米国とアーミッシュ
私のblogを読んだ人は私を反米主義者と思うかもしれないが、別に米国が嫌いではない。元総理大臣の小泉純一郎みたいにプレスリーが好きだから米国全部が好きになる単細胞でもない。子供の頃はTVで米国の西部劇や豊かな社会のホームドラマを見て育ち、学生時代には勉強もしないで映画、特に米国映画に魅了されていた。当然に現代の様な情報化の時代ではないので世界とは米国の事であり、米国には想像も付かない豊かな社会があると憧れてもいた。しかし、米国に対する考え方が一変したのはベトナム戦争や沖縄出身の学生のパスポートを見せられて米国と言う国の現実を知ってからは、米国民の意思とは懸離れた産軍共同体の化け物の存在も理解した。更に、カークダグラスと言う俳優が演じた「アメリカの憂鬱」と言う映画を見て競争社会における厳しさを垣間見た。しかし、米国にはアーミッシュと呼ばれる近代を否定して生きる存在を知った時には驚きであった。日本の様に誰もが金太郎飴である社会ではなく、個性的に生きることが許される社会と言うのが本当の民主主義かもしれないと考えた。民主主義とは選挙を通して選んだ議員や首長による政治を行なっていることを指すのではなく、色々な主義主張の考え方を否定しないで受け入れることが本当の民主主義ではないかと考える。そういう意味では日本人は民主主義を真に理解した国民ではないと思われる。米国社会にアーミッシュが存在する限り、米国の国家は兎も角、少なくても米国民は嫌いにはならない。日本人の多くはリビアの紛争のことを知っているが、米国人の圧倒的多数は知らない。それは自分達の生活とは直接には無縁だからだ。最近思うのだが、日本の新聞は何故こんなに海外のニュースを流すのかと思う。真実なら未だしも情報操作された記事を日本国民に伝えている。海外のニュースを流すなら足で歩いた国内の記事を流せと言いたい。海外問題で騒いでいる間に重要な事が国民の知らない間に決定されていることを日本人は知る必要がある。金儲けしか考えず、他人の配慮を忘れた国民を作り出すのはマスコミの責任だ。
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