労働の不毛な議論

裁量労働など頭の悪い私には理解できない言葉が最近はメディアを賑わしている。労働問題の歴史を振り返れば女工哀史がある。労働組合は資本主義において資本家の利潤追求が労働者の健康に影響を与える過酷な労働とマルクス主義の思想などが相俟って生まれた。戦後の日本は高度経済成長のよる豊かさと民主主義の普及で労働組合も国民に影響する社会的な問題から次第に距離を置き、今では企業内組合として社会的な行動は減少し、企業エゴ的な組合に衰退した。非正規雇用者の出現は正に企業内組合の最たる結果と言わざるを得ない。安倍政権のデフレ脱却と経済成長の目標の為に最終的に労働問題に行き着いたと見るべきか5年の歳月を迎えた放漫財政と低金利でもデフレ脱却の兆しが見えない状況に対する断末魔の叫びか分からない。私も若い頃に組合活動を行ったが、当時は経済成長を遂げた後なので社会的な問題より賃金のベースアップを実現する為に勉強会を経験した記憶がある。過酷な労働に対する闘争はなく、当時としてはベースアップ以外では国内的な社会的な問題としては公害問題であった。国際的な問題はベトナム戦争が終結したものの、共産圏との冷戦が続いていたので戦争反対は不可欠の闘争テーマであった。年功序列の賃金制度で今の若い人の様にお金や住まいには恵まれていなかったが、将来に対する悲観的な考え方はなかった。当時も金を稼ぎたかったら歩合制の営業マンになれば良く、不動産業界などは正に一攫千金を狙った若者が集まっていた。この現象は今と余り変わらないかもしれない。不動産開発や営業に関して深夜まで働けなくなった時期があった。この様に書くと嘘だろうと思うかもしれないが、経済バブル時代は夜遅くお客を訪問するのは拒否されたのである。経済バブル以前は不動産の営業マンが夜の9時以降にお客の自宅に説明に上がることは当然であった。モラルの問題であったかどうかは不明だが、当時は私的な事を職場に持ち込まないと言う考え方が主流であった。この為に平日においてはマンションや戸建ての説明を行うのは仕事が終わってからなので、帰宅して食事を終えた9時以降の深夜が当たり前であった。尤も、不動産会社が株式上場すると二つの制約を受けたそうだ。一つは歩合制の廃止で、二つには深夜営業の過重労働の禁止だ。今から30年以上前は大手上場会社と非上場会社の間と言うより労働組合の存在かもしれないが面白いルールが存在した。しかし、経済バブル時代には、私的な用事を職場で行えるようになったし、夜7時に説明に自宅を訪問すると遅い時間にご苦労様でしたと言われるようになった。良い意味でも悪い意味でも日本は経済バブル時代を経験してから多くの人の考え方が変わったことは確かだ。以上の様な面白くもないことをだらだらと何故記述したのかと言うと、労働問題は国家が上から目線で決める問題ではなく、経済の変化に伴って人々の意識が変わり、労働も変化してゆくことを指摘したいからだ。電通の女子社員が自殺した問題を取り上げて過剰労働とメディアは騒いでいるが、電通はホワイトカラーの職場なので、仕事に関しては工場労働者のブルーカラーとは違い自由裁量の範囲が大きい。自由裁量の大きい職場で過剰労働は能力の問題なので退職すれば解決する。特に今は年功序列制度の社会でないので職場が合わなければ容易に転職できる時代なので、ホワイトカラーが過剰労働で過労死などあり得ない。高齢化社会を迎えることは何10年前からも予測されていたのに今更労働力不足を補うのに女性の社会的進出を促す政策などこれまで政治は何をやって来たのかと言いたい。時給を上げろとか時間労働を決めるとか国家が指導するのは経済理論上からも可笑しなことだ。水は高きに流れないのは子供でも知っていることが安倍政権の連中は誰も知らない様だ。お粗末すぎて東京オリンピック後の経済が大いに危惧される。

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