江戸末期の出来事の2冊の本を読んで

1冊目は"弧城の春"、2冊目は"垣内教授の江戸"とタイトルが付いた本だ。前者は備中松山藩10万石の財政再建を行った山田方谷を主人公とするもので、後者は東京芸術大学の教授を主人公とするものだ。山田方谷は実在した人物だが、垣内教授は架空の人物だ。2冊の本を手にした経緯だが、"孤城の春"に関しては備中松山藩の山城が日本で一番高い位置に作られたもので、ペルーのマチュピチュに擬えて城跡が日本のマチュピチュとして有名になっていることと、所在地の岡山県高梁市に関して過去に高梁市出身の方から相続の件で相談を受けたことや山田方谷に興味があった為だ。江戸末期には幾つかの小藩で借金漬けの藩財政を再建した人物がいたことは知られているが、山田方谷の備中松山藩も収入より支出が上回る財政を長年続けて来て破綻寸前で有った様だ。山田方谷は儒学者であったが西洋の知識にも通じ、財政再建後は藩の財政を改善する為に商いを行っている。翻って、現在の日本の地方自治体は過去の江戸時代の藩と同様に財政を借金で回している所が殆んどであり、正に財政破綻寸前の自治体も多いので江戸末期の諸藩と状況が似ている。江戸時代と異なり、今日では国が地方自治体も稼げる制度を設けることにより、有能な首長がいる自治体では稼ぎ始めている。封建社会と民主主義の社会とで違いがあるが、企業と違って自ら稼ぐことをしない組織は衰退して行くのは必然と思われる。自ら稼ぐ能力を駆使して公的なサービスを行えば人心の安定にもつながる。歴史は繰り返す言葉があるが、この意味は全く同じことを繰り返すのではなく、形を変えて似た現象が繰り返されることの様だ。そういう意味では江戸末期の諸藩と現在の国と地方自治体の財政は似ていると思われる。2冊目の方では江戸末期に農民が武道に励んだ理由や経済悪化が起きた理由を知ることが出来る本だ。農民が武道に励んだ地域は主に天領である所だ。天領は徳川幕府の直轄地で徳川家と御家人が支配していた地域となる。藩の様な組織で領地が管理されていなかったので、治安面で不安があり、特に幕末には御家人の領地を守る武士が常駐していなく、名主庄屋と呼ばれた資産家が管理を代行していた。この為に道場が作られ武士の様に武道に励んで、盗賊や状況に不満を持つ人々の争乱に備えていた様だ。新選組の近藤勇や土方歳三などは農民の道場で武芸を学んだ者たちだ。江戸時代は建前上は鎖国なので国内の経済を動かすのにお伊勢参りなどのイベントを行っていたと思われる。参勤交代などは経済に大きく貢献したイベントで有った。江戸末期が経済的にダメになった理由の一つが外国の侵略に備えるためにお金が掛かる参勤交代を辞めた事で多くの失業者が出たと思料する。経済で考える時代でなかったことが参勤交代の経済効果に目を向けるられなかったのは悲劇だと思われる。垣内教授は名主庄屋の次男坊との設定でストーリーが進められているが、江戸末期の江戸周辺の状況を知るには良い本であった。関家も大正時代に副業の養蚕の買い付けで失敗し多額の借金を抱えたが、親戚の名主庄屋が借金の肩代わりをしてくれたようだ。借財を返すために水戸徳川家の山林の管理を受託したと聞いており、他の山林管理者より多くの収入を水戸徳川家に齎したために当主であった水戸様からローマ法王に謁見した際に貰った銀時計を頂戴したらしい。らしいと言うのはその銀時計は祖父が満州に持参して戦後の引き上げ中に簒奪されてしまって当家にないからだ。

消費税に関する政治家の過去を省みない愚かさ

トランプ関税導入による企業の業績に対する影響や景気に対する先行き懸念から消費税比率の引き下げや食料品に対する暫定的な消費税の撤廃などが与野党を問わずに議論されている。今から30年以上前に竹下内閣時代に導入された消費税は3%でした。当社は5%以上の消費税の導入が議論されていましたが、国民の反発を考慮して結果的には3%で決着している。この時の議論が念頭にあって消費税の比率を議論すれば10%に上がった消費税について食料品に関しては除外されていた筈だ。世界各国で消費税なるものは導入されているが、殆んどの国では食料品に関しては課税されていない。日本でも当初の消費税導入時の議論では食料品に関しては除外対象であった。しかし、導入税率が予定していた比率より低かったので、将来の比率アップ時には食料品を除外することにして3%導入時には食料品にも課税された。それが消費税比率のアップ時に除外を検討されることなく今日の10%に到った。政治家もメディアも過去を見る視点に欠けているので話にならないが、財務官僚からすれば状況が変わったので食料品除外は10%でも無視して良いとの事だろうが、現行の消費税の仕組みの出鱈目さを見ると組織の劣化としか思われない。尤も、国民の多くが予算や国債の問題に無関心や間違った考え方をしている状況では無責任になっても仕方がないと考えているのかもしれない。政治家は過去以上に歴史を見て判断することが必要だが、小選挙区制度と世襲制度、更には政党助成金の導入により、小物化した政治家の集団になった政党には期待できないのが実情だ。

米価の上昇に関して

食管法により主食のコメを国が管理していたのを1995年に食管法を廃止し、食糧法を制定して民間主導の管理に移行し、コメの取り扱い業者を登録制にしたのは30年前のことでした。米は主食と言う言葉が独り歩きをして米価を低くしていたのは無策の農林水産省の役人と無能な政治家でした。食管法は戦後の食糧難に米の安定供給を考えてのことでしたが、消費者にはプラスに働いても生産者にとってはコメの価格と生産コストが見合わないと言う現象が生じました。本来は生産者にとってもプラスになる制度でしたが、現場の生産を知らないでの役人と政治家が考えた悪法と言えます。しかも消費者の生活スタイルの変化も考えないで米を主食と位置付けた考え方が定着して生産農家を苦しめました。米が主食と言うのは一汁一菜の時代の話であり、確かにその時代には大人一人が一年間に必要とする米は精米2俵(120kg)でしたので、家族4人(子ども二人)では年間7俵(480kg)を必要としました。米価が上昇前の価格は1俵約2万5千円ですので、年間のコメ購入価格は17万5千円になります。この金額を12ヶ月で割ると約1万5千円になります。家族4人の食費は月額約5万円とすれば、米の購入価格は30%となりますので主食と言っても間違いではないと思われます。しかし、現代の日本の4人家族の米の消費消費量は過去と違って大分減少しており、1ヶ月で5kg×2回=10kg程度で、年間購入量は10kg×12ヶ月=120kgです。この消費量は過去には大人一人が消費する量と言えます。その上、月額の食費に対する米の購入価格は約4千500円ですので何と9%の割合です。米は殆んどの栄養分が含まれており、不足分を大豆の栄養分で補強すれば十分と言われますが、現代の家庭では総菜などに必要以上にお金を使っていることが分かります。その様な状況の中で米の価格だけが生産コストと見合わない低い価格でこれ迄は推移して来ています。今回の米価の上昇でも生産コスト的には漸く作る価値が出て来た位で有り、米農家が米の生産だけでは生活できずに野菜や花の栽培で生活が出来ている現状を考えないと米の生産が増加するとは思われません。先ずは消費者に米の価格を低くしたいならば米を食べる量を増やす事と言えます。尤も、50年前に米の生産など崩壊してるのに何も手を打たないで半世紀も無駄にしている農林水産省など必要がない官庁と言えます。

黒川創氏の「ソウルの星」を読んで

朝鮮王朝から大韓民国、そして日本との統合の時代に朝鮮と関係が強い日本の作家と日本と関係がある朝鮮の作家のそれぞれの足跡を辿った読み物なのだが、全く時代背景は異なるものの、今回の米国のトランプ大統領の相互関税問題で直面した韓国が今後の生きる道として日本を選択せざる得ないのは歴史の皮肉と言える。日韓統合の前にも国内を二分した朝鮮内の争いは伊大統領の弾劾の是非による国内世論の分断と似ていると思わざるを得ない。勿論、過去の朝鮮王朝は清を宗主国としていたが、日清戦争後に朝鮮は独立国となったものの一本立ちが出来ないのでロシアと日本を天秤にかけた争いを展開した。日本の実情を調べて日本が当時の朝鮮を統合するのは軍事的にも財政的にも負担があることを見抜ければ、逆に日本を利用しての近代化を図ることが出来た。先に統合された台湾が良い事例であった。しかし、統合に消極的な伊藤博文が暗殺されたことにより、逆に統合の勢力が主導権を握って日本に否応なく属することになった。トランプ大統領の相互関税問題では、朝鮮半島は北朝鮮と韓国の二つに分かれており、大国になった中国とロシアが隣国に控えていることと、過去には朝鮮半島に無関心であった米国が世界平和の為に北朝鮮を懐柔したい米国の存在があることだ。北朝鮮は本音では中国と距離を置きたいので米国との交渉は望むところであり、現状はロシアと強力な同盟関係を締結したので、米国との交渉には第一次のトランプ政権時より有利な位置にある。尤も、北朝鮮との交渉では米国は日本の経済支援を前提にしており、韓国としても日本と足並みを揃えなければ北朝鮮に対して不利になる可能性がある。韓国としてはロシアとの関係は北朝鮮と軍事同盟を締結したので関係改善は難しく、更に中国に関しても米中対立で親密化を進めることは出来ないので、韓国の今後の選択肢は日本以外にないのである。幾ら北朝鮮と親密な韓国民主党でもロシアと軍事同盟し核を武装した北朝鮮に対しては経済力だけでは対等に交渉が出来ないのは自明であり、無理に接近すれば逆に飲み込まれるリスクがある。歴史は繰り返すと言う言葉があるが、全く同じに繰り返すのではなく、状況の類似性であり結果と思われる。戦後80年、日韓国交回復60年の節目に朝鮮半島を舞台に日韓の否応なしの接近が始まる。

天人「深代惇郎と新聞の時代」を読んで

朝日新聞の"天声人語"の執筆者として知られた方だが、私の家では読売新聞を購読していたので受験で上京するまで読んだことがなかった。高田馬場の下宿で同郷の下宿人と親しくなって受験生にとっては"天声人語"が必須であることを教わり、田舎で育った故の情報不足に愕然とした苦い思い出がある。最近、言葉や言語に興味を持ち、様々な切り口の本を読んでいるのだが、その関連本を渉猟している中で標題の本にであった。天声人語を書く編集者は名文家が多い中で、深代に関しては天人の呼称で呼ぶに相応しい執筆内容であったとのことだ。近年、デジタル時代になり理数科の分野に注力する時代になり、リベラルアーツは否定される声が聞かれるが、深代の天声人語は深い教養に裏打ちされた正にリベラルアーツが源泉となっている様だ。深代が書いた天声人語はその深み故に如何なる世代も同様に理解されるものではないと解されているが、そもそも言葉で書かれた全ての出版物は理解するのは同等の教養と年齢の経過が必要と思われる。太平洋戦争後80年になり、戦争の経験者が減少しているので殊更戦前戦中に育った人達の言葉を理解するのは難しくなっていると思われる。深代は海軍兵学校に入学し短期間とは言え軍人としての教育を受けている。また、戦後に入学して旧制高等学校の経験も有している。更に、朝日新聞に入り語学留学で英国で生活した他海外特派員時代も長い。国内外の多くの経験で培った人脈や情報も天人を形成する上で大きな財産であったと思われる。天声人語の様な限られた文字数で表現する編集物に関しては書き過ぎる懸念より書き足りなさの方が強いと思われるので、正に命を込めて書くと言った表現が正しいかもしれない。馬齢を重ねて考えるのは人の生命の長短は誰しもが何らかの意味を持ってこの世に出て来るのでありその目的を終えると寿命が尽きると言えそうだが、余りにも短い生命の終わりもあるので簡単に結論付けられない。しかし、深代の場合には余白を残して若くして旅ったので、誰しもが長く記憶に留める存在になったことは確かだ。天人の呼称も同様だろう。私にとっては天声人語は若い時の悔いと同義語になっている。

日本語について

最近は英語教育に何処も彼処も取り組んでいる。それ自体は私も別に否定はしないが、外国語と日本語と言う捉え方ではなく、日本語と英語を考えた場合にその違いに驚くと同時に日本の外交交渉、特に米国との交渉に言語の違いによる誤解が生じているのではないかと言う懸念が生じる。特に、カナダのケベックの大学で日本語を教えている日本人が書いた本「日本語に主語はいらない」と米国の出版会社が日本の小説家が書いた本を翻訳する場合の困難さを書いた本「日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題」を読んで考えさせられた。否、私がこの年までそれが分からなかったことの対する無知について考えさせられた。驚いたのは現在の学校教育の日本語の文法が明治期に英語の文法を土台して作られた事実だ。日本人として教育の場で日本語教育の文法を学ぶ過程で感じた違和感が思い出された。フランス語やイタリア語も主語を使わない習慣があるが、それは日本語と異なり動詞の変化の多様性で省略が可能なので有り、日本語に主語が要らないのは言葉の成り立ちからくるものであるからだ。翻訳に関する本では、日本語は自由自在過去現在未来を言葉の流れの中で使い、比喩や隠喩も多く使われるが、英語では過去や現在や未来に関して厳格なルールがあり、論理的な展開が求められる言語で有る為に日本の小説を原文のままに訳すと意味が通じないと指摘されていた。この為、相当な意訳や文面の省略が行われていることに愕然とした。明治以降の米国人の日本人観が二枚舌や狡賢いと言った見方は言語の本質的な違いから生じた誤解による可能性も否定できない様だ。米国人と中国人は日本人より信頼性が高いのは中国語が時制がないことはあるものの、日本語より中国語の方が米国人にとって分かり易いのかもしれない。そう言えば父の大学時代の同窓生が定年退職後に夢をかなえるために中国に行ったのだが、その時に中国語を学ぶ際に英語から中国語を学んだ方が分かり易いと言った話を聞いたことがある。子供の時から英語を学ぶと日本語から英語に翻訳する必要がなくなるから誤解のない会話が成立するかも知らないが、文化や宗教の違いからくる異文化の問題があるので、本当に互いに理解できる関係になるかどうかは難しいかもしれない。米国でトランプが再度大統領として就任するが、政治家としてではなくビジネスマンとしての発想で考える思考の持ち主の上、言葉の壁が立ちはだかるので、石破首相でなくても対等に渡り合うのは大変だと思ってしまう。

過去から未来を考える

大正時代に来日(1917年)し、その後短期間で中国を旅する予定の米国人夫妻が中国に魅了され、1年間滞在した時の母国の家族などに出した手紙を著作にした本を読んだ。当時の米国大統領はウイルソン。米国人の男性はコロンビア大学の哲学学科教授のデューイと妻のアリス。デューイは米国のプラグマティズムの哲学者でしたので、日本や中国に対する視点も文化以外では効率や生産性などに重きが置かれている。日本に居た時の手紙では西欧式近代化に向けて頑張っている事に関する視点がなく、日本人の挨拶や行儀、歴史的な建物に対する興味などが主たるものであった。政治的には朝鮮に対する日本の支配に対して批判的に書いていた。一転して中国に対しては当時の中国人に対する不衛生に対しては文化として批判的には捉えていない上、将来的には恐るべき国になることを予見している。中国滞在時の日本に対しては軍閥と手を組んで中国の市場を奪っているとし、更に日本商品の粗悪品が流通している点を憂いている。中国製品に関しては古美術品を評価し、素晴らしい製品も作られていると賛辞している。デューイは日本を訪問して米国と日本が将来的な軍事対立が避けられないことを強く感じた様だ。手紙では英国にも言及しており、英国は中国に対して関心が薄く、インドの支配に重点を置いているとし、中国は日本や欧米からの留学生の帰国者が民主主義国家を作る為に行動を起こしており、兵隊もその行動を支持して来ていると書いている。以前に読んだ米国のアジア史において米国は民主主義を拡大することを米国企業進出と相俟って目指していることが書かれていた。その背景には、デューイの様な学者の見解があり、将来的に巨大な市場になる中国を自由市場にして西欧に背を向けた米国の国力増進に寄与させる意図があったと思われる。日本は豊かな米国が中国をターゲットにしていることを考えもしないで、日本の生命線として中国を外国の勢力の干渉外に置く政策を進めていた。デューイには日本は人工的に無理して物事を進めているので何れは破綻すると見ていた。米国人の多くが中国や中国人に対し好意を持ち、日本に対しては狡賢い二枚舌の国民と見ていたことが分かった。この悲劇が日米の和平交渉の中でルーズベルト大統領とハル国務長官が日本人に対して似たような感想を持っていたことが戦争を避けられないものとした。時間が大分過ぎた戦後の米中国交回復に当たったニクソンの側近のキシンジャーが同様の考えの持ち主だった。その様な思想が今の米中対立を起こしたのは笑える話だ。勿論、米中対立で日本が考える必要があるのは中国が米国に対して対抗心を持たなければ米国と中国は相思相愛の関係に戻るリスクだ。習近平が何故米国に対抗する意志を持ったのかは不明だが、習近平が退陣すれば鄧小平の言葉である「米国と対立するな」が蘇る。今のマスメディアは戦前の大日本帝国陸海軍に中国進出を煽った様に反中国を叫んでいるが、過去の出来事と米国人の日本人に対する見方を考えて中国政策に対しては米中対立の先兵にならないで慎重に動くことが重要と示唆している。

"企業は人なり"で考えるあれこれ

"企業は人なり"は経営の神様と言われた松下幸之助の言葉と言われる。確かに、米国企業のGEやインテルが過去の危機を乗り越えた教訓が活かされないのを見るにつけサクセッションの難しさと成功体験の呪縛の強さを改めて思い知らされる。良く考えるとどの世界でも人によって左右されるので企業に限定するのは狭義と言える。尤も、政治の世界の様にトップに立つのは実力だけでなく、時の運が必要なのは企業とは別と考えるが、過去においては企業でも甲乙付きがたい人物を後継社長に選んだ際はその人の持っている運を優先して決めたことを聞いたことがある。勿論、どの世界でも一人の力で何事も出来る訳ではなく、組織的に人を動かせて初めて成功することは自明だ。人を動かすには"相手の立場や気持ちを理解する"、"誠実で率直な評価を与える"、"重量感を持たせる、"相手を批判や非難せず、苦情も言わない"と言うカーネギーの教えが有名だ。新自由主義も行き過ぎた競争社会を作り出したために人的資本が蔑ろにされた反省から今、人的資本について成長する企業評価に取り入れている。情報化社会になりSNSなどによる他者との交流と好みの有った人達だけでグループを作る傾向があるためにフェイスツーフェイスのコミュニケーション能力が過去に比べて落ちているとの記事を目にする。確かに、隣の人に直接会話せずにチャットなどで遣り取りする時代なので、見える相手に話しかける能力が低下しているのは本当だろう。私自身も電話で話すよりチャットやメールなどで他者との遣り取りを好むが、それは言葉で伝える難しさを痛感しているからだ。同じ言葉でも地域文化などが異なると微妙に受けとり方が違う。関西人は馬鹿と言われるよりアホと言われる方が頭にくることを聞いたことがある。私の出身地の茨城県北部では馬鹿野郎と言う言葉を使うが、この言葉も怒った時に使う場合と冗談で使う場合とがあり、口調の強さやイントネーションの違いで使い分けするが、他地域の人にとっては両方とも同じに非難されたと受け取ると思われる。その他に方言も多少残されており、私が長い間気が付かないで使っていた言葉に「明日明後日(あしたあさって)」があり、私の感覚では「明後日」だが、他の地域の人達には「明日」と「明後日」の両日の意味とも取れる曖昧さがあることが分かった。実は「一昨日(おととい)」も「昨日一昨日(きのうおととい)」と表現する。人から何故その様な無駄な言葉を繋げるのかと言われた際には英語表現と同じだとやり返す。英語では明後日「The Day After Tomorrow」、一昨日「The Day Before Yesterday」のこじ付けだが、それを言うと笑って反論しなくなる。また、私の場合には「もっと」を「まっと」として使うのだが、これも前後の使い方で分かるからか長い間、誰にも指摘されないで来た。更に、私の場合は話すときに端折るので分かり難いと言われたことがある。人によっては何を言ってるのか分からないらしい。この年になっては変えられないので、何を言われようが使い続けるしかないが、この事が電話よりチャットなどを好む理由だ。情報化の社会では動画や画像の方が意味を伝えやすいと指摘されており、情報化の社会になり過剰のデータを吸収しなければならないので、脳は動画や画像の方が記憶に留め易いのかもしれない。昔に紙芝居があった。画像を言葉で表現するだが、妙に記憶に残っている。情報化の時代では人を動かすには米国の大学の授業の様に対話式が有効であり、それに動画や画像を取り入れると効果が上がるのかもしれない。考えると人間は話すより見ることの方が早かったのは歴史的な事実であり、改めて"百聞は一見に如かず"の諺が思い浮かぶ。新しい酒は新しい器に入れるの表現どおり、新しい時代には新しい方法で人を育てるのが必要なのかもしれない。

文芸春秋11月号のロッキード事件に関する記事を読んで

ロッキード事件から50年(半世紀)目に文芸春秋がロッキード事件を新たな視点で再取材した記事を掲載した。今、田中角栄を再評価する動きがあり、その中での50年前の再検証とも思われた。当時の文芸春秋には田中角栄に対する記事として二本掲載された。一つが立花隆が書いた「田中角栄の金脈」、二つが児玉隆也が書いた「」寂しき越山会の女王」である。当時は田中角栄がロッキード事件で首相を辞めたのは米国の怒りを招いたからとの風説が流れた。その理由として「メジャーに挑戦する石油開発」と「中国との国交回復」であった。しかし、今回の記事ではそれを否定する内容に辿り着いたものの、ロッキード事件の背景に関しては答えが見つからなかった様だ。もっとも、ロッキード事件の疑惑事件は2件があり、巨額な自衛隊が購入したPC哨戒機の疑獄事件に関しては検察庁は蓋を閉じてそれより金額が小さい民間企業の全日空のトライスターだけを追求した件は今回の記事の目玉になるのだろう。そもそもソ連との冷戦時に日本に潜水艦用の哨戒機を買わせて極東のソ連の動きを封じ込めたい米国がロッキード事件などを起こして田中角栄を首相の座から降ろすことを考えることは無いはずだ。ロッキード事件が起きて驚いたのは米国も同様であったと推測される。田中角栄は当然にP3哨戒機の導入にも絡んでいたと推測出来るので、今回の事件が米国の差し金でない事は気づいていたと思われる。今回の文芸春秋では当時ロッキード事件を担当した特捜部副部長であった堀田力検事の主たる証言に基づいているが、堀田自身が上からの指示でロッキード事件では防衛庁のP3哨戒機に関しては取り上げないで全日空のトライスターだけを捜査対象にすることにした事を述べているので分かり易い。特に、米国の捜査が全日空のトライスターだけを前提に米国政府から認められたこともあり、堀田検事自身は納得してのものと推測される。話は逸れる韓国ドラマなどでは検察と警察の対立が描かれているが、日本も当時は田中角栄が警察長官であった後藤田正治を引き入れて警察を間接支配していた。一方、検察庁は大蔵官僚出身の福田赳夫の影響力が強かった。日本でも警察と検察は一体ではなかった。ロッキード事件の原因は参議院選挙に遡ることになる。それは福田派として全国区から出馬した糸山英太郎候補に対して田中角栄と後藤田正治が警察を動かして選挙違反で追い込む作戦を仕掛けたことに起因する。意図的強引に選挙違反の検挙に警察が動いたのが功を奏して糸山英太郎の妻の父親である笹川了平を選挙違反で逮捕することが出来た。田中角栄と後藤田正治が目論んだのは選挙違反を理由に笹川良一が支配する船舶振興会の乗っ取りであった。しかし、笹川良一は田中角栄や後藤田正治が考えていた以上に怪物であった。笹川良一は田中角栄に対する怒りで首相の地位を引き摺り降ろすことを計画して米国で動いてロッキード疑獄事件を起こさせたのが事実だ。この田中失脚計画は当然に福田も承知していたと推測される。堀田が指摘していた様に田中角栄は金で人を動かすことの危うさがあり、笹川が計画通りに首相退陣に追い込めた訳だ。田中角栄は首相退陣後も派閥を維持して権力を維持したが、大部分は裁判の対策に追われて二度と船舶振興会の乗っ取りを図ることはなかった様だ。ロッキード事件が笹川が起こしたことを田中角栄と後藤田正治が知ったかどうかは不明だが、ロッキード疑獄が防衛庁のP3哨戒機に波及しなかったのは米国の圧力であったことは知ったと推測できる。勿論、笹川良一がロッキード事件を起こした証拠を見つけるのは難しく今後とも記事にされることはないと思うので、50年の節目でロッキード事件を取り上げた文芸春秋も謎として扱うのが精いっぱいであろう。田中角栄待望論が出ているが、堀田検事が憂いた様に官僚に金を味わせて堕落させた事実一つとっても評価してはならない人物だ。

低金利の弊害

経済理論の有効性に疑問が持たれている昨今だが、日本経済が低迷している原因の一つには低金利政策であると断言できる。今後に金利の上昇を見込むと言っても膨大な赤字国債を考えると過去の様な金利高にはなり難いと思われる。現在の国債発行残高1000兆円、地方債200兆円を含めると1200兆円の残高になる。国家だけを考えても金利が1%上がると10兆円の利息が増加する勘定だ。国家の税収は72兆円だが、国債の元利返済額は約24兆円なので、実際には48兆円しか事業費等に使えない。実に33%強が国債の元利返済に充当されているので、サラ金財政と揶揄される現象となっている。もっとも、この様に悲観的な言動を採ると、国家の貸借対照表を見れば相当の資産があるので、税収が減少して予算が組めなくなる時には資産の売却をすれば問題ないと暴言を吐く者がいる。企業で考えれば理解できることであるが、売上が減少して借金が出来なくなったり、返せなくなった時に資産を売却する場合、遊休資産ばかりではないので、資産の売却後に賃借して土地建物を借りる(リースバック)ことになり、その経費負担は軽く無いはずだ。国が道路や橋梁などを売却したならば購入した企業は通行料を取って資金を回収するので国民の負担になり、国有資産の売却など簡単には出来ない事が分かることだ。長々と国家の問題を書いたが、低金利政策は企業にとっても事業推進に際して甘い査定になっている。驚くことに、多くの企業の国内の事業収支表に金利負担部分が抜けており、資金をタダで借り入れての組み立てとなっている。多くの資金が必要な不動産会社もマンション分譲に際しては青田売り的な発想はない。金利が安いので、竣工後に売れ残りが生じても慌てない。この為、過去の様にモデルハウスを造って青田売りなど行う会社はいない。金利負担よりモデルハウスの構築の方が高くつくからである。国家、地方自治体、企業も含めて金利が上昇すればどうなるかは自明だ。日本はアベノミクスで多くの資金を市中に投入したが、それでもデフレから大幅なインフレに転ずることななかった。金利が0に近いお金など市中に増やしても金の価値が下がらないのだ。経済学者は市中に大量な金を投入してもデフレからインフレにならなかった理由を参照点依存性などにより説明しようとしているが、結果に理屈を当て嵌めているので本末転倒の様にも思われる。何れにしても低金利でマヒした日本人社会なので、金利が急激に上昇すれば天と地が引っ繰り返る様な騒ぎになると思われる。

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