トランプ関税導入による企業の業績に対する影響や景気に対する先行き懸念から消費税比率の引き下げや食料品に対する暫定的な消費税の撤廃などが与野党を問わずに議論されている。今から30年以上前に竹下内閣時代に導入された消費税は3%でした。当社は5%以上の消費税の導入が議論されていましたが、国民の反発を考慮して結果的には3%で決着している。この時の議論が念頭にあって消費税の比率を議論すれば10%に上がった消費税について食料品に関しては除外されていた筈だ。世界各国で消費税なるものは導入されているが、殆んどの国では食料品に関しては課税されていない。日本でも当初の消費税導入時の議論では食料品に関しては除外対象であった。しかし、導入税率が予定していた比率より低かったので、将来の比率アップ時には食料品を除外することにして3%導入時には食料品にも課税された。それが消費税比率のアップ時に除外を検討されることなく今日の10%に到った。政治家もメディアも過去を見る視点に欠けているので話にならないが、財務官僚からすれば状況が変わったので食料品除外は10%でも無視して良いとの事だろうが、現行の消費税の仕組みの出鱈目さを見ると組織の劣化としか思われない。尤も、国民の多くが予算や国債の問題に無関心や間違った考え方をしている状況では無責任になっても仕方がないと考えているのかもしれない。政治家は過去以上に歴史を見て判断することが必要だが、小選挙区制度と世襲制度、更には政党助成金の導入により、小物化した政治家の集団になった政党には期待できないのが実情だ。
米価の上昇に関して
食管法により主食のコメを国が管理していたのを1995年に食管法を廃止し、食糧法を制定して民間主導の管理に移行し、コメの取り扱い業者を登録制にしたのは30年前のことでした。米は主食と言う言葉が独り歩きをして米価を低くしていたのは無策の農林水産省の役人と無能な政治家でした。食管法は戦後の食糧難に米の安定供給を考えてのことでしたが、消費者にはプラスに働いても生産者にとってはコメの価格と生産コストが見合わないと言う現象が生じました。本来は生産者にとってもプラスになる制度でしたが、現場の生産を知らないでの役人と政治家が考えた悪法と言えます。しかも消費者の生活スタイルの変化も考えないで米を主食と位置付けた考え方が定着して生産農家を苦しめました。米が主食と言うのは一汁一菜の時代の話であり、確かにその時代には大人一人が一年間に必要とする米は精米2俵(120kg)でしたので、家族4人(子ども二人)では年間7俵(480kg)を必要としました。米価が上昇前の価格は1俵約2万5千円ですので、年間のコメ購入価格は17万5千円になります。この金額を12ヶ月で割ると約1万5千円になります。家族4人の食費は月額約5万円とすれば、米の購入価格は30%となりますので主食と言っても間違いではないと思われます。しかし、現代の日本の4人家族の米の消費消費量は過去と違って大分減少しており、1ヶ月で5kg×2回=10kg程度で、年間購入量は10kg×12ヶ月=120kgです。この消費量は過去には大人一人が消費する量と言えます。その上、月額の食費に対する米の購入価格は約4千500円ですので何と9%の割合です。米は殆んどの栄養分が含まれており、不足分を大豆の栄養分で補強すれば十分と言われますが、現代の家庭では総菜などに必要以上にお金を使っていることが分かります。その様な状況の中で米の価格だけが生産コストと見合わない低い価格でこれ迄は推移して来ています。今回の米価の上昇でも生産コスト的には漸く作る価値が出て来た位で有り、米農家が米の生産だけでは生活できずに野菜や花の栽培で生活が出来ている現状を考えないと米の生産が増加するとは思われません。先ずは消費者に米の価格を低くしたいならば米を食べる量を増やす事と言えます。尤も、50年前に米の生産など崩壊してるのに何も手を打たないで半世紀も無駄にしている農林水産省など必要がない官庁と言えます。
黒川創氏の「ソウルの星」を読んで
朝鮮王朝から大韓民国、そして日本との統合の時代に朝鮮と関係が強い日本の作家と日本と関係がある朝鮮の作家のそれぞれの足跡を辿った読み物なのだが、全く時代背景は異なるものの、今回の米国のトランプ大統領の相互関税問題で直面した韓国が今後の生きる道として日本を選択せざる得ないのは歴史の皮肉と言える。日韓統合の前にも国内を二分した朝鮮内の争いは伊大統領の弾劾の是非による国内世論の分断と似ていると思わざるを得ない。勿論、過去の朝鮮王朝は清を宗主国としていたが、日清戦争後に朝鮮は独立国となったものの一本立ちが出来ないのでロシアと日本を天秤にかけた争いを展開した。日本の実情を調べて日本が当時の朝鮮を統合するのは軍事的にも財政的にも負担があることを見抜ければ、逆に日本を利用しての近代化を図ることが出来た。先に統合された台湾が良い事例であった。しかし、統合に消極的な伊藤博文が暗殺されたことにより、逆に統合の勢力が主導権を握って日本に否応なく属することになった。トランプ大統領の相互関税問題では、朝鮮半島は北朝鮮と韓国の二つに分かれており、大国になった中国とロシアが隣国に控えていることと、過去には朝鮮半島に無関心であった米国が世界平和の為に北朝鮮を懐柔したい米国の存在があることだ。北朝鮮は本音では中国と距離を置きたいので米国との交渉は望むところであり、現状はロシアと強力な同盟関係を締結したので、米国との交渉には第一次のトランプ政権時より有利な位置にある。尤も、北朝鮮との交渉では米国は日本の経済支援を前提にしており、韓国としても日本と足並みを揃えなければ北朝鮮に対して不利になる可能性がある。韓国としてはロシアとの関係は北朝鮮と軍事同盟を締結したので関係改善は難しく、更に中国に関しても米中対立で親密化を進めることは出来ないので、韓国の今後の選択肢は日本以外にないのである。幾ら北朝鮮と親密な韓国民主党でもロシアと軍事同盟し核を武装した北朝鮮に対しては経済力だけでは対等に交渉が出来ないのは自明であり、無理に接近すれば逆に飲み込まれるリスクがある。歴史は繰り返すと言う言葉があるが、全く同じに繰り返すのではなく、状況の類似性であり結果と思われる。戦後80年、日韓国交回復60年の節目に朝鮮半島を舞台に日韓の否応なしの接近が始まる。
天人「深代惇郎と新聞の時代」を読んで
朝日新聞の"天声人語"の執筆者として知られた方だが、私の家では読売新聞を購読していたので受験で上京するまで読んだことがなかった。高田馬場の下宿で同郷の下宿人と親しくなって受験生にとっては"天声人語"が必須であることを教わり、田舎で育った故の情報不足に愕然とした苦い思い出がある。最近、言葉や言語に興味を持ち、様々な切り口の本を読んでいるのだが、その関連本を渉猟している中で標題の本にであった。天声人語を書く編集者は名文家が多い中で、深代に関しては天人の呼称で呼ぶに相応しい執筆内容であったとのことだ。近年、デジタル時代になり理数科の分野に注力する時代になり、リベラルアーツは否定される声が聞かれるが、深代の天声人語は深い教養に裏打ちされた正にリベラルアーツが源泉となっている様だ。深代が書いた天声人語はその深み故に如何なる世代も同様に理解されるものではないと解されているが、そもそも言葉で書かれた全ての出版物は理解するのは同等の教養と年齢の経過が必要と思われる。太平洋戦争後80年になり、戦争の経験者が減少しているので殊更戦前戦中に育った人達の言葉を理解するのは難しくなっていると思われる。深代は海軍兵学校に入学し短期間とは言え軍人としての教育を受けている。また、戦後に入学して旧制高等学校の経験も有している。更に、朝日新聞に入り語学留学で英国で生活した他海外特派員時代も長い。国内外の多くの経験で培った人脈や情報も天人を形成する上で大きな財産であったと思われる。天声人語の様な限られた文字数で表現する編集物に関しては書き過ぎる懸念より書き足りなさの方が強いと思われるので、正に命を込めて書くと言った表現が正しいかもしれない。馬齢を重ねて考えるのは人の生命の長短は誰しもが何らかの意味を持ってこの世に出て来るのでありその目的を終えると寿命が尽きると言えそうだが、余りにも短い生命の終わりもあるので簡単に結論付けられない。しかし、深代の場合には余白を残して若くして旅ったので、誰しもが長く記憶に留める存在になったことは確かだ。天人の呼称も同様だろう。私にとっては天声人語は若い時の悔いと同義語になっている。