求したい。
不動産投資案件のトラブルについて
不動産業界は今も昔も一攫千金を狙う人達が集まる業界なのだが、最近のトラブルは不況の出版業界の広告出版(いわゆる自主出版)で騙されて投資する事例が多い。実際は自主出版なのだが、如何にも出版会社が発行したかのような錯覚商法で書店に並んだ本が最近は多い。高成り名を遂げた中小企業の老経営者が記念に成功物語を自主出版するのは社会に迷惑を及ぼす事ではないので大いに勧めるが、投資を誘うような広告出版となれば話は違ってくる。最近、シェアハウスンの投資案件でリース料が支払えずに破たんした会社が出たが、同社の社長も広告出版で急成長している。特に、この種の出版は出版会社が用意したゴーストライターが書いているのが常識であり、一応内容は著者となる本人に確認するだろうが、裏付けなど何も取らないで上梓していると推定される。破たんした場合には社長自身は騙すつもりがなかったと言い訳するだろうが、楽観的な事業収支計画をチェックもしないで出版させた出版会社は詐欺の片棒を担いだと指摘されても仕方がない。多くの不動産の投資案件はサブリースで仕組んでいるケースが目立つ。不動産投資案件で安易にサブリースを謳う風潮は、20年以上前のバブル経済崩壊後の裁判の判例によるところが大きいと思わざるを得ない。この判例はサブリースで契約に記載した保証賃料の変更を認めたものであった。尤も、バブル経済崩壊以降は不動産業界も長期的なサブリースはリスクが高いので、多くは短期的な契約となり、更に賃借人の退去後の空白期間に対しても細かな条件を追記した内容に変わった。しかし、日本の不動産業界は不良債権処理が一段落した2005年頃からバブル経済を知らない若い経営者や既存の投資と異なる案件が出たこともあり、再びサブリースと言う言葉が宣伝文句に多く見かけるようになった。特に、非正規雇用者用の工場近くのワンルームマンションにサブリース案件が多く、その後は老朽化したビルの再生案件、更に年金や相続対策用の不動産案件と拡大していった。その分トラブルも多く見かけるようになった。弊社は長くビル・マンションの賃貸用の物件を扱って来ているのでサブリースのリスクは嫌になるほど理解している。サブリースに関しては大企業でさえ大きな経済変動では耐えられない事が証明されているので、新興企業では少しの経済変動でも支払いに問題が生じる可能性が大きい。今も同様と思うが、過去にはワンルームマンションが投資として活用され、税金面(損益通算)でも優遇されて急拡大したのだが、税制度の改正で投資家は大きな損害が生じた。不動産投資はサブリース会社との関係も重要だが、投資の背景に控える税制度も重要なので安易に長期的な投資に参入すると痛い目にあうことになる。今韓国の平昌で冬季オリンピックが開催されているが、投資もスポーツと同様に基本が大事だ。スポーツ選手は基本を繰り返し且つ自分の身体能力を考えてトレーニングを積んで一流になれるのだが、投資家も同じと心得る。情報化時代になり時間軸が早くなったのでレバレッジを利かした投資商品やリスクが高い高利回り商品も多くなったが、投資のトレーニングを積めば選択において正しい判断が出来る。
データ駆動型経済など最近は分からない言葉が多い
データ駆動型経済が経済成長を牽引し、ビジネスチャンスが生まれると書いた記事を目にした。最近はAI(人工知能)を使った不動産評価を謳い文句にした業者の勧誘広告も目立つ。IoT(モノインターネット)が産業革命以来の変革を実現するといった表現も日常茶飯事になった。確かに、新しい技術が多く生まれてきているのは確かだが、何事もコストに見合ったものしか得られないことを自覚しないと過大評価になり、落とし穴に嵌ることになる。参考になるのは、建築業界では規制緩和で建築確認申請を民間企業に開放し、それに伴い構造計算ソフトが販売されたことだ。民間企業の検査機関では高層化する建築物に対して構造計算をチャックするのは厳しいとの判断から構造計算ソフトを義務付けた訳だ。問題は性善説に基づいて構造計算ソフトが作られたと推定するが、その様な前提にしなければならなかったのはコストの問題が横たわっていた為だ。ゲーム理論を使って構造計算ソフト作成問題を考えれば違った答えが出たかもしれないが、その様な複雑な問題として捉えることはなく、性善説を前提にすると手頃な価格の構造計算ソフトが提供できたからでもある。ところが、この不備な構造計算ソフトを悪用した業者が出現したのがご存知の通りだ。AIにしてもIoTにしてもコストに見合った製品で顧客にサービスを提供していると推定されるので、AIならば評価の妥当性を如何に検証出来るのかであり、IoTならばセキュリティの面で不安が付き纏うと思われる。金融資本主義になってから騙すより騙される人の方が悪いとの居直り的な社会になっているので、AIで判断しているので正確などと言う宣伝文句には眉に唾を付けた方が良い。また、IoTによる遠隔操作が可能なシステムはセキュリティに関して安全化と自問自答することが必要な事を自覚すべきだ。産業革命は大量生産方式で製品の価格を下げることで消費の拡大に繋がった。データ駆動型革命は製品コストを下げる効果とは違うので、何が経済成長を促す要因となるかである。日本は少子高齢化社会に入ったので労働者不足を補う面で活用されるかもしれないが、問題は導入コストである。経験や勘で行ってきた作業を新技術の導入で代替できることは理解できるが、消費者が受け入れる商品価格と如何に繋がるかが見えてこない。勿論、MR(複合現実)などは建築業界にも応用されて作業手順が省けて有効な技術であることは認めるが、導入コストに関しての答えが未だ出ていない。新技術が喧伝される一方で、昔のレコード盤に人気が出てきているのを考えると、人は完璧なものより多少不完全な要素が入ったものに魅力を感じるのかもしれないと思われる。データ駆動型経済などと訳の分からない用語を理解するより、何が必要かの視点で物事を考えう事が重要と思うのだが、間違いだろうか。ヒントは街は計画的にゾーン分けするより混在した方が繁栄すると言う事実だ。
馬鹿のひとつ覚えの規制緩和の弊害
岡山県内の有力企業である両備グループは県内を走る赤字バス路線31路線を廃止すると発表した。理由は赤字路線をカバーしていた黒字路線に格安バス運行会社の進出によるとのことだ。2002年に道路運送法の規制緩和があり、多くの企業がバス運行に進出している。記憶に新しいが金沢~東京間の高速バスが事故を起して多くの犠牲者が出た。この時の事故では運転手一人走行距離の問題が指摘され、その後事故を契機に一人運転手の走行距離が是正された。その後も観光バスの事故で零細企業のバス会社の運転手の技能やバスの点検整備などに問題があることを指摘されている。この種の規制緩和は日本だけでなくフランスなどでも行われており、日本と同様な事故が起きている。規制緩和は自由競争の原理で利用者に利益をもたらし、国家経済的にもプラスになると言う謳い文句だが、実際は人の安全など軽視した金儲け主義の経営者が多く出現し、リスクと背中合わせの弊害も多い。この様に書くとお前は既得権の擁護者かと批判されそうだが、私が指摘したいのは規制緩和に対して守る必要があるものまで壊している事に対しての無能さを指摘したいのである。規制緩和の当事者は行き過ぎていることを百も承知で推進し、問題が生じるのを待って是正する方式を取っている。この背景には政治家不在、否無能な政治家が木を見て森を見ずの政治を行っており、官僚が配慮のないシナリオを描いているからだ。尤も、革新官僚と言われる輩は政治家以上に権力志向で従わない企業を屈服させるために規制緩和を利用する愚も犯している。また、知恵がないのでやたら外国の事例を日本に導入したい輩もいる。日本の地方を疲弊させる大きな要因となった国鉄解体も政治を持ちこんだ故の愚策だ。労働組合を解体させるために仕組んだ国鉄解体だが、国鉄に強力な組合を作らせた理由を分析すれば国鉄解体ではなく法律の改正で現在のJRと同様の企業活動が出来て国鉄の労働者の無法な組合活動を抑制できたのではないかと惜しまれる。勿論、国鉄解体は組合弱体化と言う政治的には成功したが、分割の仕方に知恵がなく、JR北海道やJR四国など経営に苦しんでいるのを見ると解体は国民の為でなく政治の為なのが分かる。話は逸れたが、岡山の両備グループは地域の企業として地域の足であるバスを赤字路線でも地方経済の為に維持してきたことは疑いもない。国は地域再生を標榜しながらコンパクトシティなど縮小均衡の弱者切り捨て政策を進めている。この縮小均衡の手法は金融機関が経営危機の企業を救済する時に使う手法で、売り上げに見合った経費まで削減するリストラ策だ。インフレの時代には有効な手法だったが、時間軸が早い今日では後ろ向きの手法は倒産に繋がるリスクの方が大きい。地方再生にコンパクトシティを発想すること自体、財政に見合った支出しか考えてはいなく、再生など遠い夢に終わる。両備グループは今回の赤字31路線廃止を規制緩和の弊害として国に訴えたい様だが、多分国は聞く耳を持たない態度だろう。新時代に対応する大義名分で国家予算を平気で無駄に使っている政治家や官僚には、赤字路線廃止はコンパクトシティを推進できる材料と思うだけだろう。今後も同様な規制緩和と称する緩和悪が起きると思われるので、国家などを期待しないで事業に取り組むことが重要だ。その為には税金も必要以上に支払う必要がない。
不動産の今昔その2-番外編2
番外編で地面師の復活だけで済ますと先祖帰りも聞いても仕方がないと思われるので、番外編2では地面師が進化した合法的な地面師が活動する現在の不動産業界に触れてみたい。サブプライムローンが引き起こしたリーマンショックから早いもので10年が経過した。不動産金融商品として世界中に売られたことにより同ローン破綻による金融ショックを防ぐために先進各国は財政出動し、現在漸くその混乱から抜け出しつつある。尤も、各国の財政緩和により世界中に膨大な投資資金が徘徊し、各相場が投機的な動きとなっているリスクが顕在化してきている。"羹に懲りて膾を吹く"という言葉は死語になったかと思うほど大胆な投資が多く見受けられる。今昔の在り様を比較するにはビジネスの前提が大きく変わってしまったので意味がないが、その原因は不動産金融商品の出現だ。勿論、仕組み自体が変わったのではなく、リスク商品が追加されたことによるもので、商品名も「プライムローン」に対する「サブプライムローン」とリスクを感じさせない表現が詐欺的でもある。国内でも不動産金融商品がクラウドファンディングと相俟って小口化して売られているが、大部分はメザニンと呼ばれるハイリスク・ハイリターンの商品だ。リーマンショックでは不動産の価値が急落してメザニンローンが破たんした。金融機関はシニアローンと言われる貸付で、金融機関の評価外の部分に貸付するのがメザニンローンである。勿論、不動産購入などには自己資金も必要なので、不動産を構成するのは①自己資金、②シニアローン、③メザニンローンとなり、棄損するのは自己資金からとなる為、ハイリスクの金融商品を購入するには対象不動産の評価が重要となる。この為、最近では不動産評価にAIなどを取り入れる業者も出てきているが、AIを過大評価すればリスクを見誤ることになる。此処で再度バブル経済時代を振り返ると、当時は不動産が超インフレで天井知らずの相場を形成していたので、金融機関のシニアローンに対する評価は上がる前提で不動産担保の100%所か120%評価も行われ、自己資金なしで不動産購入が可能な時期があった。この事実を何故触れたのかと言うと、表に見えない不動産投資に対する自己資金とシニアローンの担保評価如何でメザニンローンは不動産価格の小さな変動でもシャボン玉のように消えてしまうからだ。長く不動産業界いると人の考え方と評価に対する現実との乖離に驚かされる。金融機関の貸付金利が3%を下回るのに20%の高利回り商品を疑う事もなく購入する。良心的な5~6%の不動産利回り物件を無視してである。反対に東京オリンピックやインバウンド需要を見込んだホテル案件には低利回りでも投資するのだが、観光等に対する国内需要は急激に減少しているにも拘わらずだ。昔からホテル案件は貸しビルとは異なり、売り上げが需要動向に左右され、リスクが高いので少なくても12~14%の利回りを求められたものだ。尤も、グローバル経済で変わったと言われればそれまでだが、余計なお世話かもしれないがグローバル経済だからこそ需要が世界的に一様に動くと思われるので、ローカル的に考えてリスクをヘッジする必要があると思われる。書き進めてもう一つの言葉を思い出した。"嘘を付くなら小さな嘘ではなく大きな嘘を付け"と凡人には考えられない嘘だと真実になるらしい。AIが必要なのは企業ではなく個人かもしれない。
不動産の今昔その2ー番外編
所在者不明土地が全国に多く点在しており、公共事業の推進に障害となっているために、国土交通省が所在者不明土地の取り扱いに関して法的な整備を進めている。公共事業に関わる土地は国土交通省だが、それ以外に関しては財務省が対応することになると言われている。所在者不明の土地で思い出すのはゴルフ場の開発である。ゴルフ場は広大な土地を買収乃至は借地することで進められるが、予定地には共有地も多い。共有地は部落の人達が共有しているのだが、これは農業・林業・漁業の第一次産業が主要な時代の遺産ともいえる。開発する為には権利者に同意を取る必要があり、その方法として権利者の戸籍を調べるのだが、今の様な個人情報が厳しくなるとお手上げだ。戸籍を追って行くうちに海外に行った事実が判明し、子孫を追って海外にまで書面を送ったこともあった。農村が貧しい時代には移民として海外に人々は移動し、工業立国になって農村から都市へと人々は移動したのだが、戦前は長子相続により所有者が不明と言うことは考えられなかった。戦後は子供達が全員相続の対象となったので権利者は増加した。特に、相続争いも起きている他、所有者不明には様々な理由があると思われ、法的な整備で何処まで対応が可能か疑問である。そう言えば、私事だが、当家でも亡父の時代に所有地で思わぬ事実が判明したことがあった。当家も農家だったが、戦前は養蚕を営み、曽祖父の時代に部落の人達の絹糸を預かって県内の市場に持ち込み、詐欺師に騙されて絹糸を失った事があったそうだ。この時に、親戚の互助会組織が働き、親戚から借りたお金で部落の人達に絹糸代金分を支払ったとのことだが、田舎の事なので相続登記など行っていなく、亡父が必要があって相続登記を行おうとしたら親戚が抵当権を設定していたことが判明した。記憶を遡って上記の事実が分かり、親戚でも借入返済の事情を理解していた人が生存していたので事なきを得たが、その事情が分からない世代になっていたら解決に時間を要すことになったと思われる。当家の過去の出来事を見ても所有者不明の土地は何か理由があると推定され、法的整備だけでは事は簡単ではないと思われる。
次に、地面師について言及したいが、最近の都心は土地バブル様相で死語になったと思われた地面師と言う言葉が紙面を賑わしている。個人情報の強化の時代にと思ったが、犯罪者の知恵はそれを上回っているのか、それとも情報化の時代で容易く情報の入手が出来るので考える力を失った為なのか分からないが、決済が銀行振り込みになった事にも関係があるかもしれない。何時から不動産売買の決済を銀行振り込みになったか記憶にないが、昔は預手と言われる銀行振り出し小切手で決済した。登記所で受け付け完了しなければ信用できない程、不動産取引はリスクを伴うものだった。この為、取引では法務局に司法書士が書類を持参して受け付け完了したのを確認して決済した。勿論、登記に必要な書類が偽造されて司法書士も登記所も見抜けなければ防ぎようがないのは今も昔も変わらない。登記所も情報化時代に対応して権利証から権利情報に変わり、新たに登記をすれば新しいバージョンになるのだが、権利移転がなければ昔の権利証のままなのでそこに地面師などが介在する可能性がある。また、印刷等の技術の向上でパスポートなどの偽造も容易になった感があり、知らない内に他人が成り代わっていたり、印鑑登録が変更されたりと自分自身と所有資産を定期的に確認する必要が出来てきた時代でもある。不動産取引には実印と称する印鑑が必要だが、捺印した後に朱肉を良く拭き取らないと油紙で印影を写し取られるリスクがあるが、今ではこの様な事も死語になったかもしれない。経験が尊重されない社会とは犯罪者が喜ぶ世界でもある。AIなどを駆使すればするほど人自身はリスクに対する直観が働くなり、地面師と呼ばれる犯罪者の復活となる可能性がある。
不動産の今昔その2-④
不動産業界にも設計図はCADからBIMに次第に移りつつあり、更に新しい技術であるAI、MR、VR、ARを導入する動きが出てきている。特に、車の自動運転技術から応用した技術は既存建物を赤外線等で照射して立体的なモデルを構築できるので、図面などがない古いビルには利用価値がある。どの業界でも同様だが、新しい技術を使うには多額の投資資金が必要になるので、中小の不動産会社にとっては厳しい現実が待ち受けることになる。更に、新しい技術は既存の業務を消滅させる場合もあり、下請け業務としてどの分野が残れるかも重要な点だ。ブロックチェーン技術を使ったインターネット上での契約締結などが顕著な動きだ。人型ロボットの出現なども同様だ。造れば売れる時代から売れる物を造る時代になって久しいが、売れる物を造るにはデザイン重視となり、一時期はデザイナーズマンションがブームとなった。今はデザインは当然として環境に優しく、更に消費者目線で売れる物を造ると言う脅迫観念に近い要求が求められている。その結果、人を超えるAIの利用ともいえるし、購入前にバーチャル世界で物件に対する疑似体験出来る誤差のない安心の世界が提供される様になりつつある。消費者がエンドユーザーの場合には理想の販売方法だと思われるが、収益不動産の場合には物件購入者の先にテナントと言う利用者がいるので、新しい技術が賃料アップや入居率アップに直に繋がるかを検証することも求められる。AIの技術は不動産の評価や適正賃料などに利用されてデータに客観性を持たせることに利用されている。不動産の直接的な技術ではないが、車の自動運転技術は駐車場の面積縮小にも効果があるので、ショッピングモールや駐車場の運営者にとっては副次的な経費節減効果となる。新しい技術は今後も思わぬ副次効果をもたらすと考えられるので注視する必要がある。
不動産の今昔などと言うタイトルで書いたが、情報化時代は誰もが多くの情報に接することが出来て情報に追われる生活を余儀なくされており、数年前の出来事が大分古い出来事の様に錯覚する時代にどの時点をとらえて今昔として見るかは個人差があるので意味がないかもしれない。私は若い頃に編集記者となり記事を書いていた時期があった。この時には締めが終わった時から次の締めに追われるので時間経過が早く感じた。我々は相対的な時間空間に置かれているので、仕事によって時間の経過が異なると思われる。良く新聞記者が早く老成すると言うのも締切に追われる仕事ゆえかもしれない。情報化時代で時間軸が短くなっているのは仕事や個人差ではなく、今後は全体的な動きと見ると時間軸の捉え方にも格差が出て来る可能性もある。情報化時代の前にスローフードなどの動きがあったが、今後はその様な動きが広がって不動産業界にも影響が出て来るものと思料する。
不動産の今昔その2-③
不動産は証券化で動産的な要素が加わり投資資産として扱い安くなり、また開発業者も購入者にリスクを転嫁できることになり、景気回復に国民の金を使わせるシナリオとなっている。国債同様に不動産証券化も小口化を推進する規制緩和が進んでおり、正に相続税の強化と相俟って国民の不動産に対する投資意欲は盛んになった感がある。タイトルが今昔なので比較する必要があると言われそうだが、本質から見れば手持ちの現金以外に借入して不動産開発ないしは証券化商品を購入した場合のリスクは変わらない。尤も、株やFXの様に信用取引による購入システムは不動産取引ではないので売買で実体以上に損失を被ることはないのだが、問題は不動産リートや私募ファンドの借入金比率である。配当率を上げるには借入比率を高めることなので、急激に担保評価が下がった場合のリスクは大きい。マンションを主体とするリートと私募ファンドは相続対策でアパート・マンションが需給を無視して建築ラッシュとなったので近い将来は入居率が下がる可能性があり、賃料の下落圧力が高まると担保評価に問題が出る。オフィスビルも建築ラッシュが続いており、今後はマンション・アパートと同様に担保評価で困ることは目に見えている。不動産証券化の出現によって不動産の流動化は高まったが、一方不動産の賃貸収入で生計を立てている個人や企業は需給を無視した開発の煽りを食らう事になる。20年以上前の経済バブル崩壊では不動産の価値は大幅に下落したが、不動産が証券化で金融商品となった今日では過去の様な大幅な下落があるかと言うと、正に事例として不動産の証券化の本家である米国を参考にすることが出来る。結論で言えば大幅な下落は起きる。下落率はエリアによって異なったが、一番下落率が低かったNYでも半値の2割引きになった。ちなみに、米国の不動産はリーマンショック後の暴落後に景気回復や外国人の投資に伴って上昇しているが、中国人や中国企業の投資が急激に落ちたので、最近は危うい状況にあると言われる。日本も海外投資家の影響を受ける様になったので、米国の動きが今後は参考になると思われる。
<次号に続く>
不動産の今昔その2-②
前回、都内のファミリーマンション販売で大手不動産会社のシェアが高まり、これまでの様な中小不動産による価格破壊が消えつつあると書いたが、マンション価格が高くなりすぎて中小では手が出せなくなったのも事実だ。マーケットがグローバル経済になり、買い手が国内に留まらないと言う現象も中小不動産会社にとってはリスクを取れないのも事実だ。過去の経験など生かせないと言う現今の不動産について今昔などと書いて比較しても意味がないと言われそうだが、物事の本質を考えると何も変わっていないのに気づく。良くマーケティングで考えろと言う言葉を目にするが、マーケティングとは何かと言えば消費者の心を把握するという事になり、消費者目線で考えろで周知の事実だ。今の時代に殊更強調されるのは従来の手法では物が売れなくなったことや集客出来なくなったことだが、それは情報化の時代になって製品の情報が溢れている事やデフレ経済で一律的に給与が上がらなくなり、然も所得格差が拡大したことの社会的要因が背景に存在する。今後はデザイン思考が必要との表現も世界に稀に見る中流社会が壊れて誰もが右倣えであった時代が終わり、個別的な需要に対応せざるを得なくなったに過ぎない。本質を見る眼がなければ時代に翻弄され、大したことでもない事を尊重してしまう事になりかねない。本質的な目で民泊を見ると二つの意図が見えてくる。一つは、円安で海外から観光客が増加し、宿泊施設が足りないので、個人の住居やマンションを宿泊施設の代替として利用する事だが、これは要するに宿泊施設の非正規雇用者同様の為替変動を意識しての調整弁であると言える。二つには、聡明な方は直ぐに理解したと思うが、少子高齢化社会で過剰になりつつある住宅を維持し、且つ住宅は景気対策の重要な柱なので需要減を避けるため方策だ。この様な政策に企業が飛びつくと火傷することになる。
次に、視野を世界に拡大すると、実体経済の数倍の資金が運用先を探して市場を翻弄している世界的なバブル経済に直面する。日本の不動産も海外の投資資金を考慮しなければ需給判断に間違いが生じることになるが、海外の投資資金は逃げ足も速いので、安易にのるとやはり怪我をすることになる。尤も、不動産リートや私募ファンドの発行が増大し、オフィスビル建築などはテナント需給を無視した状況を呈しており、海外の投資資金以前に問題を抱えている。更に、不動産業界は相続対策商品ならお客が付くと言われ、住居用の投資マンションが供給過剰になってきている。金融庁がアパートローンの過剰貸し出しに警告を発したが、金融機関も貸出先がないので相続対象商品に融資が集中してしまう弊害が出てきている。今の社会は過剰包装と同じく本質を間違わせる様な見掛けを変えて如何にも新しい時代に合った商品の様に見せる技術が横行している。正に、詐欺師にとっては垂涎な社会と化している。
<次回に続く>
不動産の今昔その2ー①
かなり以前に「不動産の今昔」を書いた記憶があるのでタイトルにその2と書きました。情報化時代と言われて気が付くとふた昔前の事であり、今はIOTから更にAI、VR、AR、MRと単なる情報のスピード化やデータ保有量でなくなりました。確かに、情報化以前の時代に教育を受けた世代と情報化時代に入ってから教育を受けた世代とは、世代間ギャップ以上に多くの点で違いがあると思われますが、前者を時間軸にゆとりを持っていた世代と後者を時間軸が短くなった世代と表現を変えてみると、両者の優劣は一概に判断できないと考えられます。良く考えると、10年ひと昔が、5年ひと昔、更に3年ひと昔と事業の有効性は年々短くなってきていますが、正に情報化のなせる業であり、簡単に世界中の情報が一瞬の間に把握できることによる後発の有利さと断言できます。大学教育も私の時代には10年一日の授業でも教授の職が確保されていた時代でしたが、今は新しい技術が次々と生まれ、つい最近まで実現には長い時間が掛る考えられていた量子コンピュータも実現するなど正に2045年に起きる技術的特異点(シンギュラリティ)を予想される今日では、誰も自分の地位を保証できるものではなくなりつつあります。しかし、人の頭(知能)は技術と比較して成長していないと言われ、現代の様に時間軸が早いと逆に退化するのではないかと危惧されます。従いまして、時間に追われた世代でなく、逆に時間を持て余した世代の私が最近の不動産の動きについて過去と比較して分析することは無駄でもない様な気がしますので言及したいと思います。テーマはランダム的になることを許容していただきますが、先ずは都内のファミリーマンション販売に関してです。大手が販売戸数を増やし、今では価格さえもコントロール出来る程にシェアを拡大してきていることに驚いています。過去には大京というマンション販売会社があり、バブル経済時代に国内と海外の過剰投資で銀行管理に置かれた時に、取引先の金融機関から就任した社長がマンション価格をコントロールする為に販売シェアを拡大する戦略を採用したことがありました。当時はマンション販売はメーカーの生産・販売とは違うので出来る訳がないと思われ、実際に拡大路線が裏目となり、最終的にはオリックスによる救済を受けて系列企業になりました。その時の記憶がありましたので、都内のファミリーマンション販売が大手不動産によって寡占化が進み、価格さえも左右するかもしれない現状には驚きを隠せません。この背景には都内のマンション用地の不足があると思われ、それが続く限りは大手不動産のシェアが拡大し、販売価格にも影響が出ると思われます。
<次回に続く>
新年早々に時代の変化を考えさせられた!!
日本の最高峰の大学と米国のアイビーリーグの大学のMBOを取得し、日本の大手不動産会社と外国の投資会社を経て不動産リートの立ち上げの経験を有する方と新年の挨拶を兼ねた情報交換を毎年行っている。年齢は未だ50才半ばなので今年も威勢の良い話を期待していたが、どうも勝手が違った。アセットマネジメント会社の代表として預かり資産残高は多く保有しており、遣ろうと思えば世界中にいる彼の人脈で投資資金を日本に持ってくることが出来る人の言葉なので実務経験がない人達とは言葉の重みが違う。その方が「今は私の経験など役に立たないと言った言葉」は衝撃的だった。大分前にブログで"人の賞味期限"についてやはりアセットマネジメント会社の代表が書いた投資家に対するレターに言及したが、今年早々の"過去の経験など役に立たない時代"を聞いた時には衝撃的だった。しかし、良く考えると経験が邪魔する時代と読みかえれば、現在の時代を考える上で参考になる。不動産ファンドなどは5年を目途に出口戦略を考えての投資を行い一定のリターンを実現してきた。昨今を見ると、出口戦略など先を考えていない投資が行われており、全く無責任と言わざるを得ないものが横行している。今の日本はグローバル経済的には世界の投資家にとって不動産の資産ポートフォリオに入っていない地域らしく、その気になれば3%位の利回りでも投資家はいると言われている。しかし、少子高齢化社会で先が見えない中で東京だけを見た投資戦略では遅かれ早かれ運用が行き詰ることは目に見えており、詐欺師でもなければ投資に躊躇するのは当然の成り行きだ。日本の経済は正に今は目先だけで動いており、"後は野になれ山となれ的な投資"が横行している。金融庁がリスクを回避させる為に金融機関に貸し出し抑制を指導した「相続対策用のアパートローンの過剰貸し付け」など典型的な目先しか考えなくなった愚かな行為だ。勿論、目先にしか考えない無責任な社会を憂いているだけでは何の解決先にもならないし、ビジネスマンはやはり無責任な学者とは違うので、現在の社会で何が起きているのかを分析し、何が今後事業として成立するかを考える必要がある。昨今はデータ主義が持て囃されており、更にデータ分析や対応にAIを導入する動きも出てきており、過去の経験が役に立たないと言わしめた背景の一つの現象が起きている。データだけで事業の課題が解決するなら人間は必要なくなるが、逆説的に考えると誰もが同じことをしたのでは利益を生ませることが出来ないという過去の経験は生きる。情報過剰の時代には信号と雑音を区別することが難しくなると言われており、更に人は情報過多に際しては気に入ったものしか興味を持たなくなるそうだ。時代の変化の時にはチャンスもあることは確かであり、目先経済が横行するならばリスクも並行して起きているので、過去の経験はリスク対策に生きてくることは確かだ。
曹洞宗 薬王寺 田中住職の賀状について
毎年、北海道札幌市の曹洞宗 薬王寺の田中住職の賀状を楽しみにしている。お会いする機会が少ないので賀状にて教えを乞うているのだが、今年は昨年12月に和尚が正当法要の導師を勤めた全日本仏教会会長を務めた高階瓏仙大禅師の五十回忌法要後に百人近いブラジルの参禅者を前に法話した内容が書かれていた。
『見えているのに観ていない世界がある。見ようとしなければ観えてこない心の世界がある「見る・視る・観る」 仏道は菩薩行の実践「思いやりの行い」「優しい言葉」「支え合える事」そして「気づく事」 この四つの行いをする人を菩薩と云う。今年は貴方の心に何が観えるでしょうか?』
昨年末に長く務めてきた社員が病に倒れた。私がその会社の社長を引いた後であったので、新社長の対応がどうなるか気になって越年した。この為、今年の賀状は特に心に沁みた。
合掌