中国歴史に生きる教え

科学技術が飛躍的に進歩した現代社会だが、人間の思想に関しては近代以前の時間にゆとりがあった時代を超えていないと言われている。勿論、最近はやたらと人間の行動などを分析してマーケティングに繋げる学問分野が隆盛となっており、自分の決断と思っていることでさえ、実際は情報ツールを通して動かされているので、人の考え方が進歩しているかどうかを議論するのは意味がないのかもしれない。しかし、中国の歴史における教訓を含んだ格言などは現代の社会でも十分に通用することであり、それらを理解すると特に競争社会においては自分を見失うことがないと思われる。先日、ある方の出版した本「昼マシは座って食べるな!」を贈呈されたのだが、その寄贈に際して「鴻鵠高飛不集汚池」の言葉が添えられていた。この熟語は正式には「呑舟之魚不泳枝流 鴻鵠高飛不集汚池」である。この熟語は大人物の心構えを意味しているが、著者が誰にも書いた言葉なのか、私に対して個人的に贈った言葉なのかは不明だが、私にとっては心すべき言葉と有り難く頂戴した。偶然であるが、本を寄贈される前に、塚本青史の「春申君」の本を購入した。この本の主人公は戦国四君のひとりと称される「春申君」で、楚の宰相まで登りつめ、強国秦と渡り合った英雄の書である。昔は戦に破れれば命まで失ったのである。このため、全知全能を駆使して考え抜いて事に当ったのであるから、その時代の教訓は現代でも十分に通用する重みのある言葉である。

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