リーマンとAIGの違い?
今回の米国の金融機関(リーマンとAIG)に対する対応はダブルスタンダードと言われているが、真相は分からない。リーマンの代表は民主党よりとも言われ、現政権の共和党にパイプがなかったことも一因としてあろう。勿論、金融規模にも違いはあるが、それでは公的資金で救済されたベアスターンズとリーマンの違いはどうなのかと思ってしまう。ひとつ確かな事は、リーマンは資金繰りに苦しかったために原油にも投資して更にその下落で失敗してしまったことである。公的資金を入れて救済するのにも大義名分が必要なのは何処の国も同じである。スケープゴートにされるかどうかの分かれ道は政治とのコネクションもそうだが、国民の反発を受けるような行為があったかどうかと思える。リーマンがなりふり構わず原油などの資源に投資して暴利を貪ろうとした時点で破綻が見えていたのである。翻って、日本法人のリーマンブラザーズは3.5兆円もの残高を抱えて民事再生法の申請となったが、この倒産の影響は色々な所に出てくると思われる。経済成長を議論する上で規制緩和が依然として有効需要を生み出す手段として必要視されているが、今日の金融問題は全て金融の規制緩和から生じていることを考える必要がある。勿論、規制緩和は金融ばかりでなく、多くの業種で規制緩和が進んでいるが、その規制の緩和から生じる不正は後を絶たない。規制緩和によるグローバル経済は一方では寡占化が進み、物資の高騰を招く恐れがあることを肝に銘ずるべきである。
バブル経済崩壊の後遺症
不正を行えば金儲けは誰でも出来る。ここ数年嫌になるほど不正による経済犯罪が多発している。この原因は、バブル経済崩壊後の社会に問題があると思われる。このブログで何度も書いたが、バブル経済は国民や企業が起こしたものではなく、政府の政策によって引き起こされたにも拘わらず、バブル崩壊後の責任は国民と企業が負わされたことに帰結する。企業が合法的に利潤を求めるのは正当な行為であり、同様に国民が富を求めるのは正常な姿である。しかし、失政で引き起こされたバブル崩壊後の魔女狩りとも言うべき社会現象は国民に正義の心を失わせたと思われる。周りを見るとお金亡者ばかりで、人間の価値観までお金に換算されている昨今は異常である。今の世の中は心優しき人にとっては住みにくい社会である。電車を降りる時でも平然と入り口に立って邪魔しているのを省みない姿や、体がぶつかってもお詫びの言葉もない人達など他者に対する思い遣りがない社会になっている。この謝らない姿は米国流の誤ったら認めてしまうと言う法律社会の悪影響であろう。そう言えば、ロシア人の相撲取りが大麻の検査結果を否定している醜い姿は、現代の日本人を投影した姿であろう。特に、昨今は然るべき地位に相応しくない能力の人が就くと言う不思議な現象も起きている。何れにしても不正を生み出しているのは、誤った社会システムの構築にあるのは自明の利であり、国民の信頼を失った政治と行政の責任は重い。