朝日新聞の"天声人語"の執筆者として知られた方だが、私の家では読売新聞を購読していたので受験で上京するまで読んだことがなかった。高田馬場の下宿で同郷の下宿人と親しくなって受験生にとっては"天声人語"が必須であることを教わり、田舎で育った故の情報不足に愕然とした苦い思い出がある。最近、言葉や言語に興味を持ち、様々な切り口の本を読んでいるのだが、その関連本を渉猟している中で標題の本にであった。天声人語を書く編集者は名文家が多い中で、深代に関しては天人の呼称で呼ぶに相応しい執筆内容であったとのことだ。近年、デジタル時代になり理数科の分野に注力する時代になり、リベラルアーツは否定される声が聞かれるが、深代の天声人語は深い教養に裏打ちされた正にリベラルアーツが源泉となっている様だ。深代が書いた天声人語はその深み故に如何なる世代も同様に理解されるものではないと解されているが、そもそも言葉で書かれた全ての出版物は理解するのは同等の教養と年齢の経過が必要と思われる。太平洋戦争後80年になり、戦争の経験者が減少しているので殊更戦前戦中に育った人達の言葉を理解するのは難しくなっていると思われる。深代は海軍兵学校に入学し短期間とは言え軍人としての教育を受けている。また、戦後に入学して旧制高等学校の経験も有している。更に、朝日新聞に入り語学留学で英国で生活した他海外特派員時代も長い。国内外の多くの経験で培った人脈や情報も天人を形成する上で大きな財産であったと思われる。天声人語の様な限られた文字数で表現する編集物に関しては書き過ぎる懸念より書き足りなさの方が強いと思われるので、正に命を込めて書くと言った表現が正しいかもしれない。馬齢を重ねて考えるのは人の生命の長短は誰しもが何らかの意味を持ってこの世に出て来るのでありその目的を終えると寿命が尽きると言えそうだが、余りにも短い生命の終わりもあるので簡単に結論付けられない。しかし、深代の場合には余白を残して若くして旅ったので、誰しもが長く記憶に留める存在になったことは確かだ。天人の呼称も同様だろう。私にとっては天声人語は若い時の悔いと同義語になっている。
日本語について
最近は英語教育に何処も彼処も取り組んでいる。それ自体は私も別に否定はしないが、外国語と日本語と言う捉え方ではなく、日本語と英語を考えた場合にその違いに驚くと同時に日本の外交交渉、特に米国との交渉に言語の違いによる誤解が生じているのではないかと言う懸念が生じる。特に、カナダのケベックの大学で日本語を教えている日本人が書いた本「日本語に主語はいらない」と米国の出版会社が日本の小説家が書いた本を翻訳する場合の困難さを書いた本「日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題」を読んで考えさせられた。否、私がこの年までそれが分からなかったことの対する無知について考えさせられた。驚いたのは現在の学校教育の日本語の文法が明治期に英語の文法を土台して作られた事実だ。日本人として教育の場で日本語教育の文法を学ぶ過程で感じた違和感が思い出された。フランス語やイタリア語も主語を使わない習慣があるが、それは日本語と異なり動詞の変化の多様性で省略が可能なので有り、日本語に主語が要らないのは言葉の成り立ちからくるものであるからだ。翻訳に関する本では、日本語は自由自在過去現在未来を言葉の流れの中で使い、比喩や隠喩も多く使われるが、英語では過去や現在や未来に関して厳格なルールがあり、論理的な展開が求められる言語で有る為に日本の小説を原文のままに訳すと意味が通じないと指摘されていた。この為、相当な意訳や文面の省略が行われていることに愕然とした。明治以降の米国人の日本人観が二枚舌や狡賢いと言った見方は言語の本質的な違いから生じた誤解による可能性も否定できない様だ。米国人と中国人は日本人より信頼性が高いのは中国語が時制がないことはあるものの、日本語より中国語の方が米国人にとって分かり易いのかもしれない。そう言えば父の大学時代の同窓生が定年退職後に夢をかなえるために中国に行ったのだが、その時に中国語を学ぶ際に英語から中国語を学んだ方が分かり易いと言った話を聞いたことがある。子供の時から英語を学ぶと日本語から英語に翻訳する必要がなくなるから誤解のない会話が成立するかも知らないが、文化や宗教の違いからくる異文化の問題があるので、本当に互いに理解できる関係になるかどうかは難しいかもしれない。米国でトランプが再度大統領として就任するが、政治家としてではなくビジネスマンとしての発想で考える思考の持ち主の上、言葉の壁が立ちはだかるので、石破首相でなくても対等に渡り合うのは大変だと思ってしまう。
過去から未来を考える
大正時代に来日(1917年)し、その後短期間で中国を旅する予定の米国人夫妻が中国に魅了され、1年間滞在した時の母国の家族などに出した手紙を著作にした本を読んだ。当時の米国大統領はウイルソン。米国人の男性はコロンビア大学の哲学学科教授のデューイと妻のアリス。デューイは米国のプラグマティズムの哲学者でしたので、日本や中国に対する視点も文化以外では効率や生産性などに重きが置かれている。日本に居た時の手紙では西欧式近代化に向けて頑張っている事に関する視点がなく、日本人の挨拶や行儀、歴史的な建物に対する興味などが主たるものであった。政治的には朝鮮に対する日本の支配に対して批判的に書いていた。一転して中国に対しては当時の中国人に対する不衛生に対しては文化として批判的には捉えていない上、将来的には恐るべき国になることを予見している。中国滞在時の日本に対しては軍閥と手を組んで中国の市場を奪っているとし、更に日本商品の粗悪品が流通している点を憂いている。中国製品に関しては古美術品を評価し、素晴らしい製品も作られていると賛辞している。デューイは日本を訪問して米国と日本が将来的な軍事対立が避けられないことを強く感じた様だ。手紙では英国にも言及しており、英国は中国に対して関心が薄く、インドの支配に重点を置いているとし、中国は日本や欧米からの留学生の帰国者が民主主義国家を作る為に行動を起こしており、兵隊もその行動を支持して来ていると書いている。以前に読んだ米国のアジア史において米国は民主主義を拡大することを米国企業進出と相俟って目指していることが書かれていた。その背景には、デューイの様な学者の見解があり、将来的に巨大な市場になる中国を自由市場にして西欧に背を向けた米国の国力増進に寄与させる意図があったと思われる。日本は豊かな米国が中国をターゲットにしていることを考えもしないで、日本の生命線として中国を外国の勢力の干渉外に置く政策を進めていた。デューイには日本は人工的に無理して物事を進めているので何れは破綻すると見ていた。米国人の多くが中国や中国人に対し好意を持ち、日本に対しては狡賢い二枚舌の国民と見ていたことが分かった。この悲劇が日米の和平交渉の中でルーズベルト大統領とハル国務長官が日本人に対して似たような感想を持っていたことが戦争を避けられないものとした。時間が大分過ぎた戦後の米中国交回復に当たったニクソンの側近のキシンジャーが同様の考えの持ち主だった。その様な思想が今の米中対立を起こしたのは笑える話だ。勿論、米中対立で日本が考える必要があるのは中国が米国に対して対抗心を持たなければ米国と中国は相思相愛の関係に戻るリスクだ。習近平が何故米国に対抗する意志を持ったのかは不明だが、習近平が退陣すれば鄧小平の言葉である「米国と対立するな」が蘇る。今のマスメディアは戦前の大日本帝国陸海軍に中国進出を煽った様に反中国を叫んでいるが、過去の出来事と米国人の日本人に対する見方を考えて中国政策に対しては米中対立の先兵にならないで慎重に動くことが重要と示唆している。
"企業は人なり"で考えるあれこれ
"企業は人なり"は経営の神様と言われた松下幸之助の言葉と言われる。確かに、米国企業のGEやインテルが過去の危機を乗り越えた教訓が活かされないのを見るにつけサクセッションの難しさと成功体験の呪縛の強さを改めて思い知らされる。良く考えるとどの世界でも人によって左右されるので企業に限定するのは狭義と言える。尤も、政治の世界の様にトップに立つのは実力だけでなく、時の運が必要なのは企業とは別と考えるが、過去においては企業でも甲乙付きがたい人物を後継社長に選んだ際はその人の持っている運を優先して決めたことを聞いたことがある。勿論、どの世界でも一人の力で何事も出来る訳ではなく、組織的に人を動かせて初めて成功することは自明だ。人を動かすには"相手の立場や気持ちを理解する"、"誠実で率直な評価を与える"、"重量感を持たせる、"相手を批判や非難せず、苦情も言わない"と言うカーネギーの教えが有名だ。新自由主義も行き過ぎた競争社会を作り出したために人的資本が蔑ろにされた反省から今、人的資本について成長する企業評価に取り入れている。情報化社会になりSNSなどによる他者との交流と好みの有った人達だけでグループを作る傾向があるためにフェイスツーフェイスのコミュニケーション能力が過去に比べて落ちているとの記事を目にする。確かに、隣の人に直接会話せずにチャットなどで遣り取りする時代なので、見える相手に話しかける能力が低下しているのは本当だろう。私自身も電話で話すよりチャットやメールなどで他者との遣り取りを好むが、それは言葉で伝える難しさを痛感しているからだ。同じ言葉でも地域文化などが異なると微妙に受けとり方が違う。関西人は馬鹿と言われるよりアホと言われる方が頭にくることを聞いたことがある。私の出身地の茨城県北部では馬鹿野郎と言う言葉を使うが、この言葉も怒った時に使う場合と冗談で使う場合とがあり、口調の強さやイントネーションの違いで使い分けするが、他地域の人にとっては両方とも同じに非難されたと受け取ると思われる。その他に方言も多少残されており、私が長い間気が付かないで使っていた言葉に「明日明後日(あしたあさって)」があり、私の感覚では「明後日」だが、他の地域の人達には「明日」と「明後日」の両日の意味とも取れる曖昧さがあることが分かった。実は「一昨日(おととい)」も「昨日一昨日(きのうおととい)」と表現する。人から何故その様な無駄な言葉を繋げるのかと言われた際には英語表現と同じだとやり返す。英語では明後日「The Day After Tomorrow」、一昨日「The Day Before Yesterday」のこじ付けだが、それを言うと笑って反論しなくなる。また、私の場合には「もっと」を「まっと」として使うのだが、これも前後の使い方で分かるからか長い間、誰にも指摘されないで来た。更に、私の場合は話すときに端折るので分かり難いと言われたことがある。人によっては何を言ってるのか分からないらしい。この年になっては変えられないので、何を言われようが使い続けるしかないが、この事が電話よりチャットなどを好む理由だ。情報化の社会では動画や画像の方が意味を伝えやすいと指摘されており、情報化の社会になり過剰のデータを吸収しなければならないので、脳は動画や画像の方が記憶に留め易いのかもしれない。昔に紙芝居があった。画像を言葉で表現するだが、妙に記憶に残っている。情報化の時代では人を動かすには米国の大学の授業の様に対話式が有効であり、それに動画や画像を取り入れると効果が上がるのかもしれない。考えると人間は話すより見ることの方が早かったのは歴史的な事実であり、改めて"百聞は一見に如かず"の諺が思い浮かぶ。新しい酒は新しい器に入れるの表現どおり、新しい時代には新しい方法で人を育てるのが必要なのかもしれない。
文芸春秋11月号のロッキード事件に関する記事を読んで
ロッキード事件から50年(半世紀)目に文芸春秋がロッキード事件を新たな視点で再取材した記事を掲載した。今、田中角栄を再評価する動きがあり、その中での50年前の再検証とも思われた。当時の文芸春秋には田中角栄に対する記事として二本掲載された。一つが立花隆が書いた「田中角栄の金脈」、二つが児玉隆也が書いた「」寂しき越山会の女王」である。当時は田中角栄がロッキード事件で首相を辞めたのは米国の怒りを招いたからとの風説が流れた。その理由として「メジャーに挑戦する石油開発」と「中国との国交回復」であった。しかし、今回の記事ではそれを否定する内容に辿り着いたものの、ロッキード事件の背景に関しては答えが見つからなかった様だ。もっとも、ロッキード事件の疑惑事件は2件があり、巨額な自衛隊が購入したPC哨戒機の疑獄事件に関しては検察庁は蓋を閉じてそれより金額が小さい民間企業の全日空のトライスターだけを追求した件は今回の記事の目玉になるのだろう。そもそもソ連との冷戦時に日本に潜水艦用の哨戒機を買わせて極東のソ連の動きを封じ込めたい米国がロッキード事件などを起こして田中角栄を首相の座から降ろすことを考えることは無いはずだ。ロッキード事件が起きて驚いたのは米国も同様であったと推測される。田中角栄は当然にP3哨戒機の導入にも絡んでいたと推測出来るので、今回の事件が米国の差し金でない事は気づいていたと思われる。今回の文芸春秋では当時ロッキード事件を担当した特捜部副部長であった堀田力検事の主たる証言に基づいているが、堀田自身が上からの指示でロッキード事件では防衛庁のP3哨戒機に関しては取り上げないで全日空のトライスターだけを捜査対象にすることにした事を述べているので分かり易い。特に、米国の捜査が全日空のトライスターだけを前提に米国政府から認められたこともあり、堀田検事自身は納得してのものと推測される。話は逸れる韓国ドラマなどでは検察と警察の対立が描かれているが、日本も当時は田中角栄が警察長官であった後藤田正治を引き入れて警察を間接支配していた。一方、検察庁は大蔵官僚出身の福田赳夫の影響力が強かった。日本でも警察と検察は一体ではなかった。ロッキード事件の原因は参議院選挙に遡ることになる。それは福田派として全国区から出馬した糸山英太郎候補に対して田中角栄と後藤田正治が警察を動かして選挙違反で追い込む作戦を仕掛けたことに起因する。意図的強引に選挙違反の検挙に警察が動いたのが功を奏して糸山英太郎の妻の父親である笹川了平を選挙違反で逮捕することが出来た。田中角栄と後藤田正治が目論んだのは選挙違反を理由に笹川良一が支配する船舶振興会の乗っ取りであった。しかし、笹川良一は田中角栄や後藤田正治が考えていた以上に怪物であった。笹川良一は田中角栄に対する怒りで首相の地位を引き摺り降ろすことを計画して米国で動いてロッキード疑獄事件を起こさせたのが事実だ。この田中失脚計画は当然に福田も承知していたと推測される。堀田が指摘していた様に田中角栄は金で人を動かすことの危うさがあり、笹川が計画通りに首相退陣に追い込めた訳だ。田中角栄は首相退陣後も派閥を維持して権力を維持したが、大部分は裁判の対策に追われて二度と船舶振興会の乗っ取りを図ることはなかった様だ。ロッキード事件が笹川が起こしたことを田中角栄と後藤田正治が知ったかどうかは不明だが、ロッキード疑獄が防衛庁のP3哨戒機に波及しなかったのは米国の圧力であったことは知ったと推測できる。勿論、笹川良一がロッキード事件を起こした証拠を見つけるのは難しく今後とも記事にされることはないと思うので、50年の節目でロッキード事件を取り上げた文芸春秋も謎として扱うのが精いっぱいであろう。田中角栄待望論が出ているが、堀田検事が憂いた様に官僚に金を味わせて堕落させた事実一つとっても評価してはならない人物だ。
低金利の弊害
経済理論の有効性に疑問が持たれている昨今だが、日本経済が低迷している原因の一つには低金利政策であると断言できる。今後に金利の上昇を見込むと言っても膨大な赤字国債を考えると過去の様な金利高にはなり難いと思われる。現在の国債発行残高1000兆円、地方債200兆円を含めると1200兆円の残高になる。国家だけを考えても金利が1%上がると10兆円の利息が増加する勘定だ。国家の税収は72兆円だが、国債の元利返済額は約24兆円なので、実際には48兆円しか事業費等に使えない。実に33%強が国債の元利返済に充当されているので、サラ金財政と揶揄される現象となっている。もっとも、この様に悲観的な言動を採ると、国家の貸借対照表を見れば相当の資産があるので、税収が減少して予算が組めなくなる時には資産の売却をすれば問題ないと暴言を吐く者がいる。企業で考えれば理解できることであるが、売上が減少して借金が出来なくなったり、返せなくなった時に資産を売却する場合、遊休資産ばかりではないので、資産の売却後に賃借して土地建物を借りる(リースバック)ことになり、その経費負担は軽く無いはずだ。国が道路や橋梁などを売却したならば購入した企業は通行料を取って資金を回収するので国民の負担になり、国有資産の売却など簡単には出来ない事が分かることだ。長々と国家の問題を書いたが、低金利政策は企業にとっても事業推進に際して甘い査定になっている。驚くことに、多くの企業の国内の事業収支表に金利負担部分が抜けており、資金をタダで借り入れての組み立てとなっている。多くの資金が必要な不動産会社もマンション分譲に際しては青田売り的な発想はない。金利が安いので、竣工後に売れ残りが生じても慌てない。この為、過去の様にモデルハウスを造って青田売りなど行う会社はいない。金利負担よりモデルハウスの構築の方が高くつくからである。国家、地方自治体、企業も含めて金利が上昇すればどうなるかは自明だ。日本はアベノミクスで多くの資金を市中に投入したが、それでもデフレから大幅なインフレに転ずることななかった。金利が0に近いお金など市中に増やしても金の価値が下がらないのだ。経済学者は市中に大量な金を投入してもデフレからインフレにならなかった理由を参照点依存性などにより説明しようとしているが、結果に理屈を当て嵌めているので本末転倒の様にも思われる。何れにしても低金利でマヒした日本人社会なので、金利が急激に上昇すれば天と地が引っ繰り返る様な騒ぎになると思われる。
素晴らしい人生
工事用写真のソフトを販売していた会社の代表から今後は無料に致しますとメールが届いた。無料化のご挨拶には1940年生まれで高齢になったのでと書いてあり、更に今後10年は無料ソフトのメンテナンスを続けるとの事でした。人生の余白をボランティア精神で生きることに素晴らしい人生と思いました。単に仕事を辞めるのではなく、人生を有意義に送る為に仕事を続けるが、それは利益の為ではなく、精神的な健康を維持する為に行う生き方は意味があると思われます。勿論、誰しもが出来ることではなくソフトの無形資産があったからこそですが、社会に必要とされるボランティア活動に従事することも人生的には素晴らしいと思われます。尤も、高齢になってボランティア活動が出来るのは生活に余裕があってのことですので、自分自身の為に生ききることも素晴らしい人生には違いはありません。今の世の中は子供の頃から投資の方法を教えてお金中心主義になっています。その理由は経済成長と労働人口の増加を前提とした年金制度が低成長と少子高齢化社会になり維持できなくなるので、自分の老後を豊かに送りたいならば株式投資などを行えと言うことだ。健全なる精神はある程度の豊かさが必要なのは古来から指摘されているが、子供時代から投資の方法を教えるのが健全な社会を作ることになるとは思えない。国家百年の大計を考えない政治家や官僚や経済人などが現況の社会を作ったのだが、その反省もなくして良い国家社会など造れる筈もない。立憲民主党の野田代表が貧しい人を救済するのではなく、貧しい人を作らない社会を作ると宣言したが、ベーシックインカムを導入するしか実現はしない政策だ。そうとすれば財源が問題になる。サラ金財政を続ける日本がベーシックインカムを行う財源などないのは自明だ。しかし、未来社会でAIやロボットが主要な労働源なるならばAI利用税やロボット利用税を設けてベーシックインカム制度を構築することは出来るかもしれないが、未だ夢物語だ。自民党の総裁選の候補も何れも大局観を持った発言をしていない。部分最適な話ばかりだ。政治家が官僚の様な発想になって久しいが、政治家のサラリーマン化は豊富な政治資金の為だ。豊富な政治資金を貰っている上に更に政治資金パーティで稼いでいる姿は詐欺師のパーティと同様だ。更に、小選挙区制度が小粒の政治家を生み出すマシンと比例代表制度が政治不信の温床だ。ソフト販売会社の社長のソフト無料化による素晴らしい人生をメールで見た後に政治家を見ると情けなくなる。
未来が予想できない時代
驚くべき新技術が開発され、2025年にはシンギュラリティも現実味が帯びてきているにも拘わらず、誰も確かな未来がイメージされないと言われている。このことは理論と実践から生じる仕方がない現象とも言える。現在の社会は机上の理論で構築されているので、物づくりの様に試行錯誤の結果に基づくものではないからだ。日本の少子化について問われれば色々な意見があるだろうが、少子化の方程式を見るにはお隣の韓国が参考になる。韓国は軍事政権時代に日本をモデルにして経済成長を推進して来た。しかし、軍事政権が倒れ、民主政権が生まれてから強力なトップダウンの政治体制がなくなり、アジア通貨危機に陥り、IMFの救済によって経済の再生を果たしたと巷間には言われている。確かに、為替は別にすれば日本がバブル経済崩壊後にデフレ経済に陥っている間に韓国は日本に追いつき、追い抜いた様な経済成長を遂げている。市場開放と生産性と効率性を要求するIMFプログラムを進めた結果、国家全体は豊かになったかもしれないが、そこには人の存在が考慮されていないプログラムであった故に急激な少子化に陥っている。日本も小泉内閣が発足し構造改革と称する似非の改革を進めた結果、少子高齢化の社会となり、韓国と同様に少子化の勢いが止まらない。少子化の責任は経済産業省の官僚と経済界にある。日本の大企業に関しては労働生産性の低い工場は海外に多くは移転しているので、非正規雇用によって景気に対する生産調整を行う必要はなかったのである。自動車会社の為に非正規雇用を採用したとも推定される。当時、大企業は国内に投資案件がなく、徒に現金・資産を溜め込んでいたのが、新時代の総会屋のアクティビストファンドに狙われた。馬鹿な話である。韓国が先行している少子化を日本が後追いしているのだが、非正規雇用が結婚をしない人達を作りだし、結婚しても教育費の高さから子供を一人とする夫婦が多い為に少子化が止まらないのだ。枝葉末節な対策で少子化を止めようとしても地方が疲弊した原因である工場の減少や鉄道の廃線などによる市街地化の空洞を等閑にして無駄な事と思われる。物理空間とバーチャル空間の両立の動きが出て来ているが、それ以前に地方に関係人口を増やすアクションプログラムも進められているにしても未来社会とは考えられない。AIと物理空間とバーチャル空間の融合、人型ロボットの機能やコストの低下、自動運転の一般化などが進んだ場合に現在の社会がどの様に変わるかが想像できない難しさがある。政治とは百年の大計を考えてのことと古来は言われたが、今の政治を見る限り、目先の対応で精いっぱいの様だ。理由は今の社会が豊かになった故の停滞と同様に政治家に多くの金を与えたのが未来志向の政治家がいなくなり、選挙対策の目先のバラマキ政治となってしまった。田中角栄の金権政治の脱却を目指して作られた政治制度が皮肉にも無能な政治家を作り出した。この事を考えると今の技術開発の影響による未来など想像出来ないのは当然とも言える。
武満徹の評伝(音楽創造への旅)を読んで
現代音楽作曲家の武満徹の評伝を読んだ。立花隆が書いたものだが、立花も武満とのインタビューで興味を深めて長い連載を行ったが、途中で武満氏が亡くなった為に単行本の出版が留保されていた様だ。しかし立花は一緒にインタビューの編集に携わった身近な人の死とその人の意志と考えてインタビュー出来なかった部分に関しては武満氏が多くの誌面で語った内容を踏まえて纏めた様だ。しかし、評伝を読んで驚いたのは武満氏は音楽家でありながら哲学家とも思える人だったことだ。評伝のタイトルになっている「音楽創造への旅」は多く才能ある世界中の有名人との出会いも書かれており、豊かな才能同士が触発されて成長し、創造力を生み出すことが理解できた。それにしても、正規な音楽を学ばずに独学で音楽の道に進み、邦楽や西欧音楽のクラシックを学ばずにいきなり現代音楽から入ったことが書かれていたが、人生の後半から邦楽、アジア音楽、西欧音楽のクラシックなどに影響されて作品を作り上げたことには驚いた。芸術家は皆同様なのだろうが、完成した作品に関しては常に不満を持ち、次に良い作品を作ろうとする意志、創造力には頭が下がる。作曲家の言葉として曲が天から降って来ると言うのがあるが、武満氏クラスになると自然の中に無数にある音から引き寄せてくるらしい。確かに、造形美術家が木や石の中に既に作品が入っており、それを削り出すことと同様なことと思われた。武満氏が邦楽に関しては世界の音楽と違って神の世界がなく自然に帰結することを指摘していたのには理解し難かった。日本は一神教ではないが神の世界の事は語られており、それでも神が不在であり、自然に同化するのが邦楽の特徴であるらしい。日本は自然環境の厳しい中に生活があり、古代の人にとっては神の助けより自然に同化する道しかなかったのかもしれない。色々なものが日本に入ると変質することは聞いていたが、東洋的な世界を更に非論理的な状況まで止揚する自然環境が日本にはあるのだろう。武満氏は西欧の世界を論理的な人工的な世界として捉えており、武満氏自身は西欧音楽の方が精神的に受け入れやすかったのだろうし、戦争時代を子供として過ごした影響が大きいかもしれない。現代社会では新規に事業を起こすことが求められており、それにはアートの世界の創造力が必要との事でそれを学ぼうする機運があるが、武満氏の評伝を見る限りアートの前に哲学が必要と思われる。哲学なきアートは創造への旅とはならない様だ。勿論、私レベルが才能ある人の評伝を読んで理解できる筈もないが、それでも人は何かの役割を持って社会に存在していると思われ、私自身もその役割を一生探す旅を続けると思った次第だ。
人と神 言葉の評伝「立花隆」を読んで
立花隆は私の故郷の茨城県と縁があるジャーナリスト・作家なので興味があったが、初めて知ったのは政治家の田中角栄の金脈を文藝春秋で暴いた時であった。立花隆に関しては父から故郷が生んだ農本主義者の橘孝三郎の孫として聞いた記憶があるが、実際には父親が従兄弟同士であり、孫ではない事を知った。橘孝三郎は戦前に軍人と右翼が起こした5.15事件に関わった人物だ。立花隆はペンネームで本名は橘隆志であることも知ったが、生まれは長崎県であるものの、幼児の時から高校1年まで水戸に住んでいたので、故郷の著名人として扱っても良いと思った。特に、立花隆の母親は私の生まれた寒村の隣町出身であることも興味を持った。伯父に関しては興味がなかった様で残された資料の中に言及したものがなかったのは残念であった。立花隆は過去より未来に興味があった様であり、田中角栄の金脈で政治に関わったが、政治に関しては興味がなかったのかその後に「日本共産党の研究」以外に政治を論じたものはない様だ。立花隆の興味は根源的なものに移っており、私自身は立花の著作はあまり読んでいない。今回の評伝で「宇宙からの帰還」や「臨死体験」などの著書があり、人間の体験の影響の問題を扱ったのが大学に入り直し、哲学を学んでから書かれたものであることを知った。今回の評伝を読む前に立花隆が書いた前衛音楽家の武満轍の伝記である音楽創造への旅を読んでいるが、同署は長い間出版されて来なかったのを立花のパートナーの死を契機に世に出されたものであることを知った。今回の立花隆を論じるのに人(哲学)、神(キリスト教)、言葉(音)のタイトルで示している通り、立花の内面から分析しているのに納得させられた。両親が無教会派のキリスト教徒であり、子供の頃から大きな影響をうけて育った為に神の存在に関しては哲学を学ぶ必要があったのだろう。以前に井筒俊彦の著作を読んだが、立花が井筒の影響もうけている事が書かれており、井筒の場合には仏教の影響からイスラムのスーフィズムの研究に進んでいるが、子供の頃から宗教に触れていると何かしらの啓示を受けて探求することになるのかと思った。人を論じた本で評価が高いロシア文学に影響をうけたのも立花と井筒は共通している。尤も、立花は武満徹の音楽に言葉の深さを感じたのは井筒と違っているが、井筒が研究したイスラム教の祈りは音楽的な響きもあり、仏教の読経も同様であるので、言葉(音)と捉えても良いかもしれない。音は人の耳では消失するが実際には遠くまで無限に響いていると言われている。言葉は共通なものではないと言われるが、それは言葉を心に響かせるには言葉自体より音の響きが必要なのかもしれない。立花が若い頃にキリスト教に対して抱いた排他主義は同じキリスト教でも正統以外は異端として排斥することに疑問を抱いたからではないかと指摘されている。宗教以外でも正統以外は異論として排斥されるのが社会の現実なのを見抜いたが故の悩みであったのかと思われる。立花が最終的に言葉に行き着き、その言葉の音に関して何かの啓示を得たのかもしれない。