厚生労働省が課長通達で処理した年金問題で世間を騒がしている。年金に関する事ばかりでなく行政側の国民に対する広報活動は受動的であるが、最近のトレンドの自己責任と言う考え方からすれば知る努力を怠った者が悪いとなる。しかし、行政サービスと言うことからすればサラリーマンから自営業に変わった時点で役所から専業主婦に対して年金加入の通知を出す位の親切があっても良いとは考える。前長妻大臣もその様に考えたかどうかは知らないが、行政側の落ち度として救済措置を講じたのである。しかし、その措置が不公平であるとの声が出たために急遽取り扱いを中止したのだが、今回はこの議論ではないので取り敢えずその問題を横において、本題の通達で処理したことに言及したい。本来ならば国会で議論する必要がある問題を簡単に課長通達で処理できる制度が官僚の権限を大きくし、惹いては国会議員の存在を貶めていると言っても過言ではない。では何故この様な強力な権限を官僚に持たせているかと言うと、日本国会の与野党対立の中で政治不在が続いたからだと推定できる。また、国民生活などに大きく影響がでる問題に関しても政治家は政治闘争で国民を省みないことが多いので緊急避難措置的に与えた権限と考えられる。しかし、この権限は考え方によっては国会を軽視しすることになり、三権分立の考え方を根本から揺るがす問題でもある。先の年金問題も正式には法律を改正して対応するのが当然なのだが、すべての議論を政争の具にされると言う観点から、法律の改正を待っていたのでは遅すぎると言う理由で現場処理しており、その正当性を与えている。政治家が官僚から政治を取り戻すと言う声が最近頓に聞かれるが、政争ばかりで政策の議論をしない国会の存在が官僚に権限を持たせたことを知る必要である。民主党が政治主導を唄って政権に就いたが、行政の何たるかも知らないで民間のビジネスモデルを持ち込んでも行政は機能しないのである。国民は官僚を非難する前に如何に政治が機能していなかったかを知るべきであり、その上で官僚に持たせた権限の必要性を論じる必要がある。勿論、官僚組織は規制しないと増殖する習性があるのだが、これに関してもチェックするのは政治である。国民の一部には前原外務大臣の辞任に対して金額が小さい事を理由に庇う発言が聞かれたが、法律を守るということは金額の多寡ではないことを肝に銘じるべきである。今の政治には時間軸の速さを正当事由に「言葉の重み」など否定する風潮にあるが、政治家が「言葉の重み」を否定したら社会に欠かせない信頼がなくなくなる。最近のマスコミなどは平気でマニフェストを否定しても問題ないと書いているが、国民に対する約束を破るなら如何なる理由があろうとも議会を解散して国民に信を問うべきである。長期政権が出来ないために日本経済が低迷しているなどと言う幻想を国民に持たせているが、今の日本が駄目になった理由は正に「言葉の重み」を省みず、平気で約束を破る社会になったからである。それは政治とマスコミの責任である。官僚を悪者にしても何の解決にもならない。
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