歴史と名将(山梨勝之進)読んで

海軍大将の山梨勝之進の名前は知らなかったが、海上自衛隊幹部学校での講話を編集した本で有り、サイレントネービー伝統に生きた提督のタイトルに惹かれて購入した。山梨勝之進は日本帝国海軍の創成期の海軍兵学校の出身であり、日清、日露の各戦争を経験し、第一次世界大戦に係る出来事にも関係し、更に軍縮会議のスタッフとして正に戦前の日本帝国海軍の生き字引の様な人で有ることが分かった。太平洋戦争には退役していたので蚊帳の外に置かれているのだが、現役の上級幹部が山梨勝之進から助言を受けていたならば違った展開になったかとも思われた。尤も、山梨自身が現場の操艦経験が少なくて大将になった珍しい経歴のために太平洋戦争には縁がなかったのが惜しまれる。戦史に精通している他、歴史的な内外の軍人たちの交流を通した講話は本当に勉強になった。私のブログで詳細を紹介することは無理なのでご興味があれば是非お薦めしたい一冊だ。英語に精通していたので米国の戦史や軍人・政治家の評価に関しては私の知らなかったことが満載だ。特に、米国成立経緯や国家国民を分析した個所は驚くべき発見だ。ビジネスマンにも非常に参考になる内容が多く含まれている。昨今、第一次世界大戦前の様な世界情勢が起きているので、今後の日本が道を誤らないために必須だ。戦いに必要なのは孫氏や呉氏やクラウゼビッツの戦略や戦術ではなく将卒に対する道徳であるとの説明や強い相手には先に攻めないなどは剣法の達人の境地と似ているのかと思った。山梨提督は中国の清の時代の軍人政治家である曽国藩を評価している。戦争に勝つのは克己心であることを唱えた人物であり、克己とは道徳の範疇と山梨提督見做している。良い戦略戦術でも戦争をするのは人で有り、その人が弱ければ戦略戦術、更に武器なども効果が発揮できないと指摘している。有能な軍人でも慢心すれば敗者になる実例も示している。昭和の日本帝国陸海軍の軍人などは正に慢心の極致であったと見れる。台湾海峡や朝鮮半島、更には北方領土周辺で戦争が発生するリスクが高まってきた今、山梨提督の講話を読む必要が痛感される。特に、ロシアと言う国が歴史的に北海道を狙っている歴史を忘れてはならない。戦後の日本は非武装中立など理想論が独り歩きをしているが、国家を守るには強い国民の意思が必要であり、それが侵略を防ぐことになると言う言葉を噛み締めるべきだ。手を出すと痛い目にあうことを相手側に思わせることが唯一国や企業を守る要件だ。肝に銘じなくてはならない。

古い話題(西山事件)の再考

沖縄返還の密約が話題になり、その後にスクープした毎日新聞の西山記者が外務省の嘱託職員の女性と不倫による情報入手と言う事で幕切れした事件だ。この時に思ったのはマスコミ業界人の言論の自由には何でも許されるのかと憤慨したことだ。この時には不倫だが、殺しも正当化されるかだ。それ以前に密約の中身が沖縄返還時に国民に知らせないで米軍に多額の資金を出したことについて疑問があった。戦争以外で失った国土が戻った例がなかったのに沖縄は米国から日本に返還された。米国がベトナム戦争で疲弊し沖縄を管理するのが負担で戻したとしても返還された事実は重い。そのことはソ連時代に不法に占拠した北方領土を見れば一目瞭然だ。戦争時に取られたものは戦争でしか戻ってこない。韓国と争っている小さな竹島でさえ外交などでは戻らない。当時の自民党の政権がなぜ返還に必要な資金として国民に知らせなかったのかも理由が分からない。疑えば切りがないが、米国に渡したのではなく、国内に還流したかもしれないと思われないこともない。戦後の占領時期に多くの謎の事件が起きたが、松本清張張りの推測では全て米国の陰謀となる。しかし、当時の日本人の政治家が米国の指示としているものには自分たちが作り上げた虚像も多いと言われている。この様な権威を利用しての工作は日本が古来より行ってきた手法だ。天皇然り、将軍然り、大名然り、権威者を床の間に座らせて執行者が好きに政治を行ってきた。当時のマスコミの馬鹿さ加減は沖縄が戻ったことに対する価値より米国に見返りに支払った金を問題にしたことだ。この様な国だから、ソ連が崩壊してロシアになった時にドイツは支援金の支払いで東ドイツを取り戻したのに、北方領土を金で戻せなかったのだ。その新聞も記者クラブの発表記事と税の優遇策で真実を掛けない事が国民に分かったことと情報化時代で嘘を書いていたこともバレてしまって凋落の一方だ。勿論、新聞に同情しないでもないのは日刊紙であるので、記事の裏を取る時間的な余裕が少ないことだ。この為、記事の信用性は週刊誌、月刊誌と取材時間がない出版物の方が信ぴょう性が増すのは当然だ。古い話題を今頃取り上げたのは西山本人の死ぬ前の自己弁護の書物は評価されているからだ。尤も、沖縄返還の米軍に渡ったとされる金が自民党に還流していると言った内容ならば価値があるのだが。私は読んでいないので詳細はしらないが、過去のスクープの域を出ていない様だ。事件や歴史を知らない若い人た達に誤解を与えるのが怖いと思ってブログを書いた。

新NISAの疑問

老後は新NISAでお任せと言った類の広告記事が目立つ。新NISAは一石何鳥かを狙った政策と思われる。年金が減少する分新NISAで手当てしろとの事だが、現状の株価がバブル期の株高を超えた状況で始めるのは無謀と見るのは私だけであろうか。NISAで1億円を稼いだ記事を見ると株価が低い時期に積立投信を行った先見性に脱帽するが、株高になった現時点では幾ら新NISAで課税面で優遇されようとも始めるにはリスクがあると思われる。私自身は投信に関してはバブル経済における株価暴落で大損した記憶があるので、新NISAを否定はしないが株高の時期に始めるのは愚の骨頂ではないかと考える。しかも、日銀が日本株の主要株主であるので、その出口に関して如何なる考えを持っているかを推測すると余計に積立投信を始められない。過去に大蔵省(現財務省)の役人の考えがバブル期に10万円の記念金貨を発行したことがある。金貨発行には意味があり、一つには金保有量が少ない日本が金を保有する手段であり、もう一つが金貨発行に相載って財政の改善を考えたことだ。当然に後者の意図により10万円の金貨が実質的に金としての価値は7万円位になった。国民に金を保有させる意図が重要であったのに財政の健全化の資金をねん出しようとして失敗したバカな事例だ。当時は大蔵省と言った官庁の中の官庁の時代だが、周知の諺の"二兎を追う者一兎も得ず"を知らなかったのかと思った。今回の新NISAも日銀が保有する投資信託の出口に新NISAを利用する考えが裏にあると見るのは穿った見方であろうか。折角、国民に年金の減少を補う救世主の様に謡っているが、裏には日銀の過剰に保有している投資信託の出口に利用する狙いがあるとしたら太平洋戦争で嘘八百を国民に告げて無謀な戦争を推進した軍部と国民をだます行為は変わらない。戦後80年近く経つと干支の周期の60年を上回り愚かな考えに戻るのかとため息がでる。

AIと藤井聡太と一般人

三題噺の様な標題になったが、11月の旗日に藤井総太の師匠が書いた「藤井総太はこう考える」を読んだ。その後にアマゾンのビジネスモデルが中国のECサイトに押されているとの記事を目にした。ご存じの通り、アマゾンは欲しい物を検索して購入するシステムだが、中国のECはインフルエンサーの商品を消費者に提示するシステムだそうだ。AIと一般人の間に藤井総太を入れたのは、将棋界で主流になっているAI活用に関して藤井は必ずしもAIの推奨手を好んで打たないと言う事を書きたかったからだ。逆に、藤井はAIが薦めない打ち方を選ぶ傾向があると師匠は書いていた。更に、藤井は将棋士に多い、先入観や固定観念を持たない打ち手とも書いている。この様に書き進めるとお前は何が言いたいのかと短気な方はしびれを切らして謗ると思われるが、AIを使うことは人間に頭で考えさせないことになる事の懸念を抱いたからだ。その傾向は既に中国版のECサイトがアマゾンを押しのけて来ている事実だ。確かに、人は選ぶと言う行為を苦手としている。売り場などでは同じ商品の選択肢を増やすと迷った末に買わないで帰ることをデジタル社会以前から指摘されていた。この現象は人が欲や間違いをするリスクを避けたい意志が働くためと思われる。尤も、今の若い人たちは類似商品を閲覧して一番価格の安い商品を購入する術を心得ている。自分でその様な術を行使しなくても良ければそちらを選択するのは自明だ。しかし、AIとインフルエンサーは似て非なるものだ。インフルエンサーによっては企業から報酬を受けて行っている人もいる為だ。AIは過去の膨大なデータから最適な解をを提供するのであるから間違いはないとの考え方はあるものの、藤井総太の八冠を見る限り、勝負事は単なる最適な解だけでは通用しない事が分かった。勿論、一般人は藤井総太とは違うので勝負事でも十分に利用価値はあると思われるが、問題は哲学的な思考で発展してきた人類がその頭を使わなくなるデメリットだ。安直に答えが得られるのは受験勉強時代に準備された答えが書かれた安直な問題集を思い出す。問題が解けなくて直ぐに回答を見てしまうと力が付かない苦い記憶だ。AIに関しては正に安直な問題集と言えるが、要は使い方次第であろう。藤井総太はAIの研究も行ってる上での対応を行っているからだ。グーグルなどが出現してから物を調べることに関しては楽になったが、果たしてそのれが人にどの様な悪影響が出るのかであるが、既に出て来ているのではないかと懸念される。

老兵の訪問

私が建物の管理業務の部門を立ち上げた時に大手のビルメンテナンスから移籍して協力してくれた方が会社に来たことを社員のラインの通知で知った。私の自宅に電話を掛けたが、現在使われていないとのアナウンスを聞いて心配しての来訪だった様だ。ラインの通知では持参したお菓子の件と訪問者の方の自宅の電話番号が記載されてあった。この為、翌日に自宅に電話を掛けたらアナウンスで録音するとの後で呼び出し音がなって本人が電話に出た。録音のアナウンスはオレオレ詐欺を警戒しての措置と推定され、現役時代の技術者の姿が蘇った。電話口には80才後半になるのに現役時代と変わらず元気の良い声が聞こえて来た。当社に勤務していた時に親しかった社員の消息を聞いてきたが、二人とも既に亡くなっていることを告げたら驚いていた。特に、事務方の窓口として接触が多かった若い社員が58才で亡くなったことを告げると余りも早いのに嘆いていた。私の事を聞かれたので5年前に後継者に経営を譲ったことを知らせた。久し振りに訪れた虎ノ門周辺が高層ビルに囲まれて大分様変わりをしたことに驚きの感想を述べたので、私も30年前には現在の光景は想像できなかったと答えた。私に関して何処にいるのか聞いてきたので同じ住所であるが、携帯電話がメインになったので固定電話を解約したことを話し、心配をかけたことを詫びた。私が部長時代にビルのメンテナンス部門を立ち上げる以前に本社ビルの現場管理設備要員としていた方だが、当社に移籍してから私が常務取締役、代表取締役社長に就任した中で一生懸命働いてくれた。今の若い人たちにとっては経営者と従業員の関係が退職後も会社や経営者を心配することには理解が出来ないかもしれない。昭和、平成、令和と元号が移ってきたが、正に昭和の時代に生きた人達の運命共同体の姿と言える。何度も若くして亡くなった事務方の社員の早世を悼んでくれた。私の年齢にももう少し若いと思っていたらしく何度も聞き返された。若しかしたら、ある時点で私に対する記憶が止まっているのかもしれないと思えた。家庭の事情で辞めた後に再度復帰を要請したらビルシステムのバージョンアップについて行けずご迷惑を掛けたくないからと丁寧に断られた。プロの仕事師と理解した。その事を記憶していたのかもう少しお手伝いが出来れば良かったと話された。"老兵はただ去るのみ"の言葉が頭に浮かんだ。母が先月に99才で亡くなったこともあり、老兵の訪問には感傷的になった。

イーロン・マスク

イーロン・マスクに関する本を読んだ。IT業界出身なので当然かもしれないが、経営に関してプログラムを自ら書き上げる様に全てに関与しなければ我慢が出来ない手法に興味を持った。理系の頭脳と自ら理解し納得しないとダメな性格が強烈な現場主義の経営を生んでいるが、更に既成概念や先入観に対して全て疑う姿勢は生い立ちや遺伝の結果と本には書かれているが、創造的な事を起こすには否定から入るのは当然とも言える。尤も、イーロン・マスクの下で働く人は使い捨てを覚悟で働く必要があり、安らぎが欲しい場合には退職するしかないが、若い時ならば苦にならないとは思われる。イーロン・マスクに関しては別な本(創始者たち)でIT業界における起業の時の仕事ぶりを知っていたので、今回の本では電気自動車に取り組む姿勢、ロケットの開発、衛星通信への進出に興味があった。最終章ではTwitterの買収が語られており、未完成の物語として扱っている。イーロン・マスクはアップルのスチーブ・ジョブスやマイクロソフトのビルゲイツと同じ評価があるが、イーロン・マスクは生産現場の作業まで自ら体験して判断する稀有な持ち主なので、デザインに終始したジョブスやソフト開発に止まったビルゲイツとは根本的に違うと思われる。イーロン・マスクはアスペルガーと言われており、確かに人との付き合いなどや社員の扱いを見るとその傾向にあるかもしれないが、天才に良く見られる様なとことん突き詰める性格が彼を成功に導いてると思われる。翻って、イーロン・マスクと同様な人物が日本にいるかと言えばNOと言わざるを得ない。しかし、イーロン・マスクにも中国に対する市場を考える余り、自らのアイデアを盗まれるリスクは考えなかった様だ。中国の電気自動車は今や上海のテスラ工場の電気自動車を模倣して世界に打って出ている。日本では今、工業専門学校の生徒に注目が集まっているのは正にミニイーロン・マスクの様な人材が求められているのと思われる。勿論、イーロン・マスクにも弱点はあり、それは人文系の知識の分野と見られる。更に、電気自動車でもトラックに関しては未だに完成しないと言われているが、その失敗はトラックの使う人達や業界を省みずに設計したからの様だ。ロマンを追求するあまり、現実とのギャップがトラックに関しては起きてしまった様だ。少ない失敗の一つだ。イーロン・マスクの信条は出来る迄遣り続ける事であり、然も短期間に行うことが他者との大きな違いだ。何れにしても、イーロン・マスクについて書かれた本は一読に値する。

レンタルオフィスの行方

新型コロナ以前にWeWorkのレンタルオフィスが世界中で拡大していた。日本にも上陸しレンタルオフィスを展開している。今、WeWorkが新型コロナ後に発祥の地の米国で凋落している。日本のソフトバンクも大株主として投資している会社だが、日本においてはレンタルオフィスの歴史は長く、WeWorkのビジネスモデルに関しては日本のモデルにIT化とベンチャー企業用に入居者同士のコミュニケーションの場を設けているのが特徴的であった。それ以外には世界中に展開しているのでグローバル企業にとっては最小コストでオフィスを開設出来ることも利用者にとってはメリットであった。日本のレンタルオフィスとしてはWeWorkを参考にして各地の都市にレンタルオフィスを展開し、一か所で申し込むと他の地域のレンタルオフィスを使えるサービスが出て来ている。三井不動産や日本経済新聞などが展開している。過去の日本のレンタルオフィスはブース貸しが一般的であり、秘書サービスやポストサービスや会議室を提供し、レンタルオフィスに会社の住所を使うのを認めたものであった。山京の様に秘書サービスとポストサービスと会議室だけでブース貸しがないシステムもあった。バブル経済崩壊後には空きオフィス対策としてレンタルオフィスを計画した貸しビル業者もいた。変わり種としては、日本の行政が関わったレンタルオフィスがあり、外国の企業の進出準備を提供する場であった。高層ビルに期限付きで低価格で提供したもので、結構外国企業は利用していた記憶がある。日本ではコロナ以後はレンタルオフィスを勤務のサードパーティとして位置づけようとしている。勤務形態を①本社勤務、②テレワーク、③レンタルオフィスの3方式にすることだ。米国はモノづくりの企業が少ないために新型コロナ後はテレワークが減少せずに一挙にWeWorkのビジネスモデルが危機に陥っている。日本はまだ多くのメーカーが国内の生産を行っているので、米国とは異なり本社に出社してフェイスツーフェイスの必要性が浮上している。有名企業のホンダの"ワイガヤ"が創造的な活動に欠かせないと言う認識があり、テレワークではワイガヤは難しいと言うのは当然と思われる。尤も、車でもソフトがメインになる時代なので、日本も今後は変わる可能性は高い。日本人は意外と理解していないが日本のアイデアが海外に移って様相を新たにして逆輸入してくるケースは多い。携帯のネットなどはドコモのアイデアであり、携帯電話の音楽配信もソニーのウォークマンにルーツがある。誰も言及していないが金融危機で問題となったサブプライムローンの仕組みも日本の5年元本返済据え置きローンを参考にしたものだ。尤も、サブプライムローンが問題になったのは住宅ローン債権として分割して多くの債権と合体させて販売させた手法にあり詐欺師の商法だ。日本のオフィス需要もWeWorkのビジネスモデルが後退すると影響が出ることを指摘したかったのだが、途中で横道に逸れてしまった様だ。

二代目

今、歌謡曲で鳥羽一郎の息子が"二代目"との曲名を歌っている。一般的には徳川家康の徳川家で二代目、三代目について模範的な家継承を伝えられているが、悪い意味では二代目は"二代続いての長者なし"、三代目は"売り家と唐様で書く"との格言は有名だ。二代目も三代目も初代と比較するとは当然の言葉だが、二代目に関しては初代の苦労を見てきているので散財して家を潰す例は少ないと見られている。三代目は初代の孫なので厳しさより甘やかされて育っているのは確かなので、能力が相当に秀でていないと初代が起こした事業を継承するのは難しいのかも知れない。しかし、過去に不動産開発でお会いした京都に本社がある二代目と三代目は一般的な事例と違い、二代目は派手な人であったが、三代目は初代の祖父の血を引いたらしく堅実な方で有った。確か、学歴的にも優秀で京都大学を出ていた。この為、二代目、三代目の評価に関しては必ずしも答えがなく、その人物を見ての判断が重要と思われる。二代目と称してブログを書いたのは、ビックモーターの二代目に関して疑問を持ったからだ。グローバル経済とデジタル経済、デフレ経済に見舞われている日本において過去の二代目、三代目の議論は意味がないのかもしれないが、私が若い頃に都市銀行の子会社が主催する後継者研修に参加していた時に事業継承者の先輩から聞いた話に納得感があったので、その意味でもビックモーターの企業姿勢に関しては不思議な感がした。先の事業継承者の話は、長男が継承者として位置づけられると、父親と事業方針で意見を異にして継承者に残れないと言うものであった。その時に父親が65才以前か以後がで後継者の位置づけが異なり、多くの企業の後継者は次男となっている理由になっている。ビックモーターの二代目は早稲田大学卒とMBAも取得し、損害保険会社に勤務してから父親の会社に入ったとの報道であった。ビックモーターの親子の年齢から見て息子に全権を渡したとは思えないが、二代目に経営を任したとすれば事業の存続に対する危機感があり、若い世代に事業を任した方が良いとの判断があったかもしれない。過去の2代目の二つの経験則に該当しないビックモーターの二代目に関しては違う見方が必要なのかもしれない。26年前にバブル経済が崩壊しても自動車産業に関係する企業は不景気などないと謳歌していたが、2000年以降のテスラの電気自動車の出現とテスラ創業者が唱える自動車保険のデータ採用による保険料金の引き下げは、自動運転の出現と相俟って損害保険会社にも脅威を及ぼしている。損害保険会社の稼ぎの60%が自動車保険でカバーされている現実は将来の事業に危機感を持たせている様だ。ビックモーターの事件も背景は複雑と思われる。翻って、米国のIT企業を見ると二代目、三代目など身内を後継者に選ぶなどは眼中にないし、身内が事業を継承できるなどとは考えていない。確かに、米国のIT企業を創業した人達を見ると頭が極めて良い。頭が良いから技術開発と経営の区別も理解しているので、創業した会社をプロの経営者に任せる考えが強い。私自身も従業員を考えれば後継者を身内に限定した考えはなかった。能力があれば継承すれば良いし、能力がなければ継がない方が幸せだと思ったからだ。そう言えば才能を必要とする職人の世界には身内を積極的に後継者とする習慣がないように思われるが、歌舞伎の世界などは幼い時から芸を身につけさせて後継者に育てている。スポーツの世界は一代で終わるのか、幼い時から学ばせても親を超える才能を持った二世は見かけない。勿論、経営は技術と言うよりは感性に近いのかもしれない。後は運が必要と思われる。今回は二代目の標題だが、取り留めのない話に終始してしまった。

消齢化

デジタル社会になり音楽の世界では現在過去未来の区別がなくなったとの声が聞かれるが、最近は消齢化と言う言葉がメディアで見かける。過去より年齢による区分が無くなってきている様だ。バーチャル世界では年齢を偽ることが出来るのでその事がリアル世界に反映されて来ているのかと考える。確かに、デジタル社会では幾つもの自己を創出が可能であり、バーチャル社会でリアル社会で出来なかったこてを実現させることも可能だ。脳がバーチャル世界とリアル世界とを異なる世界と認識出来にくくなることが指摘されている。音楽の世界に時の境が無くなり、消齢化が起きているのはバーチャルとリアルとの境が未来社会では無くなることを暗示しているのかもしれない。現状でもデジタル技術が人の脳に影響を及ぼしているので、更に科学が進むと如何なる世界が現れるのだろうかと思ってしまう。翻って、最近の歴史小説ひとつとっても過去に考えられない斬新な発想で書かれている。これもデジタル社会で人の脳が影響を受けていることならば確かに人が課題解決に一歩進められるのかと期待できる。ミクロ世界の量子力学が開いた扉は人類が経験したことがない世界に連れて行ってくれると思われるが、それは明るい未来になることを祈りたい。

マンションの相続税課税強化について

国税庁のHPを確認しないでマンションの相続税について前回言及したので、幾つかの点で勘違いしていた事とが分かった。マンションの実勢価格と相続税評価額が乖離しているので是正措置とのことだが、不動産に関して理解していない有識者の集まりで議論されているのも問題と思われる。何でも統計的に改善すれば良いと言ったものではなく、今回のマンション価格の実勢価格と相続税評価額との乖離の是正の議論の中で触れられていたが、タワーマンション以外は需給バランスが一時的に狂いが生じている可能性があり、その需給バランスによって今回の是正の計算式を見直すことにも言及されている。タワーマンションに限って言えば、デベロッパーが必要以上に価値を創造しているだけであり、本来の不動産の評価方式から言えば販売されている価値がない。しかし、将来的な維持管理を考慮すれば、評価額以上の価値を創造しないと改修工事や建て替えを含めて資金の調達ができなくなり、スラム化する予測があるのも事実である。今回の件はマンションに限定しても措置といえるが、高層の区分所有建物はマンションに限定されたものではないので、オフィスなどに関しては実勢価格と相続税評価額について60%ルールが適用されるのかだ。今回の4指数(築年数、総階数、所在階数、敷地持分狭小度)以外にも議論の中では実勢価格と乖離している要件があるとは指摘されているが、その様な視点以外にも維持管理の面でも考慮しなければならないので無難な4指数に落ち着いたと思われる。何れにしても日本の戦後経済がインフレから始まり長い期間継続したので、国税庁の作った計算式はインフレを前提としたものであった。それが経済バブルが崩壊し、一転してデフレ経済になった為にその計算式が合わなくなったことがあった。今回もタワーマンションや一時的な需給バランスが崩れた中で起きた実勢価格との乖離において是正措置を講じると良い結果とならないと思われる。

マンションに対する相続税評価の見直しについて

マンションに関して実勢価格と相続税の評価額が乖離しているので見直すとの記事を読んだ。マンションと一口に言っても建物の状況は様々であり、昨今マンション価格が高騰したので実勢価格の40%の評価を60%に引き上げるとの考え方には違和感がある。現行の基本的な相続税の評価の算定には、「建物」に関しては固定資産税評価額、「土地」に関しては路線価額を採用することになる。後者の土地に関しては接道や形状などのより路線価額を修正することになるが、路線価は毎年見直しが行われているので、実勢価格は何を指すのか分かり難い。投資以上の投機による乖離ならば住まいとして長く所有しているマンションを相続する被相続人にとっては理不尽な見直しである。今回国税庁のやり玉に挙がっているのは高層マンションだと推定するが、高層マンションの実勢価格と相続税評価額の乖離は高層マンションの維持管理の費用を考えると必要悪と認めないとスラム化する可能性もある。尤も、それを考慮したのが40%を60%への引き上げであり、それでも十分に維持管理の費用をねん出できるのとの見方かもしれないが。マンションデベロッパーにとっては高層マンションは大きな利益が得られるのだが、そもそも実勢価格自体が胡散臭いのである。高層化するほど区分所有建物に付帯する土地持ち分が少なくなるので、本来ならば資産的には現行の様な価格ではないのである。実勢価格と称するものが虚構の価格なのである。虚構の価格を造り上げたのは高層マンションに関しては維持経費と将来の建て替えに多額の資金が必要なためとも言える。一方、普通のマンションに関して言えば、現行の値上がりは異常であり、何れ価格は下がると推定されるので、マンションに対する評価の見直しは高層部分に限定した措置と思われる。高層マンションに関して言えば目立たなく節税商品として使えば今回の見直しに繋がらなくなったのにと思わざるを得ない。過去にワンルームマンションの購入に関してサラリーマンが資産を残せる措置税があったのだが、大々的に宣伝してワンルーム販売をする業者が出現した為に付帯する土地に関して節税できなくなり、所得税と相殺して資産を残す方法の価値が大幅に減少してしまった。その様な意味では高層マンションも今後は相続対策商品としては魅力が減少することになりそうだ。

サステナビリティで環境ビルに付加価値

「ESG」、「SDGs」などの企業評価に伴い不動産業界も環境ビルの建築やビルの省エネ改修工事に関心が高まっている。上場企業にとっては投資家が投資先の企業が取り組んでいる。「ESG」、「SDGs」を企業評価の一つにして来ている為に取り組まざるを得ないのと、特にプライム市場などの企業にとっては世界的にサステナビリティが求められる時代になり、入居ビルに関しても配慮せざるを得なくなっている。大手企業が入居対象とする大規模ビルは当然に環境ビル対応を進めているが、問題は中小のビルの行方である。特に、既存ビルの場合には省エネビルに改修する工事に関しても限界があり、投資金額に対する回収に関しても見通しは明るくない。また、中小ビルのテナントにその需要があるのかのそもそも論もある。勿論、中小ビルでも新築ならば環境ビルとは言わないが、それに準じた性能を持ったビルにする必要はあり、大規模ビルも含めて通常性能のビルと比較して工事費が高くなると見られるので問題は賃料の上昇に結び付けられるのかである。環境ビルの絶対数が少なければ需給バランスにより賃料に反映できると思われるが、基本的にはその時の景気の状況に左右されるので判断は難しい。省エネビルに関しては米国から認証制度が入ってきたもので、現在では幾つかの認証システムが存在する。認証基準は建築躯体、設備機能などがあり、一定の基準が満たされれば認証される評価方式である。環境ビルの話題になると思い出すのが40年前のインテリジェントビルに関してだ。当時、都心で再開発事業を進めていたが、投資資金の回収が出来るマンションを対象にしていた。その時に、港区虎ノ門の地主から再開発事業を依頼されたが、立地的にマンションではなくオフィスエリアでしたので分譲による資金回収に問題があった。特に、土地や借地権を売却して再開発事業に協力したいとの地権者が多かったこともあり、フロアの取得分が必要以上に多くなることが予想された。この為、区分所有の事務所の分譲の時代ではなったので、分譲できないフロアに関しては保有して長期的に返済するスキームの事業を考える必要があった。その課題を命じられた設計陣は当時米国で建築が始まったインテリジェントビルがあり、日本で造れば賃料に付加価値を付けられると考えた。結果的には、再開発事業の乗っ取りなどの被害があり事業の完成が遅れたが、バブル時代に完成したことにより嬉しい誤算が生じた。懐かしい思い出だ。環境ビルに関してもテナントが省エネの恩恵を受けると共に社員の健康を考慮した造りならば賃料に付加価値を付けることは可能と思われる。今は再開発事業から手を引いたが、もし継続していたならば環境ビルの建築を行っていたと感慨深いものがある。

日本の未来社会に必要な人口から逆算して少子化対策を考えるべきだ

ロボット、システムにAI導入、自動車の自動運転など近未来に一般的になる様々な人に代わる技術や人の作業を少なくする技術を見ると、今後の社会に必要な労働力の規模に関してどの程度なのかと考える。岸田政権は異次元の少子化対策と言いながら財源に対して積極的な活用に踏み込んでいないのを見ると、政治家も官僚も本音は人口を増やすことに意味がないと思っているのかもしれないと疑ってしまう。確かに、先進国は労働集約産業などは人件費の面で採算が合わないのでグローバルサウスと言われる国々に移転し、先進国の工場は付加価値の高い製品などを造るのに特化しており、高額なロボットの導入でも採算が合うので現実的には人手はいらない。特に、高速通信網があれば、工場の管理は工場内に居ることもないし、工場によっては海外にオペレーションを移しても生産が可能かと思われる。その様に考えると、年金の支払いを別にすれば、人は研究部門や営業部門、企画部門のホワイトカラーが大半でブルーカラーは限定した業務しか要らないとも思われる。この様な論を展開すると若い世代の支払いによって成り立っている年金は崩壊すると指摘されると思うが、ロボットやAIや自動運転技術に税金を課かすことによって年金資金を確保する事は可能と思われる。戦争などに必要な軍人もロボット化で人はオペレーション要員だけで良いことになり、生身の人間が戦う時代はなくなると思われる。戦争は何時の時代も経済力がある方が最終的には勝利するのであるが、未来社会に問題があるのは兵器産業及び重要な電子部品は国内に拠点がないと金だけあっても意味がない。この様に考えると経済安保の観点からは、国内に一定の工場が必要であり、非戦闘の食料自給率も不可欠と言える。国土が狭い日本では平面的也常温での生産には限界があるので立体的な農業用地や常温以外での生産も必要だが、その点から考えるとエネルギーの確保が重要と言える。自然エネルギーだけでは不十分なので核融合エネルギーの開発が待たれる。必要な労働力の問題が経済安保に発展してしまったので論点を戻すと、少子化問題を考えるには未来の社会の状況を推測する必要があり、少子化対策が功を奏しても子供が増えるのには時間を要するので、中間的には海外労働者の導入を増やす以外にないと思われる。この点で問題になるのは為替である。円高でなければ日本で働く意味が少ないと言うことである。適正な円安などと言っている学者や評論家は目の見えない者が象の一部分に触って全体を判断している様と同じだ。海外の多くを海外に移転した日本では円高の方がエネルギーや食糧、更に外国に支払っている技術料などを考えると円高が有利と言える。少子高齢化社会や経済安保には円高が必要なのだ。GDPの30%しかない輸出の為に円安政策を推進しているのは愚の骨頂だ。ロボット社会になればベーシックインカムが浮上するので、年金問題もその視点で考えれば良いことになる。少子化対策など笑止千万だ。

職業政治家が社会経済をダメにした

松下幸之助が政治家を育てるために「松下政経塾」を造った時には若かったこともあり理解できなかったが、最近の政治家の社会経済の経験不足を思うと分かってきた。尤も、松下政経塾が成功したかと言えば政治家を輩出したが中途半端に終わった感がある。松下幸之助が見届けることなく亡くなったことも松下政経塾が未完成であった理由とは思われる。松下政経塾に入った者は政治経済の勉強以外に商売などの心得や実践の指導を受けてて戸惑ったと聞く。しかし、その商売に係る指導に松下政経塾の設立の目的があったと思われる。松下幸之助は当時の政治家が社会経済について無知なのに良い政治が行えるわけがないと喝破したと思われる。その後の推移を見ると、秘書上がりの政治家や二世議員、官僚など社会経済に精通した人材でない議員が多くなり、松下幸之助の懸念が的中した。勿論、経済界も天下国家を考える国士的な財界人はいなくなり、自分の会社しか考えられない企業経営者が多くなったのも一層ひどい政治になった原因ではある。職業政治家は選挙に落ちると金銭的に厳しくなるので、選挙に落ちない事が目的となる。この様な政治家に良い政治が出来る訳がない。職業政治家が良いと言われたのは、企業経営者が議員になると利益誘導や汚職の問題が起きると懸念されたことにあるが、企業経営者は社会経済を知るので現実と遊離した政策は行わないので、今日的な非正規雇用など少子化を招いた政策など実施しなかったと思われる。30年以上も停滞している日本経済は机上の理論の官僚と労働組合を守る政党と自分の会社だけしか考えない経済人が作り出したものと言える。多額な国債発行の為に低金利を維持しなけれならないので正常な資本主義さえ壊してしまった。経済成長の為に馬鹿の一つ覚えのイノベーションを唱える様は新興宗教と見紛える。幾ら企業が頑張っても政治家が無能では社会経済は良くならない。最近の政治家は少子高齢化など忘れて経済防衛を標語にしている。岸田政権は異次元の少子化対策を取り上げているが、官僚などはロボットとAIの時代に昔の様な人口がもたらす経済成長など考えてはいないと思われるので、絵に描いた餅になる可能性が高い。

少子化の原因

少子化の問題を長い間非正規雇用の導入が最大な理由と思ってきたが、今年に入り、二つの出来事でそればかりではないことを思い知らされた。確かに、昨年に知人から相続財産の管理の件で相談があった時にも話題になっていたことを思い出した。経済的に結婚可能な若い世代の結婚しない比率の拡大である。昨年の知人も子供二人が結婚適齢期を過ぎても結婚していないことを嘆いていた。そう言えば、ゴルフ練習場でお会いした縁でお付き合いが始まった大手生命保険会社の役員の方の娘さん二人も結婚していない。奥さんを癌で50代に亡くしたことを娘さんが結婚しない理由としていた。しかし、私の周りにはご夫婦が揃っており、経済的にも不自由がなく、高学歴の子供の未婚者が多いので、必ずしも片親だけの理由とは思われない。私のワイフの二番目の兄は子供が男2人と女1人の三人いるが、今年初めに次男の結婚式があり、3人とも結婚した。義兄に3人とも結婚したことをお祝いした所、奥さんの実家の兄弟が3人いるが、子供たち全員が結婚していないことを聞いた。今年の新年の挨拶に来られた大学時代の友人は3人の子供がいるが、娘さん二人は結婚したが、長男は30才を過ぎて未だ結婚していないとのことだった。彼の長男は学校の教師だが、共稼ぎの夫婦の子供は不良化する為に専業主婦の相手を望んでいるので、結婚できないとのことであった。親としても今の時代に経済的に専業主婦に出来るのかと言った事を問題視しているが、子供に強制はできないので、仕方がないと言った感じだった。尤も、結婚しても離婚したケースも多くあり、3人子供がいる友人たちの娘さんが一人は離婚している。結婚はしても離婚してその後に再婚しないでいる方も多いかもしれない。その様に考えていた時に30年前にゴルフ場で一緒にプレーした老夫婦の言葉にも驚いたことがある。その御夫婦の長男の方は結婚して奥さんを食べらすことが嫌だから結婚しないと言っていることを聞いた時だ。少子化の原因は正に長い間の問題として続いてきたが、本質的な課題の解決をしないできた事のツケが回ってきたのは現在だろう。マスメディアを含め多くの評論家が日本の先行きに対して悲観的な報道ばかりであり、物に溢れた社会でお金がない悲惨さを嫌と言うほど体験して来ている世代にとって結婚は重荷と認識しているのかもしれない。親達や祖父祖母達も子供や孫を可愛がり過ぎているので我儘になっていることも結婚して二人になれば我慢も必要なことが耐えられないのかもしれない。また、皮肉なことだが、高齢化社会になり、コンビニやスーパーには一人用の食材や総菜が並べられているが、独身者にとっては結婚しないでも不自由さがなくなっている。コインランドリーなどは典型かもしれない。私の若い頃は洗濯が大変であるので、それだけで結婚を決めたケースもないとは言えない。食事に関しては昔は定食屋が沢山あったので、独身でも不自由さはなかったが、正月などには営業していないので、田舎に帰らない時には惨めな思いをしたものだ。確かに、東京で親と住んでいる子供たちは田舎から出て来ている人と比べると結婚しない比率は高かった。不便さを感じないことと親兄弟姉妹と一緒ならば他人がいないので気が楽なことだと思われる。便利だと結婚願望が低下することは確かだ。しかし、それだけで結婚しない人が増えたとは思われない、昔は良い意味でのお節介が多かった。それと保険のおばちゃん達の活躍もあった。情報化時代以前の社会は営業マンなどが普通で他の会社のオフィスに入れたので、特に保険のおばちゃんは昼休みに来て独身の若い男性や女性に保険を勧めた。私などは遊んでばかりで預金もしていなかったが、今では有り得ない話だが、私から千円を預かって預金口座を作って来てくれた。若い時から少しでもお金を預金しなくてはダメだと説教されもした。保険のおばちゃん達は戦術ばかりでなく、戦略も優れており、結婚相手を探して来て結婚後も長く保険を加入して貰うべく色々と世話を尽くしてくれた。IT社会になり結婚も近代的なシステムで行えるようになって一時期は登録者が多かったようだが、今が昔の対面式の結婚相談所の人気が高まっているそうだ。Z世代は昭和時代に憧れがあるようなので、IT式の無味乾燥なシステムではなく、人が繋ぐ縁に価値を見ているのかもしれない。何れにしても、岸田政権が考えている様な政策では少子化の減少は止められないと思われる。個人情報などやパワハラ、セクハラの時代には社内恋愛も出来ないと言われ、何か社会が根本的に誤っているのに気が付かないと少子化に歯止めなど掛からないのではないかと考える。

長生きの幻想

医学が発達したので100才まで生きる確率は高まったが、人の生死は不確実性である。最近の世の中は楽しくなくなっている印象を受けるのは何故だろうかと考えていたが、成る程と思わせる記事を読んだ。若い方が色々と悩みを持って海外に出かけていた時に一人の年配の同胞と会った時に交わした言葉だ。若い方は同胞の方に老後が不安ではないですかと聞いた時に"私は未来の為に生きているのではない、今を生きているから不安がない"との言葉だ。若い方もその言葉を聞いて納得したことが書かれていた。多くの老若男女の日本人は長生きの幻想によって毎日不安の日々を送っている様だ。それを助長させる様な2千万円の預金がなくては年金で生活は出来ないと言った情報だ。また、最近の年寄りは老化を受け入れずに若い気持ちが強いことも長生き幻想にとらわれている一因だろう。確かに、お金があれば普通の人には受けられない高額医療で延命は可能なのは事実である。しかし、延命は可能でも死から逃れられる訳ではない。長生きは砂漠の逃げ水の様に追いかけると消えてしまう。過去に野球選手で長生きする為に健康的な生活をしていた人が居たが、40才代で亡くなった。もう一人は芸能人で、自分が癌の家系と心配して頻繁に健康診断を受けていたが、やはり50才代で亡くなった。長生きは意志でコントロール出来るものではないと思われるが、癌など多くの病気は早期発見で治療すれば克服できると言う言葉も間違いではない。病気は不摂生や偏食から起きることは確かなので少なくても長生きしたければ必要な医学知識は必要だが、一番の原因はストレスと思われるので、未来の心配をしないで今を生きる考えが長生きの秘訣かもしれない。

新規事業の狂騒曲

今の時代は新規事業の狂騒曲だ。既存事業の寿命が短くなる他、情報化技術の著しい発達により、ハードからソフトに価値観がシフトしたことも影響しているが、新規事業が声高に叫ばれるのは社会環境の大きな変化と言える。その解決にデザイン思考やアート思考などが必要とされているが、事業が軌道に乗るかどうかは思考だけではなく、現場経験が必要な事が理解されて来た様だ。アイデアは良くてもビジネスや改革に繋がらなくては絵に描いた餅だ。新規事業にも近道はないし、イノベーションは現場で培った知識がないと成功しない。しかし、新しい事に挑むには過去の経験が邪魔な場合もあるので一概には言えないが、問題は新規事業を担当する人が常に知識の更新を行っているかと思われる。若い人のアイデアが有効なのはその製品やソフトが求められる社会をの変化に対応している時だ。確かに、年を経ると先入観が発想の大部分を占めてきて新しい知識を容易に受け入れられないのは確かだ。しかし、若くても柔軟性に欠けた人もおり、年齢が高くても柔軟な思考と若い頭脳を持った人もいるので、年齢だけでは評価は難しい。新規事業以上に難しいのは既存事業の衰退ではなく自動車業界の様にハードの差別化が出来なくなり、ソフトに価値を求めなければ商売にならなくなった業種と思われる。勿論、既存事業の自動車でもエンジンからモーターに駆動システムが変わることにより、自動車に係る部品産業会社は死活問題になり、新規事業に活路を求めなければならないケースもある。それでも既存の製品に関して他に応用して商品化することが早道と言える。また、情報化時代にあっては情報を商売にしてきた業種は売り上げの減少に歯止めが掛らないので、異業種に活路を見出したいが、情報の知識は豊富でも実際の経験が不足している為に新規事業と言えない不動産活用で売り上げ減少をカバーする位しかアイデアが出ない。新規事業が難しいのは何処も遣っていないか力を入れていない分野に拘っているからと思われる。既存の事業の中にもアイデアにより売れ行きが伸びることも沢山ある。物としてしか見えていなかった商品に安らぎを与えるソフトを加えることでヒット商品を生んだケースも実際にある。アイデアを生み出す組織としてダイバーシティの環境を作ることも必要だが、同じ人種でも年齢差によるダイバーシティも新規事業には有効と思われる。私が関係している業界では新しい法律が出来ると新規事業の芽が潜んでいると言われ、その法律を利用した事業を起こした人達や会社がある。今でもその事情は変わらな言えるが、現在の様に情報化技術のスピードが速いと起こした事業の陳腐化も早いので、際物には手を出さない姿勢も重要だ。新規事業に現場経験が必要と言われるのは需要との乖離がないアイデアを出せることと思われるので、新規事業には人材の多様な組み合わせが成功のカギを握ると思われる。

悔やまれること

末期がんになった写真家の言葉が書かれている記事を目にした時に30年以上前に難病になった友達のことを思い出した。その友達とは大学時代の親友の縁で知り会い、卒業数年後に父の創業した建築設計事務所に転職した時にその友達が設備設計事務所に勤務していたことから親しくなり、彼の結婚式の司会を依頼された。この為、彼の奥さんからすれば私の存在を重要視したと思われる。友達は子供3人に恵まれて幸せな生活を送っていたが、突然に難病である不治の病に罹り、医師から余命が宣告された。親友から彼の病気を聞いたので当然にお見舞いに行く考えであったが、親友がお見舞いに行ったときに彼が泣きながら"俺がどうしてこんな病気になるんだ"と言われたので可哀想で見ていられなかったとのことであった。親友からお見舞いには行かない方が良いとの助言を受けたので、元気な姿を見せるのは良くないかもしれないと考えてお見舞いには行かなかった。1年も経たずに彼は亡くなったのだが、お葬式にも外せない用事があり参列できなかった。葬式に参列した人から奥さんが私がお見舞いに来てくれなかったことを恨んでいたと聞いて愕然とした。後悔先に立たずとの言葉もあるが、家族とってはお見舞いが力になるのかと思い知らされた。その後に仲間と一緒にお墓参りをしたのだが、墓碑を見て如何に彼が家族に愛されていたかを知った。今更と思われるのを覚悟で奥さんにお見舞いに行かなかった理由を認めた手紙を送った。年月が経ち、父親がやはり不治の病に罹り入院した時に父は親しい人達の見舞いを断ったので、病気になった時に会いたくない場合もあるのではないかと再び考えた。しかし、冒頭の写真家の方は気休めの言葉を吐くお見舞いなどは受けたくないが、ただ顔を見せて静かに話を聞いてくれるお見舞いには心を打たれると書いていた。今になって初めて病気になった人のお見舞いの心得なるものを理解した。親友に可哀想で見ていられないと聞いてもお見舞いに行くべきだったと悔やまれた。彼が涙を流しながら理不尽さを訴える言葉を黙って聞いてやれば良かったのだ。彼の奥さんはそれを願ったのだろう。友人に嘆くことで彼は死出の旅に向けて準備が出来たのだと思われる。今になって悔やまれる。

議員に関する法律のお粗末さとユーチューバーの相次ぐ立候補

ガーシー参議院議員に対する当選後に議会に一度も出席しない問題に対する処分で驚くのは今回の様な馬鹿なことに対する規定がないということである。当選後には当然に報酬や各種手当も支給が成されていると推測するが、議会の開催期間中に一度も出席しないでそれが可能なのは常識的に見て可笑しいと思われる。しかし、欠席に関しては議会事務局に理由を書いて書類を提出必要があると思うのだが、マスコミもその様な事に対して報道していないので、その有無も分からない。議員に関する法律が幾ら古くても欠席に対して理由書を提出する必要があると思われるが、如何なる理由でも提出すれば良いとのことになると血税である報酬支給を働かない者に対しても行うことになってしまう。病気であっても短期に回復の見込みがないならば辞職すべきであるが、それも議員に対する法律が良識を前提としているならばやる術がないということになる。参議院の懲罰委員会では議会に出席しない者に対しては直ぐに対応する方法がない様で、取り合えず国会に出席し釈明を求める決議を行った様だ。次の段階として議会に出席して釈明しないならば次には除名処分となるのかもしれないが、国民からすれば茶番としか見えない。厳しくすると自分が不利になるので行わない様な人達を国会議員として当選させている国民は馬鹿と言わざるを得ない。ガーシーは逮捕を怖がって帰国しないとの報道もあるが、国会開催中は不逮捕特権があるので、少なくても国会開催中には帰国できる筈だ。それでも帰国しないのは別な理由があると考えられるので、本来ならば厳しく処分を行うべきであり、暫定措置として報酬等の支給停止を行うのが当然である。懲罰委員長が鈴木宗男であったが、ロシアと手を組んで北方の漁業利権を貪っている輩では懲罰の資格もないだろう。然し乍ら、ガーシー問題は今年の地方選挙に大きな問題を引き起こした様だ。それは多くのユーチューバーが地方選挙に立候補していることだ。選挙に出ること自体は問題ではなく、当選後にガーシーの様に活動を何もしないで報酬等を得ることになる懸念だ。もっとも、多くのユーチューバーの立候補はユーチューバーの登録数を増やす売名行為にある様だ。世界は民主主義と専制主義の戦いとの構図だが、情報化時代で見識が疑われる連中が選挙に立候補して当選して来るならば、民主主義も前途は危ういかもしれない。情報化の時代になって思うことは思慮深い人達は存在価値が低くなり、笑いを誘うな様な奇妙奇天烈な人が注目を浴びて来ている。創造的な破壊がなければ経済は成長しないので、新規事業を生み出すのにアート思考やSTEAM教育の必要性まで求められているが、一番大事な哲学が抜けている様な気がする。今後はAIは人の思考の補助的な役割を持ち、ギリシャ以降停滞していた人の頭脳に刺激を与えてくれるようなので、情報化時代に生きる哲学の出現を期待したい。

  • entry766ツイート
  • Google+